EleMariRai @ JB

EleMariRai @ JB

三人の娘たちとフルタイムのワーキングマザー。
マレーシア最南端のジョホールバルでのあれこれを綴ります。

お使いから戻る途中、職場のすぐ近くで見かけたもの

 

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それは福山通運のトラック。

中古車両がマレーシアに入ってきたのかと思ったら、

 

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本物(←日本語じゃない)のようです。

職場に戻ってググったら、KLとペナンには事務所がありました。

 

 

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セピロックで買ったマレー熊のトートバッグ。
色合いも大きさもよく、通勤のお供に使っているのですが。

 

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ふと。目に入ってきた WAKANA KOIKE の文字。

まさかMEW NEW YORKの小池和香奈さんじゃないよね?

でも。SPOON + FORKもNYのデザインファームのはず?

 

 

ということで。ググってみました。

いや~。能ある熊はツメを隠していたのですね(爆)?

 

セピロックで偶然求めたマレー熊のトートバッグから、

こんな繋がりを見出すなんて。思ってもみないことでした。

 

そういえば。昔々、JALの機内販売でハンティングワールドの

バッグをいくつか買ったことがあったのですが。

あれもボルネオ象の保護のためのチャリティー商品でした。

 

半島部からは距離もあって、決して身近ではないボルネオ。

今回のご縁を無駄にしないよう、ボルネオ保全トラストなどの

活動も学んでみようと思っています。

今回のサンダカン行きのきっかけとなったANZAC DAY。

オーストラリア政府主催によるDAWN SERVICEが午前5時から

行われるので、ホテル近くから出るシャトルバスに乗りました。

 

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場所は空港の近くにあるサンダカン・メモリアルパーク。

捕虜収容所があった場所であり「死の行進」の出発地です。

夜明近く(DAWN)の闇の中。会場へと続いている静かな道は、

捕虜であった人たちの悲しみを追体験させるかのようでした。

 

「死の行進」とは、戦争末期にアピ(現在のコタキナバル)へ

日本軍を集結させる命令が下り、英国人やオーストラリア人の

捕虜たちが260kmも離れたラナウへ移動させられた事件です。

 

生存者6名全員が脱走兵だったことも原因の一つでしょうけど、

オーストラリア在住の日本人の学者が1990年代に本を出版する

まで、この事件はあまり知られていなかったそうです。

現在ではカンチャナブリと並ぶ最悪の悲劇とされています。

 

 

亡くなった捕虜は2428人。餓死や病死だけではなく銃殺された

人もいる。日本と英国の間の戦闘に巻き込まれたサバハンたち。

そして一緒に移動した日本兵も約8500人が亡くなっている。

 

愚かな行為を繰返さないよう、私たちは学び続けていくと共に

後世へ伝えていかなければならないと改めて思います。

 

 

サンダカン・メモリアルパークの中には、収容所時代の痕跡が

今でも残されています。

 

 

水槽と説明版にはありましたが。

JBの刑務所で見たマンディー用の設備に似てないこともない。

 

会場には朝食が用意されていましたが、ホテルへ戻って5人で

朝食。その後。完全防備の姿で出かけた場所は、

 

 

とある草むら。歩くの大好き~どんどん行こう~。

間違った道を進んでしまったんだと後でわかるんですけどね。

 

 

ふりだしに戻り、脇道を進んだら見えてきた「日本人墓地」。

サンダカンの日本人墓地です。何とも言えない感動でした。

 

 

草ぼうぼうでよく見えませんが、私たちを迎えてくれました。

 

 

全部で5段。ここが4段目と思われます。

表は戒名なので、裏に回ってみたら俗名がありました。

 

 

文献の中で見たことしかなかった名前がここに刻まれている。

安谷喜代治さん、門教丸さん。そして木下おクニさん。

 

 

墓地から見えるサンダカンの海。

日本人墓地でのお盆はにぎやかで「30も40もの提灯が丘へ

上って行って、夜どおし絶えることなし」だったとのこと。

 

日本に背を向けているとか、山崎朋子さんが書いていますが、

ジョホール日本人墓地と同じで、お参りに来た人に誰のお墓か

わかるように建てられているだけのことだと、私は思います。

 

ここへ来ることができて本当によかった。

サンダカン探検隊の皆さん、本当にありがとうございました。

後発隊はANZAC DAY前日にサンダカン入り。
よって先発隊の2名は前日はセピロック詣でございます。

 

