こんにちは、エレガンテです。
皆さんはどんな絵画や画家がお好きですか。
エレガンテのエントランスはクリムト『水蛇』で生徒さんをお迎えします。
一糸まとわぬ姿で水蛇のごとく絡み合う若い女性たち、その恍惚とした表情は何ともいえず官能的で、それでいてイヤらしさがなく、上品で神々しさすら感じます。こんな風に女性を描けるクリムトは性を超越した畏敬の念を女性に抱いていたに違いありません。
そう、私はクリムトの描く女性たちが好き好きでたまらないのです
でっ、とうとう
ウィーンはベルヴェデーレ宮殿へ行ってきました!
<クリムト『接吻』を所蔵するベルヴェデーレ宮殿>
本場の『接吻』をご披露する前に、簡単にクリムトの紹介を・・
◆グスタフ・クリムト◆(1862-1918 55歳没)
ハンガリーからウィーン郊外に移住した貧しい金細工師の息子(7人兄弟の2番目)として誕生。17歳にしてオーストリア皇帝銀婚式の装飾に携わるなど、早くからその才能を発揮、実物より美しく描いてくれると上流階級の女性達に評判の画家となる。アトリエはモデル希望の女性たちであふれ、スポーツ好きで日焼けマッチョなクリムトは薄い頭部にも関わらずモテモテ、生涯独身なのに14人の婚外子あり。ただ、20年近く親密な関係だったのはエミーリエ・フラーゲ(1874-1952)。脳卒中とスペイン風邪で亡くなったクリムト最期の言葉は「エミーリエを呼んでくれ」。エミーリエもクリムトの死後、二人で交わした手紙を処分し、生涯独身を貫いたそう。
『接吻』のモデルはクリムト自身とエミーリエだと言われています。
愛らしい花々が咲き乱れる場所で抱きしめられキスを受ける女性。頬をほんのり染めたその表情は見る者すべてを同じ高揚感に包んでしまう。でもなぜか、二人がいるのは危うい断崖絶壁。
二人が結婚しなかった?できなかった?理由もそこに暗示されているのかもしれません。
<『接吻』 クリムト 1908年>
クリムトの作品はどこか東洋的な香りがしませんか。
それは当時パリで始まった日本ブーム(ジャポニズム)に強い刺激を受けたからなんです。浮世絵の平面的な表現や金を取り入れた豊かな色彩感覚・・、随所に日本を見つけることができ、何だか嬉しくなりますね。
「ねぇ、ダーリンはクリムトが日本の影響を受けていたこと知ってた?」
「え、そうなの?ああ、やっぱりね~。俺って天才かも」
「どうして?」
「クリムトの描く女性ってすました顔して官能的でセーラー服を着た熟女と同じなんだよ」
「セーラー服を着た熟女?!」
「そう、何も知らない無垢な女子高生と見せかけて、やることは百戦錬磨のプロ!このギャップがたまらないんだよ~。すげ~な俺、クリムトと日本の共通点を見つけちまったよ~」
「・・・・・」
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