「無知」は、罪でしょうか?
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今、無邪気な若者が、自分の自転車を駅に留めようとしている.
若者は、授業に遅れまいと必死で電車に乗ろうとしている.
いつものように道路の端に自転車を留めようとするが、よく置いている場所には誰かの自転車があるためにうまく留められない.
自転車の後部が少し歩道側にはみ出て入るが、このくらいは大丈夫だろうと、次の電車に乗るために大急ぎで改札へ向かう.
これは何気ない普段の駅の風景.
少し歩道側にはみ出ている自転車の後部は、視覚障害者用に道路に設置してあるブロックにかかっている.
少年は、このことに気づかず電車に乗った.
もしこのブロックを頼りに視覚障害者が歩行してきて、自転車と接触して転倒し、傷を負ったとしたら、
自転車は、自転車を置いた若者は、罪を犯しているのだろうか.
若者には罪を犯そうとしたつもりは毛頭ないだろう.
視覚障害者を傷つけようとしたつもりは無い.
しかし、視覚障害者は現に傷を負った.
知らなかったで済むことなのか.
知らないことは良いことなのか、悪いことなのか.
無知は罪なのだろうか.
医療界において、
患者の変化に気づかないこと.
患者の変化に気が付こうとしないこと.
いや、それ以前に、知識を得ようとしないこと.
特に、日々苦楽を共に変化を共有しながら歩むべきリハビリテーションにおいて、
無知は罪か.
知らないことは仕方ないのか.
知らないことは罪ではないのか.
無知は罪か.
年老いた患者から、先生と呼ばれることに違和感を覚える人がどれだけ存在しているだろうか.
もしかしたら、知ることが罪なのかもしれない.
失楽園の物語のように、人は知ることが罪か.
知らなければ幸せに暮らすことができた.
神は人間が知ることを望んでいなかった.
しかし人間は知ってしまった.
神の意思に反して「知る」ことをなした人間は、
その後もどんどん知ることを続ける.
今、人間は科学技術の発展とともに神の座に座ろうとしているようにも見える.
まさに、命の木になる実も手に取ろうとしている.
知ることを知らなければ幸せに暮らすことができた.
知ることは罪なのかもしれない.
本当にそれでいいのか.
本当に知ることが罪なのか.
【参考/日本認知運度療法研究会学術集会 抄録集】
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こんなことをいつも考えます。
ヒトの身体(脳)って、神秘ー。
Masa