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Luke & Soleil Company

Never let the light of hope fade in your heart!

昨日は上野の国立博物館へ行こうかと考えていたのだけど、

日本語学校の先生から江戸東京博物館を勧められていたようで、

閉館1時間半前に到着。

大浮世絵展を覗いてみた。

覗いてというのは、日曜でもあったので非常に混んでいて、

なかなかじっくりとは観れなかったからだ。



La Grande Vague de Kanagawa
Katsushika Hokusai
Musée Guimet, Paris


今まで複製のもので多くを見て知っていたものだけど、やはり迫力が違う。

自分は全くといってよいほど、浮世絵には関心が無いのだけど、

出展作品が、大英博物館、パリのギメ東洋美術館、シカゴ美術館など

著名な世界の美術館から集まっていたのには、改めて海外での評価の高さに驚いている。





自分にとっては、パターン化され、デフォルメされた顔がどうしても美人とは繋がらない。

そして当時の風俗といえば、遊女になってしまうのも、

色艶の華やかさはそこにしか見出せなかったのか、なんだかさみしいものを感じる。

(もちろん、最も分かりやすいモチーフで、

 人々の関心を容易に集める手段になるからだろう)

その中のひとつの作品に、唯一遊女がはだけて描かれていたものがあった。

遊女の中でも非常にランクの低い階級で、

その生活の哀れみを切り取って描かれたものだと、解釈されていた。

やはり艶やかさより、自分はその時に生きた人間の心情や

描き手の思いが伝わってくるものの方が興味深い。

浮世絵を見ていると、懐かしさというよりは、

線画や切り取った画面は明らかに現代の漫画、コミックに連なるものを感じる。

時代の移り変わりとともに変わる手法の変遷を観ながら、絵を描く時のヒントを得たような気がする。

煎茶狂のpreciousとお茶して帰宅。



なんだかとてもおいしかったような記憶が・・・でも名前を忘れました^^;


Enjoy the new Week!!
LUKE


身体を壊してから、外に連れ出す機会が減っていた。

日本語学校への行き帰りくらいだったので、

髪が伸びていたことを気にしていたこともあって、

急遽、美容室へ一緒に行くことにした。


二人同時にカットしてもらっている間、店内に響くpreciousの笑い声。

担当のヘアスタイリストと話が弾んだみたいだった。

英語のできる人がいて、ほっと一安心^^;


日本での初めてのヘアカット、何とか無事デビューできた。

日本語学校での授業も、前の学校よりも楽しそうに勉強している。

教師が理解している内容を把握しながら進めてくれているようだ。

そして記憶する時間を持ちながら進んでいるため、言葉の脳への沈殿もしっかりできている。


そんな姿を見ていると、自分の子供の頃を思い出す。

ステップ・バイ・ステップ。

自分も、始めの段階で理解できるような状況が整わないと、

すぐに学ぶ意欲を失い、学ぶことを拒絶してしまうタイプだった。

子供時代って意外と自分のモチベーションの高め方を知っていたのかもしれない。

段階を経て、積み上げることが語学に限らず学ぶ時にはやはり重要になる。


preciousが難しいといったり、いかにも日本的な覚えにくい言葉は、

自分も子供のころ母親に確認していたことと重複している。

いまでは当たり前のように話している言葉でも、頭の中で自分なりに理解しようとすると、

子供にとってはただ受け入れるということは難しいものだ。

また、ひらがな、カタカナの文字の書き方ひとつにとっても

線のつながりに空間があるかないか、つい普段のように続け字(草書体)で書いてしまうと

怒られてしまう(笑)


つまづく内容が不思議と似ているため、こいつほんとにフランス人なのか?

と思うことが多い。


さあ、今日は何を食べさせようか・・・料理のことを考えると頭が痛くなる(笑)





よい週末を!
LUKE
昨日から、また新たな日本語の学習が始まった。

preciousにとっては嬉しい気持ちでいっぱいのところ、

私の方は、また自分のメンテナンスを怠ったため、

歩くのが困難になり、カイロプラクティッククリニックへ。


治療を受けると一旦は改善するのだけど、鈍い痛みにすぐ負けてしまう。

治療を受けて家で安静を保つようにしていると、

「ただいま、シェリ!」と大きな声が玄関で聞こえる。

習いたての日本語にご機嫌な様子。


やはり、私が教えるよりも当然ながらロジカルに教えてもらっているみたいだ。

ホームワークに付き合い、たった一回のレッスンなのに

だいぶ発音が自然になったように感じる。


フランスでは、6才から義務教育(正確には基礎教育)が始まると、

まず「友達は優しい」などのいくつかの短い文章を暗記させられる。

しかしここに問題がある。ほとんどの子どもたちにとっては、初めての文字の羅列。

親子や子ども同士の会話はできても、アルファベットがまだ確実でない状態。

一から教えるロジカルなシステムはここには存在しない。

学校から帰ってきた子どもに親たちが必死になってアルファベットから教えるそうだ。

子どもたちにとっても親たちにとっても、この始まり方はかなり不評のようだけど、

フランスの教育省は何も変えようとはしないのだそうだ。


意外な側面に驚くとともに、日本と比較してしまいがちだけれども、

フランスの子どもたちが早い段階から、このような試練を課せられ、

やはり母国語の難しさの洗礼を受けているのかもしれない。





言葉とは、そのものだけでその国の文化を表現している。


日本では不公平さが伴っていても、我慢をしたり、

自らの努力でそれを乗り越えようとしてしまう。

しかし、これは本来の平等ではない。

そのようにできる人たちばかりではないからだ。


フランスでは何か社会問題が生じると、すぐにデモやストライキが頻発する。

これはお世辞にも褒められたことではないけれど、

それに比べると日本人は、良くても悪くても、

なるべく衝突を避け、和を貴ぶ気質が根底にあるのを再確認する。


エッセンシャルオイルで痛みのある腰から背部をマッサージしてもらったとき、

必死になってくれているその気持ちが痛いほど伝わってくる。


手をあてられることで、うそのように改善する。

preciousは、私が医師であるのに、

代替医療ばかりを選択しているといって笑う。


私は代替医療の限界も知っているつもりだ。

しかし、その可能性を大切にしたいと思っている。

なぜなら障害や疾患というものは、

すべてを貫く調和が乱れて生じたもの。


そのことを考えると、一方向の治療だけで済むはずがない。

少なくとも、肉体的側面と心的側面の両方からのアプローチが欠かせない。

その手法は、個々人が存在するように、点と点を線で結ぶアプローチにばかりには

頼ることができない。

治療法にも個性があってしかるべきだと考えている。


しかし、念力だけでは多くのものは動かすことはできない。

だからこそ、私たちのような仕事は存在する。

代替医療、私はとても大切なものだと考えている。


しかし、あまりにもエビデンスの伴わないものは捨てる勇気が必要だと思う。

すべてに寛容では、拮抗してしまう矛盾が生じてしまうだろう。

それでは本末転倒に他ならない。

学びたい、日常に取り入れたい知恵がまだまだ沢山ある。













よい休日をお過ごしください!
LUKE