INDIGO BLOG

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見えなかったものが現れてくるINDIGOな時間

Amebaでブログを始めよう!

明けましておめでとうございます。

みなさま、どのような年末年始をお過ごしでしたでしょうか。


私は今までで一番忙しくしていたような気がします。

身内に病人・怪我人続出で、ナイチンゲールのような心情でした。

私自身は体調バッチリなので良かったです。


さてこちらのブログ、久しぶりにログインいたしました。

今年も引き続き、インフォブログでは書かない/書けないことを

思いついたときにのんびり書いていきたいと思います。


ご心配いただいている父の件、先月より厳しい現実が明らかになり

ますます瞑想が必要な状況になっています。。


そんな時だからこそ、家族が協力しあって、文字通り助け合っています。


父は父で、自分自身や人生をみつめる時なのだと思いますが

家族にとっても、再びつながることをみつめる機会なのだと感じています。


このことはインフォブログにも書いています 。こちらは毎日更新!


私には姉と妹がいるのですが、自然とそれぞれが得意分野(?)に

エネルギーを注ぐような動きになっているのも興味深いです。


冷静さを保ち、人と人をつなぐことが得意な姉は

私たちみんなを全体的に見て調整するような役割です。

度胸(?)があるので、ここぞという時に大事な働きをしてくれるのも姉です。


現実を確実に理解しておきたい、という頭脳派(?)な妹は

病気について書かれた本や情報を得て、安心感を与えてくれています。

彼女自身、大病をしたこともあるので父の良き理解者でもあります。


私はというと、民間療法、というかエネルギーワークでサポートできたらと思っています。

鍼灸やビワの葉療法、レイキ、マッサージ・・・もちろんオーラソーマも。

父は、鍼灸はともかく、エネルギーワークを受け入れるタイプではないので、

病室にさりげなくボトルを置いたり、空気を浄化したり、ヒーリングしたりする予定です。


それぞれが祈る中、いつも心の底にあるのは

結局は父がどうしたいのか、父には選ぶ自由がある、ということ。

勇気のいることだけれど、それを忘れてはいけないように感じます。



個人的にいろいろありながらも、KAYAMでの活動は今年も変わらず続けてまいります。

あのくつろいだスペース、愛と光に満ちたひとときをシェアできることが

私にとって何よりの喜びでもあります。


2011年も、どうぞよろしくお願いいたします◎


KAYAM からだとこころの休憩所

10年ぶりにLily Chou-Chouが復活するということで、中野サンプラザへ。


映画「Lily Chou-Chouのすべて」。

あんなに救いのない、しかしながら美しい映画って見たことがない。

見る前には少しの心構えが必要(?)な感じですが、何回も見ています。


さてライブは、   Salyuでした・・・・・・・


Lily Chou-Chouの、けだるくて無機質だけどすべてを包み込むような

ボーカルスタイルが大好きだっただけに、正直なところがっかりもしたのですが

演奏や映像を含め、とても楽しめました。


変化したLily Chou-Chou。


「10年経った今、地に足をつけて力強く生きることを選んだLily。

 置いていかれた私はどうしたらいい?」


そんなコメントがツイッターにありました。


素敵な感性をお持ちじゃないですか!って思いました。


それはそうと、中野サンプラザ。

小学生の頃、ちえみちゃん祭り*に行って以来のような気がしますが、

こちらは全然変わっていなくて。


* スチュワーデス物語の頃。お土産は「JAL」と書かれた赤いキャップだったような。

サロンインフォBLOG の方で、「愛が何か知りたいですか ?」などという記事を書いてしまった。


書いてしまった、というのは、自分で「え~?それあなたが言う?言い切っちゃう?」

っていう内容だからです。


こちらのブログのテーマ、「やって来たこと 」と同じカテゴリに属しているようです。


つまりは、自分自身で書いたというより、書かされたというような・・・


このところ、エネルギーに繊細になるだけでなく

あれやこれや面白いことになってます。


クリシュナの瞑想会に参加してきました。


日々、ボディワークで身体を使っていますが

今日はいつもと全然違う筋肉を使ったことがよくわかる。


ダンスする身体、自由なリズムと動き。

心地よい疲労感の中に漂っています。


直前まで、「今日はいっぱい泣くんだろうな、悲しみが出てくるんだろうな」

って思っていたのですが、いざ始まってみると悲しみはすぐに去って、

その後は不思議な感覚がありました。


私の身体のエネルギーフィールドがどんどん広がっていって

他の人たちのエネルギーフィールドに溶け込んでいきます。

そしてそれがひとつの、おおきなエネルギーとして存在していました。


あぁ、これがひとつであるということ。


私と他の人たちとの区別がないような感覚。

この人は、私だ。あの人も、私だ。

みんなひとつなんだな、と身体で体験しました。


この感覚がもっと拡大すると、木々や風や、花や星々とも

ひとつなんだ、という感覚になるのでしょう。


ワンネスの香り。


光明を得た人は、いつもこの感覚の中にいる。


残念ながらその感じは、いつまでも続くことはありませんでしたが

私にとって大きな一瞥となりました。


そして、生も死もひとつである、というくつろぎの中に

一瞬でもいられたことが、一番のギフトでした。


このくつろぎが父にも届くことを願います。


クリシュナと、一緒に瞑想した仲間達に感謝します。

そしてもちろんOSHOに。


ちなみにektaという私のサニヤスネーム、

意味はワンネスとユニークです。

父は風邪でもひいたかのように、気楽なままでした。

「騒がれると重病人みたいだからやめてくれ」と。

メソメソしていた私が馬鹿みたい、と感じるほどに・・・

これまでとまるで変わらない、ふざけた父でした。


それでも、一人になった時にはやっぱり落ちるときもあるのかな?

と想像すると、また胸が痛むのだけど

私が心配して不安でいることは、父にとって辛いことだと思うので

ただただ父の身体に、光を送るイメージを続けています。


明日、前から予定していた瞑想会に参加してきます。

なんてベストタイミングなの!