『地下の正倉院展 ─ 重要文化財 長屋王木簡 ─』令和2年10月24日 平城宮跡資料館 | タクヤNote

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先月10月24日は正倉院展のために奈良へ行きましたが、同じその日にその足で平城宮跡にも立ち寄りました。

 

 

平城宮跡に立ち寄ったのは、ブログの読者をさせていただいている、レインボーパパさんのブログ『ナラんちゅレインボーパパのゴーリキ招来!』で、平城宮資料館で『地下の正倉院展 ─ 重要文化財 長屋王木簡 ─』が、ちょうど正倉院展期間中に開催されていると聞いたからです。

 

『地下の正倉院展』というキャッチフレーズと、重要文化財の長屋王邸宅出土の木簡の実物が見れると聞いて、正倉院展のために奈良に行くのならば、その足でこっちにも足を伸ばそうと思ったのです。

今回の記事では、平城宮跡資料館で開催されている『地下の正倉院展』のレポを書きたいと思います。

 

午前中に正倉院展を奈良公園内の奈良国立博物館で鑑賞した後、近鉄電車に乗って平城宮跡へ。よい天気だったので現地で青空の下お弁当を広げて食べてから、『地下の正倉院展』が行われている平城宮跡歴史公園北西の平城宮資料館へ。

 

 

平城宮資料館は独立法人奈良文化財研究所が運営する国営の展示施設。奈良文化財研究所は平城宮発掘調査のための文化庁管轄の組織として60年以上も平城宮の発掘調査に携わり、その成果を展示する施設として運営されているのが平城宮資料館です。

記憶ではかなり昔に来た記憶がありまして、確かガラス張りの展示室に古代衣装などが展示して、外光いっぱいの明るい展示施設だったように覚えています。その後2010年にリニューアルしたということで、それからは初めてになります。

まずは常設展示から見学です。館内は撮影禁止では無く。「フラッシュ撮影はご遠慮ください」とだけ注意があったので、フラッシュを使わないで撮った写真をいっぱい紹介します。

 

 

常設展示は4つの展示室から構成されていました。第一室は『ガイダンスコーナー』。発掘現場のジオラマ再現の展示がありました。

 

 

第二室は『官衙復元展示コーナー』。平城宮内にあった役所の内部を、調度品などで再現がされていました。

 

 

第三室は『宮殿復原展示コーナー』。天皇が暮らしていた宮殿の内部を再現して展示していました。

 

 

第一室から三室まではこのように、実物よりも復原品の展示が中心になっているという感じで、特にニ~三室は発掘調査の成果というよりも、正倉院宝物を元にした復元品が中心となっていました。

続く第四室『遺物展示コーナー』で、ようやく発掘調査の成果である出土品の実物展示がメインとなります。

 

 

 

木簡は、まだ紙が貴重だった奈良時代、細長い木の板を紙の代わりに墨書き文字で記したもの。いずれも事務文書として、当時の歴史文化を知る貴重な記録資料となっています。そのこともあり、2017年に『平城宮跡出土木簡』の名称で3184点が国の重要文化財に指定されました。

 

他にも抜き取られずに残っていた建物の柱や、大極殿跡から出土した軒瓦の展示など、そこには今は広々とした空地にしか過ぎなかった平城宮の、かつて存在した官衙の当時の遺物の実物を、目の前に窺うことが出来るのです。

 

 

 

常設展示を見て回っての感想ですが、確かに復原展示は当時のイメージをダイレクトに見ることが出来て、古代の情景を理解しやすいというメリットはあります。しかし、直接現地に行って、復原展示を見る必要があるのかという感想もあります。わざわざ現地に行くのは現地の空気、時空を超えて同じ場所にいるというリアル感を味わいに行くというのが目的だと思うからです。

その意味でも小生としては、現地での展示は復原展示より発掘品の実物展示を中心にした方が良かったのでは、復元品は実物展示の補助てきに置くべきではとも思いました。確かに遺跡からの出土品というのは、それ単体では人目を集められるような、美術品としての価値があるような形の残るものは多いとは言えません。それだけに展示は難しいかも知れませんが、そこをどのように工夫をして展示が出来るか、考古遺物の展示施設にはその可能性を期待したいと思っています。

 

さて、四室の常設展示を見終えて、いよいよ企画展示室の前へ、特別展『地下の正倉院展 ─ 重要文化財 長屋王木簡 ─』の展示会場です。いよいよ長屋王木簡を間近に見ることになります。

 

 

その前に長屋王家木簡について、少し解説をします。

なお、以後の解説については、平城宮資料館で販売していたこの特別展と、かなり前に近鉄明日香駅前の観光案内所『飛鳥びとの館』で購入した『平城京 長屋王邸宅と木 簡』(奈良国立文化財研究所編・吉川弘文館刊)を参考にしました。飛鳥で買った本は30年近く前のものですが、今になって思わぬ形で役に立ちました。

 

 

