医事法の論点(14) クローン技術規制と再生医療規制 | 線路の外の風景

線路の外の風景

様々な仕事を経験した管理人が、日々思っていることなどを書き綴ります。基本的に,真面目な内容のブログです。

 医事法の論点・第14回は、米村滋人『医事法講義』255頁から266頁までに基づき、クローン技術規制と再生医療規制に関する問題を取り上げることにします。今回取り上げる問題は、記事を書くのにも相当時間がかかりましたが、専門用語がどうしても多くなり、相当にややこしい内容になっていますので、読まれる方も覚悟してください。

 

1 クローン技術と法規制

 1997年、イギリスで体細胞クローンの技術により羊(ドリーという名前で知られる)を誕生させることに成功したという論文が科学雑誌Natureに掲載され、世界的に大きな反響を呼びました。体細胞クローンとは、分化した体細胞(生殖細胞ではない)から新たに個体を発生させることを指しますが、従来の医学・生物学では、高等生物が分化した細胞が受精卵のような未分化の状態に戻り、新たに個体として発生することは無いと考えられていたところ、体細胞クローンの成功によりこのような見解は覆されたほか、このような体細胞クローン技術が現実に存在するなら、この技術を使ったクローン人間が誕生する日も近いなどと噂され、クローン技術を法律によって規制すべきとの風潮が世界各国で一気に高まることになりました。

 このような風潮を受け、わが国でも規制法案の策定が進められた結果、2000年には「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」(クローン規制法)が成立するに至りました。この法律の目的を定める第1条は、次のように規定しています。

 

「この法律は、ヒト又は動物の胚又は生殖細胞を操作する技術のうちクローン技術ほか一定の技術(以下「クローン技術等」という。)が、その用いられ方のいかんによっては特定の人と同一の遺伝子構造を有する人(以下「人クローン個体」という。)若しくは人と動物のいずれであるかが明らかでない個体(以下「交雑個体」という。)を作り出し、又はこれらに類する個体の人為による生成をもたらすおそれがあり、これにより人の尊厳の保持、人の生命及び身体の安全の確保並びに社会秩序の維持(以下「人の尊厳の保持等」という。)に重大な影響を与える可能性があることにかんがみ、クローン技術等のうちクローン技術又は特定融合・集合技術により作成される胚を人又は動物の胎内に移植することを禁止するとともに、クローン技術等による胚の作成、譲受及び輸入を規制し、その他当該胚の適正な取扱いを確保するための措置を講ずることにより、人クローン個体及び交雑個体の生成の防止並びにこれらに類する個体の人為による生成の規制を図り、もって社会及び国民生活と調和のとれた科学技術の発展を期することを目的とする。」

 法律の条文というものは大抵分かりにくいものですが、要するにクローン規制法の目的は、クローン技術等により特定の人間と同一の遺伝子構造を有する個体(人クローン個体)や、人と動物の遺伝子が混じった個体(キメラ個体)などが作り出され、これにより人の尊厳の維持、人の生命や身体の安全の確保や社会秩序の維持に重大な影響を与える可能性があることから、こうした個体を生み出す行為の禁止や、クローン技術等による胚の作成、譲受や輸入の規制を行うというものであり、かなり漠然とした危機感から広範な規制が行われたことは、この条文からも見て取れます。

 

 具体的な規制については、まず第3条で「何人も、人クローン胚ヒト動物交雑胚ヒト性融合胚又はヒト性集合胚を人又は動物の胎内に移植してはならない」と定め、この違反に対しては第16条で、10年以下の懲役若しくは1000万円以下の罰金またはこれらの併科というかなり重い罰則が設けられています。

 次に、第4条ではヒト胚分割胚、ヒト胚核移植胚、人クローン胚、ヒト集合胚、ヒト動物交雑胚、ヒト性融合胚、ヒト性集合胚、動物性融合胚または動物性集合胚を「特定胚」と定義し、文部科学大臣は特定胚の取り扱いに関する指針を定め、特定胚の取り扱いはこの指針に基づいて行わなければならず、また特定胚の作成、譲受及び輸入についても一定の規制が掛けられています。