 

朝食は7時集合。席の確保のためにティッシュを置いた友人が、
SO SINGAPOREAN(←いや日本国籍だけど)でかわいい。

 

話をしながらゆっくりと朝食を食べていたら、もう7時45分。

10時の給餌タイムに間に合わせるために、9時頃到着予定で

計画をしていたため、慌てて部屋に戻りました。

 

 

セピロックまでのGRABは、なぜか裂きイカの臭いがぶんぶん。

おじちゃんは、「帰りも迎えに来るよ~」と何回も言ったけど

予定なんて未定&裂きイカの臭いでお断りしました。

 

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よく整備された遊歩道をひたすら歩き(←日陰で気持ちがよい)

給餌用のプラットフォームを通り過ぎ、まずはナーサリーへ。

 

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ここでは、エアコンが効いた部屋(2カ所も)から、オラン

ウータン親子の和やかな様子を観察することができました。

 

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森に帰りたくなくなるんじゃ?と思っちゃうほどの素敵な場所。

リハビリテーションセンターよりハーフウェイハウスっぽい。

 

 

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さて。給餌がされるプラットフォーム。

オランウータンじゃない普通のサルがお待ちかね(笑)。

 

 

おおっ。オランウータンさまご降臨。

クチンでもこんな場所に行ったことを、ここで思い出しました。

 

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森の人(=Orang Utan)じゃない人も鈴なりだったのですが、

給餌タイムの終わりとともに、三々五々いなくなりました。

私たちも出口へと移動。

 

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ヘタウマな壁画のパジェロに乗るオランウータンたち。

入口にもあったけど、三菱自動車がスポンサーなんですよね。

 

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はい。次は向かいにあるマレー熊保護センターへ。

ついでにぜひお寄りくださいね!と観光大使がお出迎え(笑)。

 

 

マレーシア観光年’26の観光大使のWIRAくんとMANJAちゃん。

果たして。こんなに可愛いマレー熊が中にいるのだろうか。

 

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あら。マレー熊って本当に小さいのね。

パンダって大きいと思ってたけど、この中じゃあ小柄だし。

ホッキョク熊の断トツの大きさには、改めてびっくりです。

 

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ちょこんと水浴びをしていたマレー熊。かわいいです。

近くでケンカらしい唸り声を聞いても、この仔はわれ関せず。

すっとぼけたところが、実にマレーの熊らしくて◎。

 

 

それより楽しかったのはお土産物屋さん。

友人はご家族にTシャツやキーチェーンを買っていましたが、

私はライライにぬいぐるみ、自分のためにトートバッグを購入。

 

ここだけの話ですけどね。さっきのオランウータンセンターの

お土産物はね。最近では珍しいくらいのイケてなさでしたのよ。

 

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セピロック周辺にはオシャレな宿泊施設がいくつかあるので、

そこら辺りでランチにしよう!と友人とググってみたところ

The Nestというレストランを見つけました。

 

 

えっ?こんな森の中に?と思ってしまうほどのセンスのよさ。

宿泊してるっぽい欧米人(←まあ水着だったんで)を借景に、

何を食べようか友人と話すのすら楽しくてたまらない。

 

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カラマリとアランチーニ、マルゲリータピザを選んだのですが、

なかなかおいしくてね。先発隊は街中ではなく、セピロックに

前泊すればよかったかも?なんて思ってしまいました。

 

ホテルに戻ったら、すでに後発隊の3人が到着していたので

近くのカフェで今後の予定を打ち合わせしてから、夕ご飯へ。

 

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海の近くへ行ってみたら、マレーシア海軍のお船がいっぱい。

外務省の危険レベルは下がったとは言え、まだまだレベル2。

そういう場所なんだなあと納得。

 

 

安谷喜代治さんのいたタンジョン・アルーは、対岸。

 

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遠くに見える陸地(←島じゃない)に思いを馳せてみる。

 

 

お夕飯の場所は、BA LINというルーフトップバーへ。

旧HSBCの近くのホテルの最上階+屋上にあります。

 

 

またもやカラマリとピザですが(笑)、おいしかったのでよし。

私はあまりフュージョン料理というのは注文しないのですが、

モクテルも塩梅よくスバイスが効いていて、なかなかでした。

 

