「春よ、来い。」を聞くと、昔買っていた犬のことを思い出します。
来月でごんが逝って10年になります。
ごんと一緒にいたのはちょうど10年だから、
ごんがいた時間と、いない時間が、おんなじになります。
ごんがうちに来たのは、私が10歳の時。
たしか夏休みだったと思います。
祖父母の家の近所で子犬が生まれて、
家族で行って、1匹分けてもらったのでした。
ごんは雑種です。
野良犬との間にできた子らしく、父親の犬種はわかりません。
というより、母親の犬種も誰も聞かなかったので、母親の犬種もわからない。
見た目から、芝は多分入っているんじゃないか?というのが家族の総意でしたが、
結局のところ、それがどうなのかもわからない。
けれど、犬種がどうとか、私たち家族にとって正直どうでもよかった。
ごんはごんでした。
私は今でも、思うことがあります。
ごん、私はあなたをちゃんと愛することができたかな。ということ。
ごんの散歩係は、もっぱら私の役目でした。
毎朝早く起きて、お散歩に行って、それから朝食を食べて、学校へ行く。
夕方の散歩も、友達の家から帰って来てから。習い事がある日は、妹や母親が。
正直朝は眠かったし、冬なんかはさらに寒かったし、
大きくなるにつれぐいぐい引っ張る力は強くなるし、
うんちを拾うのは嫌だったし、あんまり好きではありませんでした。
そんなんだから中学に上がる頃には、
部活があったりで、サボりがちになって、
妹も大きくなったのもあり、妹もいくようになりましたが、
記憶にあるのは、散歩に行くのを押しつけあったことや、
誰も散歩に連れて行ってなくて、ごんがお庭でくんくん鳴いている声です。
今では思うよ。
もっといっぱい、お散歩連れて行ってあげればよかったな。
もっといっぱい、撫でてあげればよかったな。
もっといっぱい、大好きだよってぎゅってしてあげればよかったな。
お散歩がめんどくさくてサボったり押し付けたりしたこともたくさんあるし、
お水やご飯をあげ忘れてしまったりしていたこともある。
言うことを聞かなくて怒鳴ったり叩いたりしたこともある。
それでもごんは、
ごはんの時やお散歩の時は嬉しそうに尻尾を振ってくれたし、
疲れて帰って来た私を迎えに、わざわざ犬小屋から出て来てくれた。
私はそれを無視して家に入ってしまっていた。
どうしてただいまの一つも言って、頭を撫でてあげなかったのだろう。
そういうことを思うのは決まって別れの時なのです。
とある事情で、引越しをしなくてはいけなくなり、
新しい賃貸の家は、ペット禁止のところでした。
ですのでごんは室内でこっそりと隠しながら飼うことになりました。
が、不思議なもので、ごんはそういうのも、多分全部わかっていたんだと思います。
引越しが決まって、荷造りを始めた頃から、ごんは急に体調が悪くなりました。
食欲がなくなり、体重も減り、歩くのも億劫になるまで、
本当にあっという間でした。2ヶ月くらいだったと思います。
桜の季節。新しい家に引っ越した時には、もう散歩も必要ないくらいでした。
新しい家は、リビングが2階だったので、ごんも2階にいました。
2階にいたのですが、気づくと階段を降りて、玄関にいるんです。
階段を下りるのがやっとで、上ることはもうできなくなっていました。
ごんは昔から、お庭の犬小屋で、出かける私たちを最後に見送り、
帰ってくる私たちを一番最初に出迎え、
訪れる来訪者には警戒する。時々吠えていました。
ごんは多分、家族を守ってくれていたんだと思います。
5月。
私も本番前で忙しく、劇場近くの共演者の家に1週間お世話になる予定でした。
だったのですが、ある日、ふと、なんか帰らなくてはいけない気がして、
その日は実家へ戻ることにしたのです。
するとその電車の中で、母親から連絡があり、
「ごんがいよいよヤバい状況だから帰って来て」と連絡があり、
