みなさんこんばんわ(^_^)
「アントニオ猪木をさがして」と言うドキュメンタリーを観ました、おいらのブログではドキュメンタリーのレビューはないのですけどね
まずビックリしたのがナレーションが福山雅治と言う事、福山雅治が上京してバイト先で初めて見た有名人がアントニオ猪木だったそうです
おいらは小学生の時はアントニオ猪木の新日本プロレスとジャイアント馬場の全日本プロレスが両巨頭だったんです、ラッシャー木村の国際プロレスなんてのもありましたけどね
そんな中でも新日のアントニオ猪木が掲げる、プロレスこそ最強との言葉はインパクトありました、ストロングプロレスをモットーとして独自路線を進みます
まさかのボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリと異種格闘技戦をするなんて子供の頃はまさにドリームマッチで夢のようでした
それによってアントニオ猪木は何十億も借金を抱えてしまったのですがアントニオ猪木の名は世界中に轟いたのです、世界中から挑戦者が現れます、その中にはヒクソン・グレイシーの名も
極真空手でクマ殺しの異名を持つ、ウィリー・ウイリアムスとの異種格闘技戦も緊張感ありました、ゴングと同時にウィリー・ウイリアムスがアントニオ猪木の所まで数歩で間合いを詰めて飛び蹴りをした記憶があります
裕福な家庭に生まれたのですが事業が失敗して、心機一転でブラジルに渡ったそうです、何十日も掛けて船でブラジルに行き、開拓をしてコーヒー畑で働いていたそうです
そこで力道山の目に留まって日本で修行をする事になるのですが、同期にジャイアント馬場がいて、やはりマスコミの注目はジャイアント馬場だったそうです
藤原喜明のインタビューでアントニオ猪木は騙されやすくてよく投資をして金を取られてたって、そういえば日本にタバスコを輸入したのもアントニオ猪木が最初、権利を手放した後にブームが来たそうです
名言や迷言も収められていて懐かしかったです、「試合をする前に負ける事を考える奴がいるか!バシッ」なんかは本当に懐かしかった
政治家としての活動も収められていて湾岸戦争の前に人質状態にあった日本人と全人質の解放に貢献しました、その時に人質の奥様たちがアントニオ猪木にアレをしましょうと言って全員でダーッをしたそうです
おいらの人生においてもアントニオ猪木という存在は大きかったですね、他にも好きなプロレスラーや格闘家やボクサーもいますが、一番最初に熱中したのはアントニオ猪木かも
卍固めなんてどれだけ練習した事か(笑)、たけし軍団との激突でビッグ・バン・ベイダーも見たかった
ほなっ!(^_^)