人が本質的に変化していく時って、助走期間を経ての、最終的なジャンプ!
というプロセスを取るように感じます。
コーチとしてクライアントさんと長い間関わらせていただく時に、
何人もの方に共通して感じてきたことです。
個人的に、この一連のプロセスを野菜のタマネギに例えて、
クライアントさんにお伝えすることがあります。
ふと思い立って、その説明自体をまとめておこうと思いました。
題して《変容のタマネギ論》
3回に分けて書いてみます。今日が一日目です。
たとえば、落ち込んで悲しくなったり、自分自身に腹が立つ時ってありますよね。
私もしょっちゅうあります。
そういう時は、自分自身の“できていない(と思っている)ところ”や
“ダメ(だと感じている)ところ”に目が釘付けになっていませんか?
“あ~あ、ここがダメだなぁ私”と思うところ…たとえば“片付けが苦手”とか、
“思いやりがない”など…を、直したいという人は結構いらっしゃいます。
その努力はきっとうまくいきます。
なにがしかの形で片づけは上手になっていくし、思いやりを示すこともできるようになってくるでしょう。
しかしここからが《タマネギ論》なのですが、
遅かれ早かれ、“やっぱり私は片付けが苦手だからダメだ”とか、
“やっぱり思いやりがないや”と感じるような出来事が、またやってきます。
タマネギの皮は、いくらむいても同じような中身が出てきますね。
あれと一緒で、“あー、おんなじことで落ち込んでいる”と思わざるを得ないような出来事が、
やがて訪れます。
なぜこんな風に断言できるのか。
それは、「理由は自分の側にあるから」です。