2002年12月31日、日本の格闘技界にとって歴史的な夜となった。
さいたまスーパーアリーナで開催されたK-1の**『Dynamite!』が、NHK紅白歌合戦を超える視聴率を記録したのだ。
瞬間最高視聴率は50%超**、平均でも**43%**を叩き出し、国民の半数が格闘技に熱狂した瞬間だった。
一方、同じさいたまスーパーアリーナでは昼にPRIDEの**『PRIDE 男祭り 2002』**が開催され、こちらも約35,000人の観客を動員。
つまり、同じ会場でK-1とPRIDEが別々に大会を開催したという前代未聞の状況だった。それに猪木祭りが参入するという三つ巴の格好を呈していた。
格闘技界全体が紅白に匹敵する存在感を持った瞬間であり、「格闘技の時代が来た」と多くのファンが確信した。
しかし、あの頃の熱狂ぶりを振り返ると、「よくここまで夢中になれたな」と、自分の純粋さに少し恥ずかしさを覚える。
格闘技が日本のスポーツ界の主役になると信じて疑わなかったが、結果的にはそれほど長く続かなかった。
猪木対アリが生み出した総合格闘技の流れ
2002年の格闘技ブームの源流をたどると、1976年のアントニオ猪木 vs モハメド・アリ戦に行き着く。
異種格闘技戦の概念を生み出し、その影響は後のMMA(総合格闘技)に受け継がれた。
そして1990年代後半、K-1とPRIDEがそれぞれ急成長し、ついに2002年の大晦日には日本のエンタメの頂点にまで上り詰めたのだ。
この夜の象徴的な試合といえば、ボブ・サップ vs 曙戦だ。
元横綱・曙がK-1ルールでデビューし、わずか2分足らずでボブ・サップにKOされた。この試合は格闘技を知らない層にも強烈なインパクトを与え、日本中を熱狂させた。
熱狂の果てに訪れた衰退
しかし、この格闘技バブルは長く続かなかった。『Dynamite!』は翌年以降も開催されたが、視聴率は下降線をたどり、PRIDEは2007年に消滅。
K-1も経営難に陥り、かつての栄光は過去のものとなった。
最近では、当時の裏事情を暴露する本も多く出版されている。契約トラブル、興行の裏側、八百長疑惑……。
それらを知るたびに、「当時の自分は純粋だったな」と苦笑してしまう。しかし、それでも2002年の大晦日に格闘技が国民的イベントになったことは紛れもない事実だ。
そして今、総合格闘技は再び復活の兆しを見せている。RIZINやUFCが世界的に人気を集め、新たな時代が始まろうとしている。2002年の熱狂を知る者として、これからの格闘技の未来を見届けたいと思う。
……だが、その一方で、世界のプロレスは進化し続けている。
あの頃、「プロレスが1番すげーんだよ!」と叫んだ若かりし頃の中邑真輔は、今やWWEで世界を相手に戦っている。
日本のプロレスラーが世界のトップエンターテイメントの中心に立ち、リング上で歓声を浴びている。その姿を見ると、やはり思ってしまう。
結局、プロレスが1番すげーんだよ!
引用:ブログ