佐保過ぎて 寧楽の手向に置く幣は

妹を目離れず 相見しめとぞ(長屋王 万葉集巻三-三〇〇)

 

長屋王は高市皇子と長男として生まれました。父の高市皇子は奈良朝の始祖である天武天皇の長男という非常に皇位に近い血筋の人物。母の身分の関係から天皇位に就くことは無かったものの、太政大臣という官僚としての最高職を勤め、天皇に次ぐ政務官としてのトップという高い地位でありました。

 

長屋王 系図  画像引用:https://history.kaisetsuvoice.com/Nagayaou.html

 

長屋王はその高市皇子の長男でした。奈良時代前期は藤原氏の血を引く光明子が、後の聖武天皇である皇太子の正妃として藤原氏による政権を推し進めていたのに対し、藤原氏による長屋王の叔母であった元明天皇と、その娘である元正天皇は親政政治を進めていたようで、天武天皇の嫡流である長屋王はその先鋒として立てられ、それを裏付けるように高い叙位を授けられるなど、皇族の中でも抜きんでて出世して行きました。

 

そして、大宝律令発布の立役者として、並び無き権力者であった右大臣・藤原不比等が没すると、養老5(721)年長屋王は右大臣に任じられます。当時臣下としての最高位である左大臣が空席だったこともあり、長屋王は政務のトップとして“長屋王政権”が発足したと考えられています。

 

その長屋王の住居が平城京跡左京二坊がその跡であることが確かめられ、東二坊坊間路に隣接するSD4750という区画から見つかった南北に掘られた溝から、3万5千点という膨大な数の木簡が出て来ました。その数はそれまで確認されていた古代の木簡の総数を上回る数であり、奈良時代の文化歴史を究明する大発見となったのです。

 

大量の長屋王家木簡が出土したSD4750

画像引用:『平城京 長屋王邸宅と木簡』(奈良国立文化財研究所編 吉川弘文館刊)

 

『地下の正倉院』と銘打つ今回の特別展は、奈良時代の歴史を記した貴重な正倉院文書にも肩を並べるとして大量の木簡を公開しているということです。

 

平城宮資料館の特別展のレポに話を戻します。企画展示室に入ると、まず最初に展示されていたのが、長さ21㎝ほどの一枚の小さな木簡です。単体でガラスケースで展示されていたこの木簡が、3万5千点の木簡の中で最も注目を集めた一点です。

 

 

「長屋親王宮鮑大贄十編」、長屋親王の宮にアワビを10編納入するという納品伝票のような内容です。

注目されたのは「長屋親王」という表記です。親王とは天皇の男子か、嫡流の男子のみを指す尊称だからなのです。

 

 

長屋王は天皇の長子の長子という皇孫だから、その条件にあてはまると言えなくは無いのですが、天武天皇は皇太子として高市皇子以外の皇子を指名していますし、正史である続日本紀での表記はすべて「長屋王」とし、皇位継承順位は高くはない皇族と扱っています。

その上で『長屋親王』と記した木簡が出土したことは、長屋王は本当は上位の継承権を持つ親王の立場であり、正史はその事実を封印し長屋王を皇位継承順の低い一般の皇族にしてしまった。そのような歴史を覆すような発見と注目を浴びた木簡なのです。

小生がこの特別展を訪れたのは、この歴史をひっくり返すとも言われた有名な木簡を見に行きたいという目的が大きかったです。

 

特別展は長屋王家木簡の展示が中心となっていました。墨書きの多くは木簡の両面に書かれているので、展示は鏡を使い両面が見える工夫がされていました。

下の画像は長屋王の家族について書かれているもので、左の木簡には長屋王の妻『安倍大刀自』の名が、右の木簡には長屋王の娘と推定される『紀若翁』(紀王女)の名が記されています。

 

 

また、近畿圏を主に広範囲の地域の地名が書かれている木簡も多く出土し、長屋王が多くの領地を持っていたことを示す遺物と注目をされています。

下の画像、左の木簡には『丹波国』、右の木簡には『阿波国』と記され、遠方からの特産品が長屋王家に納められたことが覗えます。

 

 

 

木簡に書かれた長屋王に納入された品はいずれも高級食材ばかりで、長屋王の生活がいかにリッチな生活を送っていたかが伝わってきます。奈良文化財研究所は木簡に書かれた記録から長屋王の年収を計算し、4億円と発表をしています。

長屋王が富豪だったことは、長屋王邸宅を規模を見ても明らかです。長屋王邸は平城京の三条二坊の区画で、敷地は四町、125m角の一町を4区画ぶち抜きという宮殿にほど近い場所に破格の広大な敷地の邸宅を構えていたのです。

 

 

 

『地下の正倉院展』では、発掘調査から復元された長屋王邸復元模型のパネルが展示されていました四町250m角の長屋王邸は、邸宅と言うよりまるで小さな町のようです。元明天皇の皇女で元正天皇の妹である、長屋王の正妃 吉備内親王の住居でもあったことから、これだけの邸宅に住めたとも考えられてます。