 この法律で用いられている用語の定義は、極めて分かりにくいのですが、米村氏は規制の対象となる特定胚を以下のように分類しています。

(1)クローン胚

 他の細胞と遺伝的に同一の胚をいい、核を除いた未受精卵(除核卵)に、他の細胞の核を移植することにより作成されます。このうち、体細胞の核を移植した胚のことを「人クローン胚」、他のヒト胚細胞の核を移植した胚のことを「ヒト胚核移植胚」といいます。

(2)キメラ胚

 2種以上の遺伝的に異なる細胞群が混合して一体化した胚をいい、これには2人以上の人間の細胞群が一体化したもののほか、人間とそれ以外の動物の細胞群が一体化したものも含まれます。キメラ胚に含まれるのは、複数のヒト個体やヒト胚に由来する細胞が混合した「ヒト集合胚」、これに動物由来細胞が混合した「ヒト性集合胚」、動物胚や動物性融合胚にヒト由来細胞が混合した「動物性集合胚」であり、これらが個体になると、複数のヒトの部分またはヒト部分と動物部分が同一個体の中に存在することになります。

(3)ハイブリッド胚

 2種以上の遺伝的に異なる細胞が、融合・交配等により1つになった細胞により構成される胚をいい、このうちクローン規制法で規制の対象とされているのは、以下の胚です。

ヒト動物交雑胚 ヒトの配偶子と、動物の配偶子を受精させた胚

ヒト性融合胚 「ヒトの胚または体細胞」+「動物の除核卵」を融合させた胚、またはこれにヒト除核卵を融合させた胚

・動物性融合胚 「動物の胚または体細胞」+「ヒトの除核卵」を融合させた胚、またはこれに動物除核卵を融合させた胚

 これらの胚が個体になると、ヒトと動物の中間的性質を持つ細胞がその全体を占めることになります。

(4)その他の加工を施した胚

 ヒト胚が体外で分割されて生じる胚(ヒト胚分割胚)がこれに該当します。

 

 これらの特定胚のうち、第3条による禁止の対象となるのは前述の4種類(赤文字で記した胚)ですが、それ以外の特定胚についても、クローン規制法の委任を受けた「特定胚の取り扱いに関する指針」(文部科学省告示第83号)第7条により、当分の間人又は動物の体内に移植してはならないと定められています。

 第6条では、特定胚の作成、譲受、または輸入をしようとする者に対し、文部科学大臣への届出を義務づけていますが、これは単なる届出制を定めたものではなく、その届出が受理された日から60日を経過した後でなければこれらの行為を行ってはならないとされ(第8条)、特定胚の取り扱いが指針に適合しないときは、その60日以内に限り、計画の変更、廃止その他必要な措置を命ずることが出来るとされている(第7条)ほか、実施後であっても特定胚の取り扱いが指針に適合しないものであると認めるときは、特定胚の取り扱いの中止、その方法の改善その他必要な措置を命ずることが出来るものとされています(第12条)。

 その他、特定胚に関する届出をした者は、特定胚に関する記録の作成・保存が義務づけられる(第10条)ほか、特定胚の作成に用いられた胚や細胞を提供した者の個人情報の保護に関する義務(第13条)を負うものとされています。

 なお、指針では特定胚の輸出・輸入については、当分の間行わないものとされています。特定胚のうち作成できるものは、当初は人クローン胚及び動物性集合胚のみとされていましたが、2021年の改正により、ミトコンドリア病の研究を目的とした場合に限り、ヒト胚核移植胚の作成も認められるようになりました。

 現状では、クローン規制法の違反事例として注目を浴びた事件は特に無いようですが、規制の対象とされなかった動物のクローンについては主に外国で研究や開発が進められています。アメリカや韓国、中国では、既にペットのクローン犬を作るビジネスが実用化され、クローン犬を作るための費用は1頭あたり5万ドル~10万ドルというのが相場になっており、日本でも亡くなった愛犬のクローン犬を中国などの業者に注文する人がいるようですが、クローン犬を作るために別の犬が犠牲になることもあり、動物愛護及び倫理上の観点から問題視されています。

 

2 クローン規制に関する諸問題

(1)規制の理論的根拠

 クローン規制法の立案時と制定後における学説の議論は、その大半が刑法学者によるものであり、その関心事は同法が刑罰をもってクローン胚等の子宮内移植を禁止する規制の根拠が存在するか否かに集中しました。すなわち、法と倫理は異なるものであり、倫理的に許容されない行為であっても、何らの法益侵害も無い場合に処罰の対象とすることは認められないが、果たしてクローン個体等の産生という行為に法益侵害は認められるのか、仮に認められるとしても最大懲役10年という重い刑罰を科すことを正当化できるほどの法益侵害が存在するのか、といった議論が行われたわけです。

