
Hug & kissができない毎日が始まった。
自分たちにとっては、挨拶と確認、あるいは気持ちの安定剤のようなもの。
日本人は隠す傾向が強いのだけど、
声をかけるだけではなく、もう少しダイレクトに思いを伝える手段。
何もいやらしいものではない。
それができないフラストレーションは徐々にたまっていくのだと思う。
僕らのことを優しく見守ってくれているChristophe伯から自身のFBのwall上で、
中部フランスの城を見にリヨンへ来なさいと
名指しで呼びかけがあったのを見て、非常に驚いてしまったのだけど、
時間を作って必ず行きますとコメントを残した。
私がフランスのチーズの味とその歴史に感激したこと、
何より生活の中のデザインやセンスに、自分が求めていたものが沢山あることを
preciousが伝えていたようだ。
今思うと、人生は予期しないことの連続に違いないと改めて思う一方で、
そのすべてが、実は薄っすらと過去に見ていた風景に重なるようで、
とても自然に体に降りてくる感じがしている。
言葉がわからないことがどうしてもストレスになってしまうのだけど、
気持ちは言葉を介さずともじゅうぶん伝えることができている。
互いが心を開いた状態であれば多くのことはよい方向へと自然と流れていく。
私は離縁をして以来、長かったモノクロームのトンネルを抜け出し、
それまでのすべてを心の中で清算しようと努めてきた。
そうすることでしか、生きる糧を得られなかったというのが正直なところ。
「ねばならない」という世界を一切捨て、
自分に正直に生きようとしたとき、すべてが変わったのを覚えている。
本能の赴くままに、ここでの本能とは生きるための感覚であって、
差し迫った行動を伴っていた。
そんな時にpreciousと出会う。
人は無意識のうちに、真理を探しだし、そして確信する。
それはすべての五感に訴えるものが強かった。
初めて会った時の匂いや温度がすべてを知っていたのだと思う。
嗅覚にはじまり、すべての知覚が覚醒した瞬間を、
今でもはっきりと思い出すことができるほど鮮烈だった。
はじめは奇跡だとはかけらも思わなかった。
当たり前のことが当たり前のように眼前で繰り広げられているだけだと思っていた。
しかし、いまその偶然が、どうも当たり前ではなかったことのように思い始めている。
本来求めていたところへ、時空を超えて動いてしまった感覚は、
やはり普通ではなかったのだと今ではそう感じている。
この感覚はpreciousも同様に感じていて、
何より両親や周囲の友人たちが僕らより驚いている。
9500kmは、僕らには必要な距離だったのだと思うと、
魂というアイデンティティはやはり、人間の本質であって、
容易く消えはしないのだと確信している。
私たちは等しく時間を与えられている。
しかし、その時間の用い方は、その人次第で長くも短くもなる。
そして打ち寄せる大小の波に翻弄されながらも、
波を超えてゆく瞬間、瞬間を楽しむようプログラムされているのかもしれない。
自分に正直に生きる。
これが自分を強くさせる唯一の手段であることを、正にいま強く感じている。

LUKE