私が感じた予感はこのことだったのかと思いました。
駅を出て、雨の中を全力で走って家に帰ると、
ごんが布団で寝てて、家族みんなで囲んでいました。
妹2人は大泣き。
私が来た瞬間、ごんは首だけあげて、うれしそうにこっちを見ました。
手を出すと、その手に自分から頭をすり寄せてきて、
それが、ものすごく弱弱しくて、 いとおしくて、私も涙をぼろぼろこぼしました。
するとごんが急に立ち上がって、腕に噛み付いてきたのです。
びっくりしました。とても痛かった。
まだ俺は生きるんだ。って、言ってるみたいでした。
まだ俺はがんばるからって、自分に言い聞かせるように、目を見開いて。
でも、すごい無理してがんばってるのが見え見え。
目は、焦点があってない。 それでもごんは、
みんなを不安にさせまいとして、
みんなに笑ってもらおうとして、
一生懸命に、自分は元気だよってアピールしてる。
そのけなげさに、また大泣き。
お医者さんには、
ごんはもう苦しくて仕方ないから、薬で楽にしてあげた方がいいと言われました。
ただ、今ごんが生きているのは、ごんの意志だってこと。
人間と違って、延命措置を施しているわけじゃないので、
苦しかったら、死のうと思えば、力を抜けばいくらでも楽になれるそうです。
でもごんがそれをしないのは、
ごんが、私たちがごんに生きてて欲しいって思っているのを汲み取っているわけで、
なによりごん自身が、生きたいって思っているからなんだ。ということでした。
その時私は、ごんにお願いをしました。
夏が来るまで、待って。と。
それは、一先ず、今携わっている公演が終わるまで、
私が一息つけるまで。6月になって、夏らしさを感じれるまで。
ほんの1週間、10日くらいでいいから、待ってて。と言ったつもりでした。
それからごんは、2ヶ月半、生きました。
私がバイトをしている時、
ふと、ごんがやってきたんです。
あ、もしかして、と思いました。
休憩に入って、携帯を見たら、ちょうどごんが来たくらいの時間に、
「ごんが他界しました」と、母からメールがありました。
その言葉が、妙に救ってくれたのを覚えています。
死んだのではなく、他界した。他の世界に行ったんだね。
その途中に、私のバイト先まで、ほんのちょっと、わざわざ寄り道して来てくれたんだね。
その3日後、ごんの身体を焼きました。
その時にかかっていたのが「春よ、来い。」のオルゴールでした。
まぶたを閉じればそこに、愛をくれし君の懐かしき声がしました。
本当に声がしたんです。
最後のお別れをして、火葬に入る時、
「ハッピー」
って聞こえたんです。
それは間違いなく、ごんが、
「幸せだったよ」って言ってくれた声でした。
それが、私の10代最後の日。
2020年8月7日のことでした。
ごんを送って、私は、翌8月8日。20歳になったのでした。
8月8日は立秋で、暦の上では秋になって、
ああ、ごんは、私との約束通り、
夏が来るどころか、夏が終わるまで、生きてくれたんだな。と思いました。
これを書いている今、10年経ってもなお、鮮明に思い出して、涙がこぼれてしまいます。
幸せだったよ、と言ってくれたけど、
やっぱり、もっともっとたくさん、愛してあげれることはあったよ。と思います。
その時感じた思いが、それから10年、私を育んできたと感じています。
ごん、私にも息子ができたよ。
毎日おむつをかえたり、ご飯を食べさせたり、お風呂に入れて、着替えさせて。
疲れてもめんどくさくても、絶対にサボれないよ。さぼらないよ。
お散歩行くのさぼってごめんね。
それでも大好きでいてくれてありがとう。
愛すると言うことを、ごんにはたくさん教えてもらったよ。
今愛することのできる人たちを、たくさんたくさん、愛して生きていくよ。
まぶた閉じればそこに、
愛をくれし君の、懐かしき声がする。
ごん。ハッピー!