 この点に関しては、「人の尊厳」が社会的法益の1つとして規制根拠となっており、ヒトと動物の境界をまたぐキメラ個体やハイブリッド個体が誕生すれば人間一般の尊厳(種としてのアイデンティティ)が脅かされ、またクローン人間が誕生すれば、その個人は遺伝的に同一の別人との関係を意識されざるを得ず、人はすべて固有の一回的な人格を有するという「個人の尊厳」の前提が脅かされる、といったことが実質的な規制根拠であると理解されています。

 学説の中には、これだけでは刑事規制の正当化根拠として不十分とするものや、単なる倫理的命題の言い換えに過ぎないといった批判もあるようですが、こうした先端的医療や医学研究などの分野では、保護法益が特定の個人に帰属せず抽象化することを余儀なくされるところ、このような法規制が社会的に不要とも言い切れないため、この種の抽象的利益を保護法益とする刑事規制も許容されると考えられます。

 

(2)規制内容に関する諸問題

 もっとも、このように一般論としてクローン規制が正当化可能であっても、現行法の具体的な在り方については様々な問題があります。第1に、既に述べたとおり、特定胚には様々な種類があるところ、赤文字で示した4種類の特定胚を人や動物の体内に移植した場合には、第16条の規定により最高懲役10年とかなり重い刑罰が科される一方、それ以外の特定胚については、指針によって胎内への移植は「当分の間禁止する」とされているものの、指針に違反して胎内への移植を行った場合には、届出義務等の違反に対して適用される第17条により、1年以下の懲役または100万円以下の罰金に科せられるに留まり、第16条が適用される場合に比べ、あまりにも罪刑の均衡を失するのではないかという問題があります。

 第2に、クローン規制法が特定胚の取り扱いについて、建前上届出制を採りつつ実質的には許可制に近いという奇妙な制度を設けたのは、同法が先端研究規制の側面を有することから、学問の自由に対する制約を最小限に留める意図があったと考えられますが、結局のところ特定胚の取り扱いの可否を行政が判断するのであれば、学問の自由に対する十分な配慮がなされているとまでは言えません。

 第3に、クローン規制法による規制は、規制内容の大部分を文部科学大臣の定める指針に委任していますが、法律で規制の骨格が定められているとは言い難く、悪く言えば文部科学大臣の指針に規制内容をほぼ丸投げしているような立法であることから、委任立法の在り方として適切かどうか疑問の余地があります。また、法律では特定胚の作成、譲受、輸入について届出制の規制を設けており、法律上胎内への移植が禁じられているのは特定胚のうち4種類だけであるのに、指針においてそれ以外の特定胚についても胎内への移植は当分の間全て禁止、輸出入も当分の間全て禁止という規律を定めるのは、指針の内容が法律による委任の範囲を逸脱していると解されるおそれがあると言わざるを得ません。

 指針の内容に関する詳細は省略しますが、作成が認められている3種類の胚について概ね共通する作成要件は、特定胚を用いない研究によっては得ることの出来ない科学的知見が得られること、特定胚を作成しようとする者に技術的能力があること、提供者から書面による同意を得ることの3点であり、また作成者等は届出を行う前に、所属研究機関に設置された倫理審査委員会に対し指針適合性に関する意見を聴くものとされています。

 そして、人クローン胚の作成については、一定の遺伝性疾患に対する再生医療を行うための基礎的研究、動物性集合胚の作成については、人に移植することが可能な臓器の作成に関する基礎的研究、ヒト胚核移植胚の作成については、ミトコンドリア病に関する基礎的研究に限るといった具合に、何か具体的研究の必要性が認識された分野の研究目的に限り、特定胚作成の禁止が指針改正で個別に解除されるという規制方式が採られているのですが、このような規制の下では特定胚を用いた新たな再生医療の可能性を探索するような研究を、わが国の研究者が独自に行うことは不可能であり、研究に対する萎縮効果を生じさせている可能性も否定できません。

 

