☆第2の人生…父の死☆ | 幸せかどうかは自分次第❣️ご機嫌ライフの送り方

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デュアルライフ歴18年。主に大阪・島根でヨガレインストラクター、ベビーマッサージetc…をしております。

お仕事からプライベートまで、色々な出来事を書いています。

読んでご機嫌になって頂けたら嬉しいです。

小学校3年生から
保育士になりたくて

大阪の短大で
保育士資格取得
島根に帰り
私立の保育園に勤めました。

そこで、生後45日の赤ちゃんを
1年間みられたことは
後のわたくしの
育児でかなり役に立ちました🎵

本当は結婚してからも
保育士として働きたかったのですが

狭い町なので
わたくしが年の離れた男性と
お付き合いしていることが
保育園の園長先生の耳に入っており😅
何だか、勝手に
結婚する→夫の会社を手伝う→辞める
と思われたようで💦

今でいうところの
パワハラ?
途中から
かなり風当たりがきつかった事を
覚えております(笑)😁
(お仕事は楽しかったですし、根性はありましたので、大したことではなかったですが)
今となっては笑い話ですけどね。

噂どおり
1年務めて保育園は退職
21歳のときに
結婚いたしました。

夫の会社の事務をしながら
代替保育士として
市内の保育園で働いておりました。

22歳の時に長女を出産👶
24歳の時に長男を出産👶
26歳の時に第3子を妊娠しましたが
3ヶ月検診の時に
「心臓が動いていない」と判明
不思議なことに
お腹が痛かったり、出血したり
症状がなかったので
諦められない日を暫く過ごしましたが
残念な結果になりました😢

ですが
その1ヶ月後に

父が肝臓癌にかかり
余命3ヶ月の宣告を受けたのです
(本人には告知せず、最後まで知らずに逝きました)

入院中(出雲の病院)
母は毎日病院に泊まっておりましたが
両親も事業をしていましたので
時々わたくしが交代することもありました。
時々、というのは
父がどうしても
母でなければいけなかったのでね😅

亭主関白な父でしたが
お母ちゃん大好きだったようです❤️

時々ではありましたが
もし、わたくしが第3子を妊娠していましたら、二人の子どもをつれての看病は
なかなか大変で😱
思うようにいかなかったのではないかと思うと

赤ちゃんは
わたくしがきちんと看病出きるように
リタイアしてくれたのかな?
と思います。

人生、上手くいっているなぁと思います。

父は3ヶ月の闘病後
宣告通り亡くなりました。
52歳の若さでした。

わたくしが早く結婚したのも
きっと孫を見せてあげるためだったかな
と、思います。
長男は2歳でしたので
余り記憶にないようですが
長女は可愛がって貰えたことを
覚えています。
一緒にお散歩に行ったことや
お買い物にいって
上から下まで一式
着替えて帰って来たこともありました🎽↔️👗(笑)

父の死は
ショックではありますが

わたくしには、家族が出来ていましたので
ずっと悲しんでいる時間もなく
子ども達がいたことで
悲しみを紛らわすことが出来たんですよね🍀
母も居ましたし。。。  

父の死後
なかなか出来なかった第3(4)子
諦めかけていた頃
29歳で出産と成りました👶

父がなくなってから母は
毎日のように
仕事終わりに
孫に会いにきてくれていました。
おやつや果物をいつも持ってきてくれたり、日曜日になると
弟家族と一緒にご飯を食べに連れて行ってくれました🌃🍴

父の分も
色々としてくれていたのだろうと思います。
親って有難いですよね。

元気な母が
突然、脳梗塞で倒れるなんて

人間何が起きるかわからないわ
と思いました。

母が倒れ
わたくしの中で
少しずつ
第3の人生への歩みが
ゆっくりゆっくり始まったようです。
第3の人生の始まりについては
次回にでも

第3の人生から現在は
⬇️