今回も激動の古代日本を題材にした少女まんがを取り上げます。今回取り上げるのは大和和紀作の『天の果て地の限り』です。飛鳥時代の歌人として名高い額田女王を主人公にした、約180ページの中編の作品です。
大和和紀といえば、大正ロマンで広く知られる『はいからさんが通る』や、源氏物語を少女まんがにして話題になった『あさきゆめみし』など、日本史を題材にした少女まんがのジャンルを一般的にし、はいからさんが通るは昭和52(1977)年に第一回講談社漫画賞少女漫画部門を受賞するなど、先に取り上げた里中満智子以上の、少女漫画界のいわゆる重鎮の一人です。
当然小生も大和和紀の名前はよく知ってはいました。代表作である『あさきゆめみし』が掲載されていた講談社の雑誌『mimi Excellent』は里中満智子の天上の虹も連載されており、歴史少女まんがファンは合わせて読んでいたのです。
しかし、大和和紀が古代日本を描いていたことは、最近まで知りませんでした。それも講談社mimiで連載されていたのが昭和52(1977)年から翌53年までで、前に紹介した里中満智子の『天上の虹』の昭和58(1983)年、古代史少女まんがを世間に定着させたと言われる山岸涼子の『日出処の天子』の昭和55(1980)年よりも古い、本当にこの時代を描いた少女まんがの草分けなのです。『天の果て地の限り』は大化の改新直前から、壬申の乱を経て天武天皇が即位する時代までの激動の飛鳥時代後期が描かれています。このまんがで取り上げている時代が『天上の虹』の前半と同じということもあり、比較するという意味でもぜひ読んでみたいと思い、講談社漫画文庫になって出版されていると聞いて、買って読んでみました。
まず、目に付くのがこの作品の絵柄です。『天上の虹』の初期も古典的少女まんが風タッチで描かれていますが、『天の果て地の限り』はさらに王道少女まんがとして描かれているのです。
まず、主人公の額田女王ですが、前・中盤では前髪を降ろした少女の姿で描かれています。
彼女の年齢や歌から伝わるイメージなどを考えると、この容姿はかなりきびしい感はあります。しかし、少女まんがの主人公がこの髪型なのは、当時では結構お決まりだったのです。
そして、額田女王のロマンスの相手である中大兄皇子(画像上)と大海人皇子(画像下)。
歴史上の人物のイメージうんぬん以前に、とても日本人に見えない姿に描かれております。お二人とも作品を通して当時の朝服であった冠などの被り物は頭には付けず、長い髪をかっこ良く風に髪をなびかせっぱなしでした。
主要登場人物であるこの3人を筆頭として、このまんがを通しておそらく読者が一番持つ印象、この作品の特徴と言うべきは「歴史上の人物がとてつもなくみんな美化されている」ということです。
歴史上の実在の人物が美化されているということは、天上の虹でも言われることが多く、里中満智子自身、そのことをコミックス15巻の巻末に載せたあとがきまんがでネタとして書いているくらいだったりします。
しかし、『天の果て地の限り』のキャラクターの美化は、天上の虹とは比べものにならないほどなのです。ちなみに実際に歴史上の実在の人物がどのように美化されているのかちょっと紹介してみます。
まずは、間人皇女と有間皇子
皇極・斉明天皇と 鸕野讚良皇女(のちの持統天皇)
十市皇女と高市皇子
極めつけは藤原鎌足。
藤原鎌足なんて他の少女まんがでも美形として描かれることは少ないのに、これはかなり仰天ビックリ。正直なところ「これでもか」というくらいに次々と美形キャラが登場するので、美形キャラ疲れを起こすほどの作品でした。
物語は神官の娘である額田女王が大化の改新前の中大兄皇子と大海人皇子との出会い、そして皇子の前でも怖じることの無い額田の存在感に二人が驚かされる場面からはじまります。
そして、大化の改新後、大海人皇子は額田女王を馬でさらい、藤の花の下に連れて行き、そこで妻問いを行います。