3 ES細胞からiPS細胞へ

 クローン規制法の制定後、わが国では医学研究を規制する行政指針が次々と作成され、医学的にはヒト胚に関する研究としてES細胞の研究が進展しました。ES細胞とは、日本語では「胚性幹細胞」と表記され、発生初期における胚の内部細胞塊を取り出して培養した細胞のことです。ES細胞から個体を発生させることは出来ないものの、あやゆる臓器や組織に分化し得る性質(多能性)を有するため、患者の体細胞クローン胚からES細胞を樹立することにより、理論上は患者と同一遺伝子の(拒絶反応が生じない)臓器を作り出すことができ、これによって欠損した臓器や組織を再生させる「再生医療」が、臓器移植に代わる新たな医療として注目されるようになりました。

 もっとも、ES細胞による臓器や組織の再生は、特定臓器への分化誘導が現在の技術では困難であるため未だ成功しておらず、またES細胞を作製するには初期胚を破壊する必要があるため倫理的な問題も大きく、わが国でも諸外国でもES細胞の作製には厳格な規制が定められ、再生医療の実現にあたり大きな障害となっていました。

 このような中、2006年に京都大学の山中伸弥教授らのグループがiPS細胞(人工多能性幹細胞)の作製に成功し、注目を集めました。iPS細胞は、体細胞に数個の遺伝子を導入することでES細胞に近い多能性を獲得した細胞であり、かつES細胞と異なりその作製にあたり胚を破壊する必要が無いため容易かつ大量に入手することができるため、ES細胞に代わる再生医療の素材として有望視されるようになったわけです。

 それまでに、ES細胞を用いた研究に関してはいくつかの指針が設けられていましたが、iPS細胞の開発を受け、より一般的に幹細胞を用いた臨床研究のルールを定めた「ヒト胚細胞を用いる臨床研究に関する指針」が策定されました。この指針は法律の委任に基づかない行政指針(ガイドライン)であり法的拘束力を有しないものの、実際には指針に反する行動を取る研究者は現れなかったため、この指針は今日でも強力な規制手段として機能しています。

 しかし、再生医療がにわかに世間の注目を集めたことを契機に、民間の医療機関が「再生医療」と称して効果不明の医療を実施する例が多数出現しました。特に、2010年9月、京都市内の医療機関で脂肪幹細胞の静脈注射を受けた70代の患者が肺塞栓症により死亡した事例は、治療と死亡の因果関係こそ不明とされたものの、治療としての医学的合理性が乏しいものであったため、この事例は再生医療に関する法規制の必要性に関する議論を呼び、また政府の掲げる成長戦略の一環として再生医療の推進が取り上げられたこともあり、法整備に向けた動きが急速に進められ、2013年には「再生医療を国民が迅速かつ安全に受けられるようにするための施策の総合的な推進に関する法律(再生医療推進法)」、「再生医療等の安全性の確保等に関する法律(再生医療安全確保法)」、薬事法(現在の薬機法)の改正法が成立しました。

 

4 再生医療三法の概要

 2013年に成立した再生医療推進法、再生医療安全確保法、薬事法の改正法は併せて「再生医療三法」と称されましたが、以下にその概要を挙げることにします。

(1)再生医療推進法

 再生医療推進法は議員立法で制定された、本文わずか14箇条の短い法律です。規定の内容は、再生医療の基本理念などに関するもののほか、国が再生医療の促進に関する基本方針を定め、かつ少なくとも3年ごとにその内容を検討し必要な変更を行うべきこと、その促進に向けた人的・制度的な環境整備や財政措置等を行うべきことを定めています。政治的なメッセージ性の有無はともかく、法規範として特段の意味がある規定は設けられていません。

 

(2)再生医療安全確保法

 この法律は、再生医療と称する効果不明の医療に対する規制を主眼としているものの、規制の対象はES細胞やiPS細胞等を用いた先端的研究領域にも及んでおり、再生医療三法の中では中核的な位置を占めています。

 規制の対象となる「再生医療等」は、再生医療等技術を用いて行われる医療(薬機法上の治験を除く)と定義されており、「再生医療等技術」とは、人の身体の構造又は機能の再建、修復又は形成、若しくは人の疾病の治療又は予防に関する医療に用いるための医療技術であって、細胞加工物を用いるもののうち、その安全性を確保する必要性があるものとして政令で定めるものとされていますが、法律の委任を受けた「再生医療等の安全性の確保等に関する法律施行令」第1条では、一定の除外対象に含まれる医療技術以外の医療技術を包括的に対象医療技術として定めています。

