Mount Sophia周辺散策 | EleMariRai @ JB

EleMariRai @ JB

三人の娘たちとフルタイムのワーキングマザー。
マレーシア最南端のジョホールバルでのあれこれを綴ります。

シンガポールの旧同仁病院の建物に工事が入っていると聞き、

用事のついでに行ってみることとしました。

 

image

 

が。すでに窓も外され、立ち入ることもできませんでした。

 

 

同仁病院は戦後すぐから1988年までMiddle Road hospitalに

なりました。敵性資産として英国に接収されたんでしょうね。

 

image

 

お隣は有名なDavid Elias building。ダビデの星があります。

最初のテナントはCOLD STORAGEだったそうです。

ここにあった「LE CAFE」にタルトを買いに来たことを、

数年前に拙ブログに書いたこともありました。

 

 

Middle Road周辺と言えば、戦前は日本人街だったのですが、

ユダヤ人コミュニティもあり、シナゴーグも近くにあります。

 

 

昭和の初めからは日本人会事務所もSelegie Roadに移転。

この写真は、1936年9月にベルリンオリンピック選手団が

寄港地だったシンガポールに立ち寄った時との記載あり。

 

image

 

次なる目的地は占領中に料亭「つるや」があった場所。

Middle Roadをそのまま進むと、道が二手に分かれます。

Sophia Flatsという素敵な建物があったのを横目に(笑)、

まず左側のSophia Rdを進みました。

 

image

 

コンドが立ち並ぶ合間に、古いテラスハウスが今もご健在。

 

image

 

こんな建物ばかりが並んでいた頃のことを想像してしまう。

 

image

 

料亭「つるや」に使われていた建物は、そのままありました。

 

image

 

元々は「南華女子中学校」。

女学校を料亭として使っていたんですね。まったく。

 

周囲の家も接収されて、どうも慰安施設になっていたようで、

大達市長が寺内総司令官に直接談判して閉鎖となりました。

 

お二人は碁友(←市長は素人初段)でウマが合ったようです。

碁を打ちながら、市政について聞いてもらっていた市長は、

「碁は下手糞だがいい人だ」と総司令官を評していました。

 

昭和29年10月7日の徳川夢声と大達市長との対談(週刊朝日)

にも、この南華女学校の話が出てきますが、

総司令官の公邸は現在のISTANAだったので、風向きによって

太鼓の音がタランカタランカ聞こえてきたんだそうです。

 

image

 

そのまま左のAdis Roadに沿って丘を登ると、こんな素敵な

建物がありました。「Tower House」と呼ばれる家です。

1892年にとあるディベロッパーのために建てられました。

 

お向いは元メソジスト女学校。道がぐるっと迂回しているので

その裏が元南華女学校。昔は学校が多いエリアだったそうです。

 

image

 

そのまま道なりに進んでいくと、ISTANAの裏に出ました。

これじゃあ、風に乗って太鼓の音も聞こえる距離ですよね。

 

image

 

右折して、Upper Wilkie Roadのつきあたりにあったのは、

旧日本国領事館。1939年から開戦まで使われていました。

開戦前の1940年11月には、鶴見憲総領事もここにご着任。

 

 

そんな経緯があるからか、日本軍のシンガポール攻略時には、

こんな写真が残っていますが。よく場所をご存じでしたこと。

 

ここは元々はSIAKのサルタンのISTANAだったそうです。

日本国領事館になる前には、池田さんという歯医者さんが

住んでいらしたそうですが。まさに豪邸ですよね。

 

 

中央通りと呼ばれていたMiddle Roadからは、正面の丘の上に

総領事館が見え、在留邦人たちは心強く思っていたそうです。

この写真はDavid Elias Building辺りから撮ったものでしょう。

 

image

 

ここからは細い抜け道を通り、Wilkie Roadへ下りれます。

右側に古い家があるのが見えたので、行ってみたところ、

Abdullah Salleh Shookerというユダヤ人の家だったそうで、

日本占領中に亡くなられた後、福祉施設として使われていた

そうです(名前からムスリムだと思ってしまいました)。

 

image

 

ドビーゴートからMRTに乗るため、CATHAYビルの前を通過。

背後にあったホテルはなくなり、またもや改装中であります。

 

 

往時はなかなか立派な建物だったようですね。

BBCマラヤのために建築されたビルだったので、占領中には

NHKが入っていました。小津安二郎もここに住んでいました。

 

image

 

さすがに疲れたので、Tiong Bahru Bakeryでひと休み。

昨日がお七夜だった新米ママのマリリンにもお土産を買い、

レモンタルトが売切れだったので、チーズケーキとコーヒー。

どこのお皿かと思ったら、ジョホールが誇るCLAY TAN!

気取っていないのはフランス人がオーナーだからかな(笑)。

 

全部の通りを網羅しようと、ぐるぐるっと迂回を繰り返して

歩いてきたのですが。実は何ヶ所か建物と建物との間にある

抜け道(=階段)を通って丘の下までおりることができます。

「Tower House」の脇からも、CATHAY裏のHandy Roadへ

下りてくることができますので、試してみて下さい。

100段くらいあるので、上りより絶対に下りをお勧めします。

 

なお。Mount Sophiaはラッフルズの二番目の奥さんの名前に

由来する、もしくはこの辺りの農園主だったプリンセップの

娘さんに因んでいるなどのいくつかの説がありますが。

隣接しているMount EmilyとMount Caroline(=ISTANA)が

同じくプリンセップの娘さんたちに因んでいるとのことなので、

Mount Sophiaも同じに違いない、と私は思ってます。