一方の中大兄皇子は蘇我入鹿を斃した後、難波遷都。皇太子として政治の実権をその手にし、政治体制を新たに作り、遣唐使船を出し、近代国家建設にひた進んで行きます。また、蘇我氏が皇嗣として立てていた古人大兄皇子や、大化の改新後に朝廷で実力を持った蘇我倉山田家の石川麻呂を死に追いやり、石川麻呂の弟の日向を大宰府に左遷するなど、中大兄皇子は血の粛清を繰り返すのです。そしてついには大化の改新後即位した孝徳天皇の跡取りである有間皇子にまで及び、彼を謀反人として処刑してしまうのです。
磐白の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む
(万葉集 巻2-141)
繊細な少年として描かれている有間皇子の悲しい辞世の歌は、同じ歌人としての額田の心を大いに震わさせ、そして有間を死に至らしめた中大兄への恐れへと結びついて行きます。
そんな中大兄皇子は正式な妃になっていないことを盾に、大海人皇子に子までなした額田女王を自分に譲るようにしむけるのです。自らを巫女として神に捧げた身として大海人の正式な妃になることすら拒んだ額田によって、この中大兄の略奪とも言える行いは、とても恥辱的以外の何ものでもありませんでした。
しかし、その額田も政治家としての中大兄の本当の姿を見るようになるのです。
朝鮮半島の同盟国である百済から救援要請のあった朝廷は、筑紫遷都まで行い唐や新羅を相手に戦をすることになります。その遷都と援護軍出兵のために朝廷一同と共に難波宮に来ていた額田女王は、茅渟の海(大阪の海)を前に中大兄の心の内を打ち明けるのです。そこには華やかな中大兄の人生とは裏腹の奥深い苦悩が隠れていたのでした。
小さな部族の集まりにすぎなかった日本は、時代と共に大きな集落へとまとまり徐々に国家となって行った。そして、そのたびに大皇の座を巡って血を流す争いを起こした。自分は日本を唐や新羅のような大きな国にする、国造りの道具として、たとえ陰謀家の人殺しといわれようとも、新しい国造りを進めて行かなくてはならない。
そして、額田女王に対して中大兄は、額田には大切な役割があると告げるのです。
自分が民から恨まれる政治を断行するのならば、額田は歌人として民の心になって歌を詠むこと。国をささえて行くのが自分の仕事なら、民の心をささえ勇気づけるのが額田の仕事であると。
この後に、愛媛県の熟田津で名高い額田女王の出兵を讃える歌が詠われたのです。
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今はこぎ出でな
(万葉集 巻1-8)
その後、中大兄が飛鳥から近江遷都を計った時にも、飛鳥の地に愛着を持つ民に対して、額田女王は飛鳥を讃える歌を詠います。
味酒 三輪の山 あをによし奈良の山の
三輪山をしかも隠すか 雲だにも 情あらなも 隠さふべしや
(万葉集 巻1-17)
このような歌を詠う内に、国造りの強引な政治を歌でささえるという額田女王の立場が生まれ、中大兄にとって自分は不可欠な存在に、そして自分にとっても中大兄は不可欠な存在だと思うようになったのです。
それは中大兄への愛であると知るまで、それほど難しくはありませんでした。蒲生野でかつて子まで生した大海人皇子と逢引きをした時に詠ったとされる相聞歌を交わした時も、額田の心は大海人だけのものとはなっていなかったのです。
(万葉集 巻1-20、21)
そして中大兄はやがて病に伏し、額田の愛もむなしく天智10年崩御。そして額田が愛した中大兄が人生を賭けて築き上げた近江朝廷は、かつて額田が愛した大海人皇子が挙兵して起きた壬申の乱によって滅ぼされ、すべては夢幻のごとくに消え去り、後に残るのは飛鳥野をかけめぐる風の音だけであったのです。
以上許されると思われる範囲でストーリーを紹介しましたが、この作品が描かれたのは他の古代史少女まんがよりも古く、他の少女まんがの影響が当然受けている感はありません。小生が読んで思ったのは、このまんがは井上靖の小説『額田女王』(新潮文庫刊)を原作にしたのではという印象でした。
