前回のこのブログの続きです。

 
夜が明ければ、ほかほかの美味しいパンが待っている~
こんな素朴なパンが「外はカリッ、中はふんわり」、小麦の香りが豊かでほのかな甘みがあり、バターなしでも美味しく食べられました(私の人生における美味しいパンランキング同点1位を獲得ラブ
 
プラハの市内は観光客しかいないのでは?と思うほどに観光客で溢れていましたが、やっぱりアジア人とは皆様バカンスの楽しみ方が違う(ヨーロピアンかヒスパニック系?)
寒かろうがなんだろうが、屋外でゆったりワイン、ビール~
 
さて、プラハでの足もやはりトラム
プラハ市街地は信号が極端に少ないんですよ
基本的に歩行者とトラムが優先で、車は石畳の上をタイヤをボコボコ言わせながらゆっくり走って先を譲るしかないですDASH!
 
私たちもトラムに乗って移動、ところが…。
「ガコン」
あれっはてなマーク
急停車→車内なんの説明もなし→乗客勝手に降りる
降りてみたらこんなでしたびっくり
怪我人はいない模様
警察の駆けつける速さ風のごとしビックリマーク
しかたがないので、徒歩で現場からフェイドアウト~パー
 
そして遂に本丸キタ~
丘の上に建つプラハ城の聖ヴィート大聖堂
観光客うじゃうじゃ
 
 
中はステンドグラスが神々しいキラキラ
 
このプラハ城の敷地内にある「黄金の小道」ではお土産販売とともに昔の職人さんの生活道具の展示もありました(青壁の家はカフカが居住していた)。
でも、ここで気を抜いてはいけません。
錬金術師の部屋とか「へ~」とぼんやり眺めていると、ふいに「拷問器具」がど~んあせる
 
苦手な方は以下写真一枚スキップしてください。
う~ん、どうやら中世の異端審問や魔女狩りの為の道具らしいです。
トゲトゲ椅子とか、身体を括り付けて引き延ばす道具?とか、じょうろ付きの仮面は何か無理やり飲ませるためなのかガーン
…ちょっと拷問のアイデアが豊富すぎではあせる
この下に拷問道具の展示写真アリマス(小さめにしてみた)
ガイドブックには拷問の「ご」の字も書いてなかったのに~滝汗
今度から「プラハ城に拷問器具アリマス」とか書いておいてもらえませんかね。
(この他、敷地内の裏門付近に何の説明もなくドカンと拷問部屋もあった)
 
ということで、お口直し写真をどうぞウインク
プラハ城の近く、同じ丘の上に建つ聖ストラホフ修道院を出たあたりからのプラハ市街地の眺めはそれは素晴らしく、空も広く…。
ホテルのレセプションの人が「行きはトラムで、帰りは歩いて下りてきて」と言っていた意味がわかりました。
 
さて、チェコは社会主義だったなごりで学食や社員食堂みたいな簡素な食堂「イーデルナ」がいくつもあります。
この店の本日のメニューは、ピラフかお肉のシュニッツェル(カツレツ)かベジのシュニッツェルの三つ。
お豆のスープとドリンクとパウンドケーキが付いて120コルナ(約800円)というありがたいお値段ラブラブ
この店はガイドブックに載っていないので、観光客ゼロ
オーストリアもチェコも若い人は英語が上手ですが、ここの食堂のおばちゃん達だけは英語が全く通じず、居合わせた学生さんにチェコ語と英語の通訳をお願いしました。
 
モルダウ川クルーズ船から臨むプラハ城とカレル橋
 
このクルーズ船の船着場から徒歩すぐのところにユダヤ人街があります。
プラハのユダヤ人街「ヨゼフォフ」はヨーロッパで最も古いシナゴーグ(ユダヤの会堂)の一つが残されています。
 
右の三角屋根がその「旧新シナゴーグ」で、今もここだけは現役の祈りの場(この地区の他の5つのシナゴーグは博物館になっている)
私たちは入りませんでしたが、料金を払うと中に入れてくれます。
この「旧新シナゴーグ」の写真左手には「パリ通り」が続き、シャネルやエルメスなどのハイブランドがずらりと軒を連ねています。
 
「旧新シナゴーグ」の入り口には、ユダヤ帽子をかぶった男性ともみあげをクルクル巻きにした男性が立ち話をしていました(さすがに写真撮っていいかとはきけず…)。
この場所に、ユダヤ人を守って悪い奴をやっつける「ゴーレム」が眠っているという伝説があるそうです。
 
小さな通りを挟んだ隣にはダビデの星を戴いた時計台
左下の時計の文字盤はヘブライ語で逆回転
ユダヤ人街にも観光客がたくさんいましたが、皆、神妙な顔でウロウロしていました。
 
ここは「旧新シナゴーグ」のすぐ近くにあるユダヤ人墓地
なぜこんなに壁が高いのかというと…。
土地が狭いので墓地が埋まったらまた新しい土を盛ってその上にお墓をつくっていって、もう十二層にもなっているから。
 
10世紀頃からユダヤ人が住み始めたというプラハのユダヤ人街では、虐殺と略奪と放火、追放と呼び戻しが繰り返され
いっぽうで16世紀から17世紀には繁栄を極めてヨーロッパ最大のゲットーと呼ばれ…。
 
そしてナチス・ドイツ期に、ここのみならずヨーロッパ全土のユダヤ人達がどんな凄惨な迫害を受けたのかは、私たちも概ね知るところです。
 
ハイブランドのお店が立ち並ぶ表通りも、奥まった裏通りも、ユダヤ人街は全体が静寂に包まれていました。
息をひそめていて生活の匂いがない
街が「沈黙」している感じなのです。
 
沈黙しながら今も、一瞬でも気を緩めることなくユダヤ人は存亡をかけたせめぎあいを続けているよう…。
閑静なユダヤ人街に残されたいくつかのシナゴーグ
その内の一か所の壁にはこのように
イスラエルで拉致された行方不明者の写真が貼られていました。
黒帯で斜めにmurdered(殺された)と書かれた写真もありました。
なんとしても生き延びるというユダヤ人の意思を「沈黙」によって強く強く示している…、そんな街だと私は感じました。
 
もちろん、そこにガザで命を奪われたり、命の危険にさらされている数多(あまた)のパレスチナ人に関するものは一切見当たりません。
 
ただ、今も刻一刻と…終わらない歴史が刻まれていくのを目の当たりにした思いです。
 
「光が強ければ、影もまた濃い」(ゲーテ)
4月下旬のプラハには、目を細めたくなるようなまばゆい日差しが降り注いでいました。
 
世界中の人々を魅了する街、プラハ
その輝きが比類のないほど美しいのは、背後に歴史の色濃い影をまとっているからかもしれませんね。
 
今回のオーストリア、チェコの旅レポはこれでやっと完結です。
長いことお付き合いいただきありがとうございました。
ではまた。

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