 文章で書くと非常にややこしくなるので箇条書きでまとめると、要するに再生医療等技術とは、

 

① 人の身体の構造又は機能の再建、修復又は形成、若しくは人の疾病の治療又は予防に関する医療に用いるための医療技術であること

② 細胞加工物を用いる医療技術であること

 

 この2つが積極的要件であり、そのうち以下の除外対象に含まれないものは全て「再生医療等技術」に含まれます。

① 薬機法に基づく承認を受けた再生医療等製品のみを、当該承認の内容に従い用いるもの

② 細胞加工物を用いる輸血であって、その性質を変える操作を加えた血球成分を用いないもの

③ 移植に用いる造血幹細胞の適切な提供の推進に関する法律に規定する造血幹細胞移植細胞から作製された造血幹細胞を用いるもの

④ 人の精子または未受精卵に培養その他の加工を施した医療技術であって、ES細胞やiPS細胞などを用いないもの(要するに、通常の生殖補助医療に属するもの)

 

 上記のうち③は、要するに2012年に骨髄や末梢血管細胞、臍帯血を利用した移植用の造血幹細胞に関しては別の法律が制定されているため、その法律が適用される医療については再生医療安全確保法の適用対象から除外する旨を定めたものです。

 そして、再生医療等はその危険性を基準にして第一種から第三種までに分類され、それぞれに異なる内容の規制が適用されるほか、厚生労働大臣はこの種別に応じた再生医療等提供基準を定めなければならず、再生医療等はこの基準に従って提供されなければならないものとされています(法第3条)。

 再生医療等を提供しようとする医療機関は、あらかじめ再生医療等提供計画を厚生労働大臣に提出しなければならず(法第4条第1項)、計画には提供しようとする再生医療等の内容や安全性確保措置などの記載が義務づけられています。また、計画を提出する前に、当該計画が再生医療等提供基準に適合しているかどうか、認定再生医療等委員会の意見を聴かなければならないものとされていますが(法第4条第2項)、厚生労働大臣がその意見を尊重する義務などは定められていません。

 計画の取り扱いは種別によって異なり、危険性が極めて高い第一種再生医療等(ES細胞やiPS細胞を用いたものなど)については、厚生労働大臣の事前審査が行われ、その期間内は再生医療等を提供することが出来ず、厚生労働大臣は計画が再生医療等提供基準に適合していないときは、変更命令等を発することができます。

 これに対し、危険性が相対的に低い第二種再生医療等(体性幹細胞を用いた医療など)や第三種再生医療等(加工した体細胞を用いた医療など)については、厚生労働大臣による事前審査は無く、厚生労働大臣の認定を受けた再生医療等委員会による審査等が行われることになっています。ただし、再生医療等の種別や時期を問わず、厚生労働大臣は再生医療等の提供による保健衛生上の危害の発生又は拡大を防止するため必要と認めるときは、再生医療等の一時停止等を含む緊急命令を発することができ(法第22条)、また必要に応じて再生医療等を行う機関に対し改善命令を発し、改善命令に従わない者に対し再生医療等の提供を制限することも認められています(法第23条)。

 違反に対する罰則は、緊急命令違反が最も重く(3年以下の懲役、300万円以下の罰金またはその併科)、それ以外の違反に対する罰則は1年以下の懲役または100万円以下の罰金とされています。

 以上のほか、再生医療安全確保法では、特定細胞加工物の製造に関し厚生労働大臣の許可制を採用しており、許可は製造施設ごとに行われ、必要に応じて厚生労働大臣に緊急命令や改善命令を発する権限が与えられていますが、薬機法による規制の対象となっているものは、対象から除外されています。

 

(3)薬機法

 旧薬事法、現在の名称は「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」(薬機法)となっている法律では、人や動物の細胞に培養その他の加工を施した医療用の物を「再生医療等製品」と定義し、再生医療等製品の製造販売業や製造業に関する許可制、再生医療等製品の販売業に関する許可制が定められています。

 