実際に『天の果て地の限り』には、井上靖の小説から設定を取っていると思われる箇所が多く見られます。額田が巫女であるというのは井上靖の小説と同じであるし、万葉集などの記述は「額田王」なのに対して、大和和紀のまんがでは井上靖と同じ「額田女王」となっています。
井上靖の『額田女王』はサンデー毎日に昭和43(1968)年より約1年間連載された小説で、歴史小説の大家であった同氏の作品でも、女性を主人公にしたロマンス溢れる作品として異色を放っていました。
それまで万葉集など古典文学としてしか見られることの無かった額田王という人物を近代文学として小説という形で、クレオパトラ七世やエリザベート皇后といった歴史に名を残す女性たちと名を並べることになりました。井上靖の連載小説は、奈良にゆかりの深い日本画の巨匠・上村松篁の美しい挿絵も相まって、読者は万葉の世界にたちまち引き込まれ人気を博しました。
井上靖の小説は間違いなく、額田王という女性を一般の人たちにも人気のヒロインに押し上げました。しかし、小説と言う文字だけの文学ではそのイメージは具体的にはなりません。その意味では大和和紀がまんがにしたことで、額田女王はより一般の読者により直接的なイメージをもたらしたと言えます。
大和和紀が描いた『天の果て地の限り』ですが、松竹歌劇団が昭和59(1984)年に大和和紀のまんがを原作にして『NUKATA 愛の嵐』のタイトルで舞台化しているのです。
画像参照:http://bokuchan.fc2web.com/tirasi1.html
額田王を取り上げた舞台としては、里中満智子の『天上の虹』もOSK日本歌劇団が『天上の虹 ~星のなった万葉人~』のタイトルで舞台化しています。同じ時代を題材にした同じ雑誌で連載されていたまんがが、前後して少女歌劇団で舞台化されているのです。
また、宝塚少女歌劇ではオリジナルストーリー『あかねさす紫の花』で、額田王を主人公にした舞台が繰り返し公演されているのです。昭和51(1976)年初演ですから、宝塚歌劇の方が『天の果て地の限り』よりも先んじています。
画像参照:http://blogs.yahoo.co.jp/pbtyw727/8444223.html
額田王をめぐって二人の皇子が相争う壮大な歴史ロマンスは、このように幾度も少女歌劇の題材として取り上げられているのです。井上靖の小説が額田王を古典文学の世界から現代文学のヒロインへとその魅力を高めた。その後を追って額田王は少女歌劇になりまんがになり、女性たちのロマンスのカリスマとして語り継がれるようになったのです。
その意味では、大和和紀のまんがが額田王の魅力を女性たちに伝えるのに、とても重要な役割を果たしたと言えます。後に続く万葉のロマンスを取り上げた少女まんがの先駆けとして、『天の果て地の限り』は描かれたのですから。先に書きましたが、『天の果て地の限り』は、登場人物が徹底的に美化されていて、ある意味それは実際に歴史的な出来事というリアリティーとはかけ離れた、ファンタジーのような作品となっています。思えば昔の少女まんがというものは、映画的・テレビドラマ的というより舞台劇のような手法で描かれていたと言えるのです。
思えば、昔の映画やテレビドラマは今よりも舞台演出っぽい作品が多く、今のようなリアリズムを追求したものばかりでは無かったように気がします。ハリウッド映画でもブロードウェーの舞台をそのままフィルムにしたような作品も多く、今のようにコンピュータグラフィックや特殊メイクなどが信じられないようなリアリズムを出せるようになった反面、老年の人物を若い役者が演じるなどの舞台的な演出がやりにくくなりました。
その意味では『天の果て地の限り』は、この時代のよき時代の少女まんがとして読むことが出来ました。