障害に人生を渡すな | リハビリ茶屋

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理学療法士/抗加齢指導士のエイジング情報

最近、改めて思うこと。





障害を患った方を対象に日々仕事をさせてもらっていると、皆さん障害に立ち向かおうと必死に頑張っておられます。


その背景には、自然の摂理の元、細胞が治癒しようと頑張っているのでしょう。


そんな横で、健康体の私が手を抜けるかや?





ただ、私も今は健康体と自負してます、そんな私も(一過性でしたが)生き地獄を味わいました。


治癒までに約10年かかったでしょうか。





私の生き地獄劇場などは、治癒するものだと信じておりましたので一過性での忍耐に過ぎませんでした。


しかし、脳卒中後遺症の麻痺や大きな骨折での機能障害、


ましてや進行性疾患や予後を宣告される疾病など…。


そんな時には、どういった心理状況になるのか。


簡単に「予想できます」なんて口に出来ません。





私が医療従事者の嫌いなところは、


そういった方々に、安易に「分かってますよ」的な態度を示してしまうこと。


日々の業務で忙しいのは分かるけど、そんなものは言い訳にならん。





ましてや、


勝手に「あんたの回復、ここまでよ」とハンコを押す輩も多い。


そんな人の頭には疾患を考えるに当たって、栄養の  の字もないんでしょうな。







例え機能障害が残る大きな障害を負ったとしても、決して人生の価値を奪われるものではないという観点を育成し、


例え回復には限界があると言われる疾患でさえ、栄養に関してはまったく考慮されていない背景を踏まえると、栄養状態に着目することでヒトの機能回復の限界を取っ払えると宣言したい。


それを実現出来るような環境(会社)を創りたいと考えています。





また、そういった疾患に患わなくて済むのであれば、その予防が可能ならば、


その分野(予防医療)にも尽力したいと考えています。


それが、リハビリ茶屋のコンセプトです。






障害に「勝つ」とか「負ける」とか、障害ってそんな存在ではないと、私は考えます。


でも、乗り越えたい試練でもあったりします。


ニュアンスの捉え方や考え方は人それぞれでしょうけど、


障害で人生を惑わされてはいけない


身体(価値観)を新しく創造するヒトという無限性には、変わりありませんし。







疾患はウンザリ。


でも、その時間を有効利用したら、死生観を養えます。


いのち や 人生 の意味を考える時間となります。


そして、身体を大切にする自分に生まれ変わり、自分にしか出来ないことを見つけられる気がします。


まだまだ反省の日々ですが。(._.)







Masa