表情と食ってるもの | リハビリ茶屋

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理学療法士/抗加齢指導士のエイジング情報

年の瀬です。

忙しい、、、と思いきや、「断捨離 」で鍛えられてきたのか、今の自分に必要なモノを見極めて不要なモノに目を奪われたりしなくなってきた最近です!まだまだ鍛えまっせ!




さて、本日のテーマの「表情」と「食べているもの」ですが、

何もこんなところでアンチエイジング的文句のような「美顔のための食べ物」について語るつもりではありません。





「表情」は、

その人となりの姿勢(佇まいや態度といいますか、風格?…生き様?のような感じ)のことを表したりします。ここではそのことです。会社で出会う人や企業、その理念や実動・言動などから多角的な勉強をさせてもらいながら、そんなことばかり読み取ろうとしてしまったり気にしてしまったりしてしまいます…。


「表情」にはそういった生き様や信念が、顔つきや姿勢に言動、ミクロで考えるとカラダ(細胞)に表象されていると思うのです。

え?私の細胞?、、そりゃぁ・・・、ひどいもんですけど(;_;) 何か!




では、「食べているもの」は、

これは、単に何が好きで嫌いで、どんな意図でそれを口から摂取(細胞として同化)しているかといったマニアなことも意味したいのですがここではスルーして…、


口に入れるものには、その人の自己責任的行為であることは当然のこと、それをどんな価値観で、世相を加味して(現代なら放射能汚染のこと、食品表示偽装やマス・メディアの作為的な健康情報などを自己責任の元に解釈して)、自分の実生活に落とし込んで何に取り組んでいるかという姿の表れでもあると思うのです。

生きとし生けるものが生物として世代を繋ぐために。でしょうか?


その選択には個々の哲学や死生観がベースで、情報“過”社会で自分がどんな判断を選択するかが、「表情」を左右するんではないでしょうか。




要するに、

表情と食ってるものは、リンクするのではないかと思うのです。


「表情」(=生き様)に触れれば「食べているもの」(=価値観)も推測できますし、

「食べているもの」を拝見する機会があれば、「表情」も感じ取れたりします。表面に出て目には見えている言動が“嘘”かどうかの判断に欠かせなくなります。

「食」とは、そういうものかと。


そんなエラそうなことを言う僕?そりゃぁ、もう。ヘボいもんです。(ToT) すみません・・。頑張りたいです。



はっきり言ったらどーでもイイこんなことを感じる今年の年末でした…。





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今年の私は、ウンタラカンタラ言う前に行動に起こしてみた1年間でした。


結果、まずまずの手ごたえを感じることが出来たとともに、自分なりの栄養×リハビリの見据え方にゆるぎない軸が出来た気がします。もう退きません、・・・いや退けません。(笑

来年もその軸を太くできるよう、頑張ってみたいと思います。コツコツと。


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リハビリ茶屋をご覧の皆さま、本年もありがとうございました。


リハビリテーションのための終わりなき栄養管理(機能性栄養の摂り方)の探究に、来年も磨きをかけて挑み続けたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます!



Masa