伏線の回収?① | 星は海、そして虹

星は海、そして虹

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投稿はすごく少なかったのに  特に先月あたりから増えていて自分で不思議です

以前は、これを書かないと、と半ば義務的な感じがありましたが

最近は、あのこと(この件)、アウトプットするときかもとふと思ったり 

そのときだよと何かにいわれたような気がしたり

 

今回のタイトルの伏線、という言葉は 何年も経った今だから浮かんできた感じです

(ここまで前置き)

 

春は精神的に落ち着かなくなる人が増えると昔から聞くけれど 

自分は関係ないかなと思っていました

でも今年は ちょっとナーバスモードに落ち込んでしまったようで

特にこの1週間は 思考と感情、思考と行動の足並みがそろっていない感じだったので

言葉にしてみようと思います

(あの頃どんな状態だったんだっけ、と思い出したくなったときのための自分用のメモです

ネガティブモードの独り言なのでそういうの嫌いな方は飛ばしてください)

 

きっかけは 1週間くらい前に見た1つの不安夢でした

夢の内容は

  “テレビかPCでニュースを見ていたら、映っていた数人が実は皆AIでできていた、

  ということが分かり、その直後になぜかすごく怖くなってしまった、

  そして怖くなって画面から目を背けた自分も実はまだ夢の中の登場人物で、

  その自分を今度は少し引いた位置から見ている、夢から覚めてそれに気付く”

という短いものでした

 

ただ目が覚めた後も連想が続き、夢だったと気付いた自分もまだ夢の中で、、、

と延々に続くという話を昔に聞いたことがあったと思い出してさらに怖くなるという、、、

 

それからネガティブな思考とイメージが続いてしまいましたあせる

画面の中の世界は 映画と似ていて虚構であって

バーチャルとリアルの境界線がこれからはもっと曖昧になっていく

それは新しい時代の特徴でもあると頭では分かっているのに

私の感覚や意識はついていけていなかったのではと思いました

 

画面の向こうの世界は 何らかの理由で電源が切れたり 

IDを消したりすればそこまでで

画面から離れて現実を見渡したとき そこは以前と何も変わっていないわけです

そもそも虚構であり 遊びだし

バーチャルでもリアルでも 人は何か、誰かとつながっていないと生きていけないもの

と、何かのささやきが聴こえてきたイメージ

 

映画なら 初めからそういうものだとわかっているので 

それほどストレスもダメージもないでしょう

エンドロールで一抹の寂しさはあるけれど 感動や喜びの余韻の中で 

現実にまた慣れていくだけ

それは当たり前のことなのに それでいいという前提のはずなのに

何だか少し バランスを欠いているのかも 

 

不安を察知した潜在意識は (よくできているものだと思いますが)

自動的に防衛反応をし始めます

 

最悪のことを考えて どんな状況になってもやり過ごしていけるような何かを探し始めます

私の場合はなぜだか無性に 裸足で砂浜か芝生を踏みしめたり寝転がったりしたくなりましたあし

デジタルデトックスは普段から気を付けた方がいいし

バーチャルが増えていくのがこれからの時代なら それに適応していくために

心身を鍛えないと と単純に考え

自然と身体をつなげる時間が必要だなぁと感じました霧

 

ちょうど それを選ぶなら

久しぶりの一人旅のきっかけになる用事が入っていたので

それを使わない手はないなと 自分に都合の良い方へ意識を向けました

 

用事というのは年に1度の心の健康会議で、今年は福岡でした

資格更新年なので必要書類を提出済みで今月は審査段階ですが、

・万が一ポイントが不足していたときのための保険

そしてそれ以外の個人的な理由として

・尊敬している山中康裕先生のお話が聴ける貴重な機会

・九州に関する数年前からの伏線の回収

・デジタルデトックス、ネガティビティからの回復

という3つが浮かびました

 

初の九州への旅です

といっても個人的な事情で(伏線というのは)長崎、大分、熊本です

こことここらへんへ行けたらいいな、くらいの目安だけで あとの細かいことは

行ってから決めることにして 宿泊はどこになるとしても便利そうな久留米にしました

 

余談①

X(Twitter)は2012年頃に一度使っていたことがありますが

乗っ取られてから怖くなってやめていました

その頃 ネイティブアメリカンの歴史や文化についてはまっていて

北山耕平さんの作品が好きになり 

『月に映すあなたの一日』や『時の輪』がいつも近くにありました

その内容をポストしていたので 著作権法に触れてしまい使えなくなったのかもしれませんが

とにかくSNSの使い方は 今でもまだ慣れません、、、

 

 

 

 

余談②

心の痛みやハンディキャップなどの個人的な事情について聞いたり話したりするのは慣れているはずですが

カミングアウト後の反応が センシティブになってしまったもう1つの要因かもと思います

でも そうしたくなった流れや意味、背景にあるものを

的確にそして思いやりをもって言語化してもらえたり 

誤解が解けたりして嬉しいこともありました

なので後悔はしていませんが やはり 心はなまものだなと思います

抜糸して元に戻るまで 安静にしていないと 痛むものですね

 

そんなこんなで

久しぶりに 素敵な景色の中を運転してみたくもなって

行くことにしました