5 再生医療及び再生医療研究に関する問題点

 米村氏は、前述のクローン規制法にも批判的でしたが、再生医療安全確保法による規制のあり方についても強く問題視し、強い批判を展開されています。

 すなわち、従来の医療関連諸法においては、医学の専門的知見を有しない行政機関が、個別具体的な医療行為の内容についてその当否を判断することは困難であり適切でも無いため、行政は医療内容に対する介入を控えるという立場が採用されており、例えば医療法でも、都道府県知事による管理者の変更命令(第28条)などを発する権限は認められているものの、医療機関の管理者に対し、行政機関が個別医療行為の中止命令や変更命令を行うような権限は設けられていません。医療の素人である行政機関にそのような権限を与えても適切な行使は期待できず、かえって必要な医療が行政機関の命令により提供できなくなるなどの弊害を招くだけだからです。

 これに対し、再生医療安全確保法では、少なくとも第一種再生医療等については、厚生労働大臣による事前審査の伴う事実上の許可制が設けられているわけですが、米村氏の指摘している審査基準の不明確性は、確かに管理人が読んでも目を疑うほどです。

 法第1条では、再生医療等に用いられる再生医療等技術の安全性の確保及び生命倫理への配慮を「安全性の確保等」と定義し、法第3条に基づき厚生労働大臣が定める再生医療等提供基準では、「安全性の確保等」に関する措置について定めるべきものとされていますが、これを受けて制定された再生医療等の安全性の確保等に関する法律施行規則では、再生医療等提供基準は同規則第5条から第26条の13までに定めるところによるとされているのですが、主としては以下に掲げるように、曖昧かつ不明確な規定が目立ちます。

 

 

(研究として再生医療等を行う場合の基本理念)

第八条の二 研究として行う再生医療等は、再生医療等を受ける者の生命、健康及び人権を尊重し、次に掲げる事項を基本理念として行わなければならない。

一 社会的及び学術的意義を有する研究を行うこと。

二 研究の分野の特性に応じた科学的合理性を確保すること。

三 研究により得られる利益及び再生医療等を受ける者への負担その他の不利益を比較考量すること。

四 独立した公正な立場における審査等業務を行う認定再生医療等委員会の審査を受けていること。

五 再生医療等を受ける者への事前の十分な説明を行うとともに、自由な意思に基づく同意を得ること。

六 社会的に特別な配慮を必要とする者について、必要かつ適切な措置を講ずること。

七 研究に利用する個人情報を適正に管理すること。

八 研究の質及び透明性を確保すること。

 

(再生医療等を行う医師又は歯科医師の要件)

第九条 再生医療等を行う医師又は歯科医師は、当該再生医療等を行うために必要な専門的知識及び十分な臨床経験を有していなければならず、研究として再生医療等を行う場合には、研究に関する倫理に配慮して当該研究を適正に実施するための十分な教育及び訓練を受けていなければならない。

 

(再生医療等を行う際の責務)

第十条 医師又は歯科医師は、再生医療等を行う際には、その安全性及び妥当性について、科学的文献その他の関連する情報又は十分な実験の結果に基づき、倫理的及び科学的観点から十分検討しなければならない。

2 医師又は歯科医師は、再生医療等に特定細胞加工物を用いる場合においては、特定細胞加工物製造事業者に特定細胞加工物の製造を行わせる際に、特定細胞加工物概要書に従った製造が行われるよう、必要な指示をしなければならない。

3 医師又は歯科医師は、再生医療等に特定細胞加工物を用いる場合においては、再生医療等を受ける者に対し、特定細胞加工物の投与を行う際に、当該特定細胞加工物が特定細胞加工物概要書に従って製造されたものか確認する等により、当該特定細胞加工物の投与の可否について決定しなければならない。

4 再生医療等を行う医師又は歯科医師は、この省令、再生医療等提供計画及び研究計画書(研究として再生医療等を行う場合に限る。)に基づき再生医療等を行わなければならない。

 

(再生医療等を行う際の環境への配慮)

第十一条 医師又は歯科医師は、環境に影響を及ぼすおそれのある再生医療等を行う場合には、環境へ悪影響を及ぼさないよう必要な配慮をしなければならない。

 

 もちろん、基準にはこのように曖昧な規定ばかりが並んでいるわけではなく、各種の手続要件、安全性措置に関する要件、細胞提供者の同意要件に関しては比較的詳細に定められているものの、研究の実体的要件である倫理性妥当性については、要するに「倫理に配慮せよ」という程度のことしか書かれていません。