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刻一刻と変わりゆく夕焼けの景色を楽しみながらの夕ご飯。

やっぱり日没は早く、まだまだ夜はこれから(笑)なのですが、

翌朝が超早起きのため、7時過ぎにホテルに戻ったのでした。

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空港からのGRABもすぐ捕まり、到着したホテルサンダカン。

 

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私はひとりだから、とシングルルームを予約しましたが。

キングかクイーンでもよかったかもしれない。

 

まだ3時過ぎ。友人はマッサージに行きたい!というので、

途中まで一緒に街を散策してから、別行動となりました。

 
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サンダカンと言えば、おサキさんのいた八番娼館の跡ですよね。
行ってみました。もちろんオリジナルの建物ではありませんが、1階にあるという薬局を目指して行ってみました。
 
 
Jalan TigaもしくはThird Streetの絵葉書は多く残っています。
ペナンでも同様ですが、Jalan と Lebuh は St と Ave の違い。
 
この道はLebuh Tiga ですが、どちらかと言えば Jalan っぽい。
でも「サンダカン八番娼館」に引用されている松男の出生地の
記載は「サンダカン第二横街参拾伍番地」とのこと。
現在の Lebuh は東西に走っていて、横街と言えなくもない。
 
なお。マレーシアの歴史グループでも「Brothel No.8」は事実として知れ渡っていて、 Third St にあったと受入れられています。
(=受売りするだけで誰も調べていないのかもしれないけど)
 
 
ということで。Jalan Tiga の絵葉書をもう一枚。
それでも娼館っぽい建物を確認できる絵葉書が見たいので、
まだまだ探し続けてみようと思います。
 
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海まではすぐ。おサキさんが魚を追い回したり、貝を拾った
場所はこの辺りだったんだろうか。
 
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サンダカンの昔の名前はELOPURAと言いました。
名付けたのはイギリス人将校のプライヤーですが、ドイツ人の
船長シュックが開いた入植地(Kg. German)が最古とのこと。
 
HOTEL ELOPURAには「死の行進」の壁画がありました。
KLからの便には、多くのオーストラリア人が搭乗していて、
私たちのホテルにも軍服を着たオーストラリア人がいます。
このホテルにもANZAC DAYの参列者は多いんだろうなあ。
 
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友人と別れて、まず行ってみたのはマレーシア噴水の周辺。
これは旧HSBCのビルですが、閉鎖ではなく移転した模様。
 
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こっちはボルネオ発祥のファーストフードのSUGAR BUN。
もとい旧Standard Chartered 銀行。コロナの頃にタワウや
ビンツルの支店と一緒に閉鎖したようですね。
 
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お店の中に入ったら、銀行時代の大きな金庫がありました!
入り口にも銀行らしい立派な扉が残っています。
 
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あまり食べたいものはなかったので、微妙なティータイム。
 
 
窓のお向かいには、1918年創立のHARRISON SABAH社。
元々はDarby&Companyという名前だったそうです。
 
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SCBの裏には数年前にはUOBとAIAがあった建物がありました。
この辺はサンダカンのダウニング街だったのかもしれませぬ。
 
友人とはホテルのロビーで5時に再集合のお約束。
夕ご飯にはサンダカン名物の海鮮バクテーを食べに行きました。
 
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場所はNam Tungという鄙びた漁村。
朽ちた映画館っぽい建物があったり、怪しげなCLUBもある。
 
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こんな建物には、ついフラフラ寄せられてしまいがちなのです。
 
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まずはお菓子がおいしいと聞いた金冠ベーカリーに寄り道。
サンダカン名物UFOタルトをゲットし、いざ海鮮バクテーへ。
 
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4軒ほど向こうの好味というお店を目指していたんですが、
GRABのおじさんがこっちが人気だと言うんでね(←人のせい)。
角にある南財バクテーに行くことにしました。
 
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何を食べようか相談しながら決めるのも楽しく、海老と魚片と
お野菜にしました。Alamak。スープの味はおんなじだった!
でも海老はプリプリ。こんな色なのにあっさりしたよいお味。
 
日没がジョホールより一時間ほど早いので、暗くなってから
すぐにホテルに戻ったんですが、なんとまだ7時前(笑)。
長い夜は、金冠で買ったおやつと共に過ごしたのでした。