Panglima Prang(Tan Kim Seng旧宅) | EleMariRai @ JB

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三人の娘たちとフルタイムのワーキングマザー。
マレーシア最南端のジョホールバルでのあれこれを綴ります。

「虎に翼」に出てきた女性代議士さんたち怖かったですね。

市川房枝さんや加藤シズエさんはあんな感じだったのかな?

 

私はまだ三淵嘉子さんネタについて楽しんでおります。

River Valley Rdのどのあたりにお住まいだったのか?と、

ググってみたところ、平凡社刊「別冊太陽315三淵嘉子」に

生誕地であるシンガポールのRiver Vally Road付近という

写真が掲載されていました(提供:三淵邸/甘柑荘)。

 

 

でね。この写真の家。どうも見覚えがあるんですよ。

もちろん武藤貞雄(お父上)さんが住んでいた家じゃない。

近くにあった豪邸ってことで、1968年に撮影されたんじゃ

ないか?と、勝手に推測しておりますが。

 

 

この建物はTan Kim Sengの自宅「Panglima Prang」です。

撮影された方角は違いますが、同じ建物でしょう。

これは西側から車寄せに向かって撮影された写真。

 

 

三淵邸の提供の写真は、南東から後方に向かってですね。

「Panglima Prang」は1982年に取り壊され、跡地には

「Yong An Park」というコンドミニアムが建っています。

 

Tan Kim Sengはマラッカ出身のプラナカンです。

Hotel Puriは元々は彼の家、Jonkerとスタダイスの間にある

橋は、Kim Seng Bridge(シンガポールにも同じ名前の橋が

あります)、彼の息子の名前がついたスタダイスの時計塔は

彼の孫にあたるTan Jiak Kimが寄付したものです。

 

なお。Tan Jiak Kimの娘さんの孫にあたるのがTony Tan。

彼のお父さん、すなわちTan Jiak Kimの孫と結婚したのに、

林文慶博士がお仲人だってのに、どうもパッとしない人で、

伯父さんはOCBCの頭取だったTan Ching Tuanでした。

(あのCairnhillの豪邸をTan Kah Keeから買った人ね)

 

三淵さんの生家からどんどん脱線していますが(笑)。

この家は「Panglima Prang」という地名に因んでいます。Temenggong Abdul Rahmanの右腕だったと言われている

Datuk Panglima Prangの地所だった場所でした。

Datuk Bentara LuarことMohamad Salleh Bin Perangは

Panglima Perangの息子であり、ジョホールの歴史では

ムアーやバトパハの開発に携わった方として有名です。