マラソンというのは過酷なレースだなあ。
昨日の大阪国際女子マラソンをみていて、つくづくそう思った。冬場のスポーツとはいえ気温5度、終始雨のなかのレースで、勝負どころとなる30㎞すぎからは雨脚がいっそう強くなってしまった。
赤羽有紀子といえば、最強のママさんランナーとして知られ、若手の台頭がない女子マラソン界にあって、一縷ののぞみをたくす選手だが、そういう女子長距離界にとっても、本人にとっても、骨身にしみる涙雨になってしまったようである。
赤羽は衆知のように2週間まえから左ひざをいためていた。夫でありコーチであもある赤羽周平さんのブログ「ランナー赤羽有紀子のアスリート日記」(http://ameblo.jp/redwing36/ )によれば、故障は相当深刻なものであったことがうかがえる。
だが、あえて出場にふみきった。「明日のレースへの出場ですが、『冒険』や『強行』という言葉は適切ではないように思えます。」とあり、「どのような結果になっても後悔しないと決めての出場です。」とある。
日記のタイトルそのものが「覚悟」であり、文字通り「覚悟の出場」であった。おそらく痛み止めの治療をほどこしての出場だったのだろう。そのことの是非については、何を言っても結果論にしかならないから、いまさら何も言うまい。
スタートまえ、赤羽は顔の表情もどこか緊張ぎみだった。レースがはじまっても最初は集団の外でようすをうががうようなそぶりだったが、やがて軽快なフォームがよみがえると、集団の中心にやってきて、レースを支配するようになった。
前半は赤羽を中心にレースはうごいていた。大会新記録をうわまわるペースで先頭集団をひっぱった。余裕のある走りにみえて、故障あるなんて微塵もをかんじさせなかった。大阪城にはいるまでは主導権は赤羽の脚にあった。
だがマラソンはそんなに甘くはなかった。決意や覚悟だけで乗り切れるものではないということの証というべきか。大阪城にはいる直前で集団からおくれ、城内のあの下り坂で脚にきて一気においてゆかれた。
30㎞手前ではもはや赤羽のレースは終わっていた。だが、赤羽はまるで夢遊病者のようになりながら、それから8㎞も走りつづけたのである。はっきりいってムチャな話である。
故障をかかえているのが明白なのだから、そこで止めればいい。本人が決断できないのなら、誰かが止めてやらねばなるまい。本来はコーチの役割だろうが、赤羽選手のコーチは夫だから、思い入れが強すぎて、それはムリというものであろう。
期待をかける選手ならば、大会関係者がムリにでも……という手立てはなかったのか。それにしても奇異に思ったのは、テレビのゲストや解説者が、なんとも奥歯にモノがはさまったようなことしか口にしなかったことである。「本人が決断しなければ……」とか「止めさせられるのはコーチの周平さんだけだ」とか。
紋切り型の解説しかできない。「赤羽、もうやめよう」と言うべきだった。期待をかけるランナーならばなおさらのことである。それが言えなかったのは、深刻な故障がありながら、あえて出場にふみきった赤羽陣営とおなじ背景をかかえているからだろうと思う。
そんななかで有森裕子だけはちがった。彼女は「これ以上、走りつづけても、何も生まれるものはない」とはっきり言いきっていた。つねに故障をかかえながら、2度のメダリストとなった有森まらではのセリフである。有森の解説はそれほどウマくはないが、心はつねにランナーによりそっているようで好感が持てた。
ブログには「これもすべてを糧にできると判断し、明日のスタートラインに立つことに決めました。」とあり、「明日はどのような結末となるか分かりませんが、忘れられないレースになると思います。」ともあるが、それにしても、あまりにも過酷な現実を目の当たりにして、ただただ溜息をつくのみである。