今週は主人公の周りの人たちの外伝的ストーリー。
昨日今日は世界的オペラ歌手 双浦 環(ふたうら たまき)さんの若かりし頃の物語。
今日は、環の当時の恋人 今村嗣人(いまむらつぐひと:画家)さんのセリフに
深く感じるものがありました。
〈五つの傷〉の物語として、とても分かりやすい表現だと思ったのです。
画家として中々羽ばたけない中で、環がオペラ蝶々夫人の主役に抜擢されて
オペラハウスの舞台に立つことを知った嗣人が、心の苦しさを環に吐露します。以下、嗣人の言葉です。
… … … … …
俺が、町のカフェで個展をやらないかって言われていい気分になっている時に、君はオペラハウスだ…。
(中略:嗣人は絶望のあまり、自分の描いた絵を傷つけてしまいます)
君の失敗を願ってる。
どんなに喜ぼうとしても、心の奥底から嫉妬があふれてくる。
俺は、君といるオレが嫌いだ。
君といると、オレはどんどんイヤなやつになる。
オレは、君という光の陰でいるのは、耐えられない!
… … … … …
そして、環に「きみを愛している。歌をあきらめてくれ」と言ってしまいます。
彼の心の傷がとてもとても痛かったからです。
彼の器が小さかったわけではなく、
人間的に幼かったわけでもない。
たとえば物理的に怪我をしている手をギュッと握られたら、
痛さのあまり、反射的に「イタいっ!」と叫んで手を引っ込めてしまいますよね。
同じように、心の傷にギュッと触れる出来事があると、
反射的に“自分のなりたくない自分”になってしまうのです。
だから、“俺は、君といるオレが嫌いだ。君といると、オレはどんどんイヤなやつになる”のです。
もし仮に、環が歌をあきらめて、嗣人を支える役回りに徹したとしても、
嗣人の心の傷は癒されるわけではありません。
傷に絆創膏を貼って、見えないようにしているだけで、
ギュッと握られたらいつでも「イタいっ!」となるのです。
傷を癒さなければ、何も変わらない。
嫌だと感じる出来事(環がオペラハウスに立つのに、自分は町のカフェでの個展どまり…のような)は、
とても辛く感じるけれど、傷がどこにあるかを教えてくれる、大切なサインなのです。
辛いけれど、相手を変えようとせず、自分も安易に変えようとせず、
ただ向き合って“傷が痛んでいる”ということに気づく必要があり、気づくことが、癒しにつながります。
そのプロセスを、人間関係カウンセリングでお手伝いしています。
今日の朝ドラで、環は、自分は“光でいる”ことを選びました。
いつも通っているカフェの店主に、環は聞きます。
「傲慢ですか?」
店主は答えます。
「自分に嘘をつくことが最大の罪です。それでいい。それが君の人生だ」