蒸気機関車とデカ盛り
「龍馬伝
京急線の神奈川駅から大通りを過ぎると、急激な坂でクルマが通るのを阻まれます。
長い階段の先の右手に見えている建物が今回の目的地の「田中家」さんです。

「田中家」は神奈川宿にあった料亭で、幕末を語る上では欠かすことの出来ない英雄である坂本龍馬の妻・お龍(りょう)が、維新後にここで働いていたことがあると言うスポットです。
ホントは食事に来てみたいのですが、食べログを見てみるとランチでも一人2万円台とちょっと手が届かないため、今回は「幕末巡り」と称して外をウロウロしてみます(笑)
階段の途中からは田中家さんの敷地が続き、登りきった所は「台町9」という住所表示になっています。
道も細く入り組んでいるため、クルマで訪問するのは難しそうですね。

歴史ある宿場町なので店の前には当時を思わせる解説が用意されています。

龍馬の妻・お龍(楢崎龍(ならさきりょう))は、龍馬が暗殺された当時、下関にいたそうです。
その後、龍馬の実家である土佐の坂本家、土佐・安芸の 千屋(ちや)家(海援隊隊士・菅野覚兵衛(すがのかくべえ)の実家)、以前働いていた伏見の寺田屋、そして江戸へと、昔の龍馬の知人・縁故をたどって転々とその住まいを変えました。

そして、明治7年(1874年)ころに勝海舟の世話で、この神奈川宿の田中家で仲居として働くようになったそうです。

建物自体は改築されたものだそうですが、店内にはお龍さんの写真なども置かれているそうです。
彼女の晩年は、端から見て幸せなものとは思えませんが、日本を代表する偉人の妻が働いていた場所に、しばし感動のひと時を過ごしました。
いつか宝くじが当たったら(買ってないけど・・・)食事をしてみたいですねぇ♪
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翌明治8年(1875年)に西村松兵衛と再婚し、西村ツルとなり、横須賀で暮らした。
安 岡秀峰や中城仲子(覚兵衛の姪)の証言によれば西村松兵衛は元は呉服商の若旦那で、寺田屋時代のお龍と知り合いであり、維新の動乱時に家業が傾き横須賀に 移り住んで大道商人をして生計を立て覚兵衛の家にも出入りしていたため、覚兵衛(またはお登勢)の世話でお龍と結婚することになったという。
また、料亭田中家で仲居をしていた時に松兵衛と知り合ったという話もある。
松兵衛との入籍後に母・貞を引き取り、妹・光枝の子・松之助を養子とした。
明治24年(1891年)に母・貞と養子・松之助を相次いで亡くしている。
明治16年(1883年)、土陽新聞に掲載された坂崎紫瀾の『汗血千里駒』がベストセラーとなり、それまで忘れられた存在だった龍馬の名が広く世間に知られるようになった。
明治39年(1906年)1月15日にお龍は66歳で死去した。
墓は横須賀市大津の信楽寺にある。
墓碑には夫の西村松兵衛の名ではなく「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれている。
また、龍馬の眠る京都霊山護国神社にも分骨された。
※ウィキペディアより
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□割烹 田中家 (かっぽう・たなかや)
TEL:045-311-2621
神奈川県横浜市神奈川区台町11-1
営業時間 11:30-14:00,17:00-22:00
定休日:不定休
駐車場あり
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2012/12/17 08:30 天候:晴れ
測定値:0.09μSv(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)