“BGMのせいか
きっと人生は革命
いきなりはっとした
恥の多い暮らしです
BGMちょうだい”
AAAMYYYさんの歌声が好き。
色んな音の粒が散りばめられてる。
複雑に絡み合ってる。
今週から夜、歩いています。
adidasのクライマクールを穿いて。
モチベーション維持のために色違いで何足か購入。
体力をつけるためになんか少しは努力しないとな〰と思います。ハァ〰〰〰
夜の散歩自体は精神衛生上とてもよい。
もともと好きだったのを思い出した。
車の交通量が少ないから空気が澄んでる感じがするし、あとそのせいもあってか日中はあまり感じない花の香りが芳醇に漂っている。
発見でした。
暗闇の中「いいにおいだなー」と思って歩いていると大抵お花が咲き乱れている。
真っ暗な中ボワッと浮き上がってくる白とか黄色とかアイリスパープルの花びら。
植え込みだったり人んちのお庭だったりするのであんまりその場にとどまることはしないけどかなり嬉しくなります。
「客観性」を勘違いしていたことに気づく。
今までは何かしらの物事/出来事に対する「構造を俯瞰視」すること、「感情を排除して冷静に仕組みを捉えること」とか「中立の立場をとること」がソレだと思っていた。
がしかし自分の場合かなり主観的直感に依存していて、仮に「客観視」まではできていたとしてもバイアスのかかった個人的な価値判断を加え過ぎているということに気がつきました。
つまり「客観的に見るとそれはおかしい」なんて発言は本来なら成り立たない。
同じ文脈で良し悪しを語ってはいけないのだ。
分けて考えないと。
ただ「客観性」というのは大まかに哲学とビジネスでは解釈が異なり、どちらの分野で語られるかにより意味合いも変わってくるみたいです。
突き詰めると難解らしっすね←てきとう。
フッサール?
あ?
最近読んでいる本。
「わかりあえない」を越える。
「どちらが正しいか」の先へーー。
↑この言葉に惹かれた。
まだ20ページくらいしか読んでいませんが、こうして日記に書いておけばたぶん読み切ることができるだろう。
世界にしろ社会にしろ、何らかの人間集団に於いてゴタゴタっていうのは必ずついて回る。
人の数だけ正義があると言ったって
言ったってさぁー!
不肖わたくしめも基本「ここで戦っても意味ないな」と思った場面はしれっとスルーする派ですが(その態度が良いことなのか悪いことなのかは解らない。おそらく両方でしょう)、「このままいくとトラブルに発展しかねず明らかに問題なので改善をした方が良い」と判断した時には意見を言います。
実生活では。
でもまぁ意見したところで対話などとは程遠く、せいぜい幼稚な対立を招くだけ…
世の中ってのは本ッ当に色んな人がいて中にはびっくりするような方向から物を見る人などもいらして、あまりに理不尽な主張をされた場合には「火鍋を頭からかけてやろうか!」とか「長靴に魚を入れてやる!」とか「猫みたいにシャーッって威嚇してやる!」と思うこともある。
まぁそれは冗談ですが主に職場の一部の人間関係で毎回毎回ぶち当たる壁なので、さすがにこれは自分にも大いに問題があると思い「何らかのヒントが得られたらいいな」という気持ちで買ってみました。
自分が変わるしか無い。
日々勉強です。ペッ
何かを「好き」だと思えること―それは食でも音楽でも勉強でもスポーツでも漫画でもなんでもよい―は、その“良さを理解できる”ということなので“一種の才能”と言えるそうです。
そう考えたらちょっと自信が持てるかも