下手が良しとされるのには限界がある | 21歳大学生のCHANGE

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最強になるために

 

 

 

今日、会社のリクルーターの方と面談して、

割と心に来る、考えさせられる出来事が起きた。

 

 

 

 

いま、今どういう状態、気持ちなのか

どう決め切っていくのか

 

話を聞くことも、こちらから話すこともあった。

 

 

今日の大きな出来事は、

 

「自分が論理立てて話すことができた」

こと。

 

 

自分でも、結論からスムーズに話すことができたと感じる。

 

今日は詰まったり、どもってしまったり、ということが無かったなぁと思う帰り道。

 

 

・・・・・・今日??

 

 

 

 

 

 

思い返せば中学、高校、自分はそんなにアウトプットが苦手だっただろうか?

 

 

いや、ゼッタイ?そんなことない。

 

 

まじめな中高、勉強をしっかりとし、姿勢もまっすぐな中高、

伝えるのが下手、アウトプットが下手、伝わりにくい、何を話しているのかわからない

 

という課題はなかった。

 

 

じゃあ大学で自分の新しい弱みがわかったのかと言われたらおそらく違う。

 

塾講師をやってた何か月間、論理だてて、伝わるように話すことは必須。

その中で何人もの指名を受けていた。実は。

 

 

じゃあなんでアウトプットがこんなに弱く、本を読んだ方がいいとまで言われるようになってしまったのか

 

 

それは、

 

 

できる人より、できない人の方がおもしろがられる、愛される環境に身を置いてしまった、あるいは

その思考を身に着けてしまったからだと思う。

 

できる人はまじめちゃん。できない人は人間身があって親近感を持てる。

たしかにサークルでは、「バカ」が愛される風習はあった。

 

ただ、できないことを良しとする考え方はとても危ない。

できるに越したことはないのに、低いレベルで評価してもらうことで、本来普通の人ができるようなことを

できるようになっただけでもギャップですごい成長のように見える。

 

できる人からしたら、なんともばかばかしいだろう。

 

 

その癖が、自分にはついてしまったのではないか。

 

 

本を読む癖も、学習意欲もまじめさもある。

なのに、できない自分にあやかって、助けてもらおうと、子供っぽくいることで、一生懸命さを出そうとしている。

 

 

 

「バカ」じゃないと、面白くないのか?

 

 

 

自分のおもしろさは、ただ「できない」「バカ」の愛され可能性から生まれるものなのか?

 

 

 

 

違う、他にも自分の表現することはたくさんあるはず。

 

 

 

 

 

 

もう、バカにあやかる大学生の考え方はやめよう。

 

自分らしく、まじめでいい、本気出せ自分!!