 しかも、こうした基準の適合性については、最終的には厚生労働大臣が判断するわけですから、極論すれば厚生労働大臣が「研究に社会的及び学術的意義がない」とか「倫理的観点からの検討が十分に行われていない」などと文句を付ければ、いつでも恣意的に再生医療の研究をストップさせたり、医療機関で実際に行われている再生医療をストップさせたり出来る、といった結論になりかねないわけです。

 学問研究に対する規制としては、このように要件が極めて曖昧な内容の規制は、学問の自由を侵害するものとして憲法違反となりかねませんし、臨床医療に対する規制としては、実際に再生等医療を必要としている患者が行政機関の命令で突然に再生等医療を受けられなくなり、それが原因で死亡などの重大な結果を招いた場合には、当該命令により国が国家賠償法に基づく損害賠償責任を負うことになりかねませんし、逆に厚生労働大臣が安全性に問題のある再生等医療を放置した場合には、緊急命令等を出さなかった不作為を理由とする国家賠償請求をなし得るという結論になることもあり得ます。

 このように、再生医療安全確保法は、通常の行政機関にはおよそ適切な行使を期待できない広範な権限を厚生労働大臣に与えた結果、リスクの高い再生医療等について国が全責任を負うことになりかねないような立法になってしまっており、その結果再生医療等の審査も極めて慎重なものにならざるを得ず、再生医療を推進するどころかこれを萎縮させてしまっているわけです。

 実際、再生医療やこれに関する現状について論じた文献は、ウェブ上に掲載されたものだけでも相当数にのぼりますが、2021年7月末の時点において、第2種再生医療等技術の計画は888件存在するものの、規制の厳しい第1種再生医療等技術の計画は、わずか4件にとどまっているそうです。そして、日本における再生医療の課題について論じた文献では、必ずと言って良いほど法規制の問題が挙げられ、特に名古屋大学大学院の上田実教授は、次のようにコメントしています。

 

このように,再生医療は技術的には想像以上に進んでいるわけですが,いちばん障壁になっているのは,やはり法的な規制の部分です。日本でのバイオビジネスというのは非常にやりにくい分野で,大きなマーケットとしての可能性があるにもかかわらず,世界一厳しい法的規制のためになかなかうまくいっていないのです。そのため,ほとんどのメディカル・デバイスは輸入品です。
 こういった状況が,再生医療でも起こる可能性があります。いちばん最初の話に戻りますが,臓器移植はうまくいっていないでしょう? それから,人工臓器もなかなか臨床応用されていませんね。これは主として法律の問題だと私は思います。
 また,人工臓器を研究している研究者の能力が海外の研究者に比べて低いかといえば,そんなことは絶対にありません。問題は,つくった人工臓器が製品として使用され,事故が起きた時の補償の大きさ,社会的なバッシングの強さなどだと思います。
 ですから,このままでは再生医療においても日本の医療産業,バイオビジネスは,過去の失敗を繰り返すのではないかというのが,私の大きな懸念です。それによって,もちろん産業界も困るわけですが,いちばん困るのは患者さんです。先端医療を自分の国で受けられないわけですから。再生医療は従来のメディカル・デバイスに比べれば非常に大きな可能性がありますから,同じ失敗を繰り返してはならないというのが,私の主張です。」

 

<参照記事>

 

 

 

 

 

 

 現行法では、特に再生医療ビジネスを手掛けようとする企業の支援という発想が全く無く、それが日本における再生医療の普及を妨げているという指摘がよく見られますが、ただでさえ日本の再生医療は、国庫から支出される研究費用の総額が、アメリカの製薬会社1社並みという低い水準にとどまっているというのに、法律でも必要以上に厳しい規制でがんじがらめに縛っているというのでは、日本の再生医療が世界から遅れを取ってしまうのも、ある意味当然のことです。

 クローン技術や再生医療技術に関する法規制は、この記事で述べたように非常にややこしい内容であり、法律の専門家であっても取っつきにくいところがあります。管理人自身も、おそらくこの記事を書かなければ問題意識を持つには至らなかっただろうと思いますが、ほとんど誰も知らぬ間に不適切な立法が行われ、不必要かつ不当な規制が先進医療技術の実用化を阻んでいるとすれば、これほど恐ろしいこともありません。少なくとも再生医療安全確保法は、再生医療の広範な実用化を想定した規定になっているとは言えないので、早急な見直しが必要と考えられます。