【出版社/著者からの内容紹介】
--師よ、なぜ僕は僕なのに、僕がわからないのですか? 自ら命を絶つことはいけないことなのですか?「私」と「世界」の間に落ちて、自分を見失いつつあるひとりの少年。ある夜、少年は「答え」を求めて、森の奥の庵に住む老師を訪ねる----。
--友よ、君は「本当の自分」はわからない。会ったことのない人は、探せないのだ......。
少年の問いを正面から受け止め、自らの魂の遍歴を語りつつ、生の意味を説く老師。
--師よ、人間とはなんですか?
--裂けたもの、欠けたものだ。
--何が裂け、欠けるのですか?
--人はそれを探して、苦しむ。
九夜にわたる問答が「生きる」苦しみの根源に迫る。恐山の禅僧・南直哉が現代に生きる意味を問う!
【出版社からのコメント】
恐山の禅僧、南直哉師が放つ渾身の一作。作家・天童荒太氏の「人々の苦悩に深く寄り添い、命に勇気をもたらす書」という推薦文にあるように、本書は、「私とは誰か?」「存在とは何か?」という永遠に解決することなく人間を苦しめる根本問題について、南直哉師が全身全霊で向い合った一冊です。わずか112ページながら、そこには濃密なフレーズが満載で、「お経のよう。音読したい」という方もいるほど。また、著者は現役の僧侶ですが、本書の中で仏教用語は使われておらず、「仏教書はちょっと・・・」と敬遠すること勿れ。あらためて、自分にまつわるあれこれのことをゆっくり考えてみたい、そんなときにオススメの一冊です。
【著者について】
1958年長野生まれ。早稲田大学文学部卒業後、サラリーマン生活を
経て、1984年曹洞宗で出家得度。同年、福井県の大本山永平寺へ入門。2003年まで約20年の修業生活をおくる。同寺在籍中、月刊誌『論座』で「I am a zenso」を連載(『語る禅僧』に収録)するなど、仏教関連の執筆活動も開始する。05年から青森恐山の院代(山主代理)に。仏教のみならず、文学・哲学にも造詣ふかく、現在も精力的に講演や執筆活動を行い、一部ではその舌鋒の鋭さから「恐山の論僧」と称されることも。著者に『語る禅僧』(朝日出版社)、『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『「問い」から始まる仏教』(佼正出版社)、共著に『やさしい「禅」入門』(新潮社とんぼの本)など。
--師よ、なぜ僕は僕なのに、僕がわからないのですか? 自ら命を絶つことはいけないことなのですか?「私」と「世界」の間に落ちて、自分を見失いつつあるひとりの少年。ある夜、少年は「答え」を求めて、森の奥の庵に住む老師を訪ねる----。
--友よ、君は「本当の自分」はわからない。会ったことのない人は、探せないのだ......。
少年の問いを正面から受け止め、自らの魂の遍歴を語りつつ、生の意味を説く老師。
--師よ、人間とはなんですか?
--裂けたもの、欠けたものだ。
--何が裂け、欠けるのですか?
--人はそれを探して、苦しむ。
九夜にわたる問答が「生きる」苦しみの根源に迫る。恐山の禅僧・南直哉が現代に生きる意味を問う!
【出版社からのコメント】
恐山の禅僧、南直哉師が放つ渾身の一作。作家・天童荒太氏の「人々の苦悩に深く寄り添い、命に勇気をもたらす書」という推薦文にあるように、本書は、「私とは誰か?」「存在とは何か?」という永遠に解決することなく人間を苦しめる根本問題について、南直哉師が全身全霊で向い合った一冊です。わずか112ページながら、そこには濃密なフレーズが満載で、「お経のよう。音読したい」という方もいるほど。また、著者は現役の僧侶ですが、本書の中で仏教用語は使われておらず、「仏教書はちょっと・・・」と敬遠すること勿れ。あらためて、自分にまつわるあれこれのことをゆっくり考えてみたい、そんなときにオススメの一冊です。
【著者について】
1958年長野生まれ。早稲田大学文学部卒業後、サラリーマン生活を
経て、1984年曹洞宗で出家得度。同年、福井県の大本山永平寺へ入門。2003年まで約20年の修業生活をおくる。同寺在籍中、月刊誌『論座』で「I am a zenso」を連載(『語る禅僧』に収録)するなど、仏教関連の執筆活動も開始する。05年から青森恐山の院代(山主代理)に。仏教のみならず、文学・哲学にも造詣ふかく、現在も精力的に講演や執筆活動を行い、一部ではその舌鋒の鋭さから「恐山の論僧」と称されることも。著者に『語る禅僧』(朝日出版社)、『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『「問い」から始まる仏教』(佼正出版社)、共著に『やさしい「禅」入門』(新潮社とんぼの本)など。