 

 

『地下の正倉院展』では、長屋王邸跡から出土したという瓦の展示もありました。仏殿や官舎が瓦葺きというのはありましたが、住居を瓦葺きにするというのは当時ほとんど無いことで、長屋王の御殿がいかに特別なものだったかが、ここからも窺うことがことが出来ます。

 

 

長屋王邸跡は、その地に奈良そごうが建設されるのに合わせて行われた発掘調査で特定されました。そして、その跡地に平成元(1989)年に奈良そごうがオープンしたものの、平成12(2000)年にそごうが経営破綻したのに合わせて同年12月に閉店、セブン&アイ・ホールディングスが新テナントとなり平成15(2003)年イトーヨーカドー奈良店としてオープンしたものの、それも業績不振を理由に平成29(2017)年閉店となってしまったのです。

そして、東京都が本社の“やまき”が管理者として名乗りを上げて、現在は商業施設『ミ・ナーラ』として営業して今に至っています。

 

現在ミ・ナーラの店舗の前には長屋王邸跡を示す案内板だけが、そこが長屋王邸跡であったことを示すに留めています。

 

撮影:2019年11月8日

 

『地下の正倉院展』では、このテナントが変わっていく変遷を写真パネルで紹介されていたのですが、テナントは変わったものの建物そのものは大規模な建て替えもされず利用されているので、何枚も写真パネルを並べる意味があるのかとちょっと疑問に思いました。

 

 

このように度重なる経営破綻や業績不振でテナントが長く続かないことから、誰ともなくささやかれるようになったのが「長屋王の呪い」です。

長屋王は、理不尽で無念の最期を遂げている人物として知られています。続日本紀によると神亀6(729)年「長屋王はひそかに左道(邪教)を学びて、国家を傾けんと欲す」との密告が長屋王の舎人からあったのを受けて、藤原不比等の息子である藤原四兄弟の一人 式部卿の藤原宇合が六衛府軍隊を率いて長屋王邸を包囲。舎人皇子らによる糾問を受けて長屋王および正妃の吉備内親王、さらにその子供らもことごとく自殺するという悲劇的な結果となったのです。

続日本紀にはその密告した舎人のことを「長屋王のことを誣告(偽りの発言)したる人なり」という記述があり、長屋王は藤原四兄弟に策謀によって無実の罪に問われて無念の死を遂げたと考えられているのです。

 

前から思っていることですが、近代以前では無念の死を遂げた人物が祟りを起こした場合、その魂を鎮める神社を建て御霊を祀っていました。小生はミ・ナーラの敷地内に長屋王の御霊を祀る神社を、小さな社で良いと思うので建てて、長屋王の御霊を鎮めてみてはと思っています。

昔ならともかく、今なら非科学的な迷信と揶揄されそうなことかも知れませんが、ただ『長屋王の呪い』の噂は商業施設にとってとても悪いことです。小生はこの噂をしっかりと受け止めて神社を祀ることが、噂をする人々に対して長屋王の御霊に誠実に向き合っていると良い印象を与え、商業施設に掛けられた悪い噂を払しょくさせることになるのではと考えています。

そして、長屋王の無念の最期が有名なだけに、その神社はきっと名所として取り上げられると思うのです。それは商業施設によって望ましいだと小生は考えます。祟り鎮めが由緒の天満宮が多くの参拝者がご利益を求めてお参りするようになったように、長屋王の神社はきっと多くの人を集めて、それは商業施設にも利益をもたらすのではと思います。

決して長屋王を商売に利用するといった不謹慎な考えでは無く、そうやって長屋王を祀って多くの参拝者を集めることこそ、長屋王の霊に報いる、無念の想いを晴らすことだと小生は考えます。

 

平城宮資料館の展示は『地下の正倉院展』が行われている企画展示室で終わりではありませんでした。最後の展示室は『考古学コーナー/模型展示コーナー』となっていました。考古科学コーナーでは、出土品などを3Dデータにスキャンする三次元レーザースキャナ―の大きな機器などが展示されていました。また3Dスキャンした仏像の3D画像がパネルで展示されていました。

 

 

 

そして、模型展示コーナーでは第一次大極殿院や朝集殿などの復元模型が展示され、平城宮跡に奈良時代に建っていた官衙のイメージが展示されていました。(下の画像は朝集殿復元模型)

 

 

大極殿は朱雀門など、少しずつ復元されている平城宮跡ですが、奈良時代の姿をより感じたいという人や、平城宮跡の発掘調査の歴史などを学ぶのには、ぜひ立ち寄ってみたい施設だと思います。

平城宮跡資料館での『地下の正倉院展 ─ 重要文化財 長屋王家木簡 ─』は11月23日(月・祝)まで開催されています。もう一つの正倉院展にも足を運んでみてはいかがでしょうか。

平城宮跡資料館『地下の正倉院展 ─ 重要文化財 長屋王家木簡 ─』

 

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