ご報告を・・・
本日、息子が学校から帰ってきて、
「おかあ、ちょっと聞いて」
「なんやねん?」
「今日ね、学校からの帰りに、女の子とすれ違ったら、すてきって言われた」
「おお、おめでとー」
どうも、好みのタイプの女の子だったらすぃ。
季節は冬へと向かうけど~
息子の頭は春爛漫~
第二次性徴期でございます。
脳みそが働かないんだってさ。
子供って、10歳くらいから嘘をつくようになる。それは、自分以外の視点があって、自分のしていることが相手には見えていない、ということに気がつくからだそうだ。まあ、ある意味では自己中心的で自分の視点のみで世界を見ている段階から、視点の多様性に気がついているわけだから、進歩とは言えると思う。
しかし、嘘をつかれると困る。
信頼ができなくなってしまう。すると、自由を与えることを躊躇してしまう。
「そやから、信じてほしいんやったら、小さいことで嘘ついてごまかすのやめなあかんって言ってるやん!」
「はーい・・・はーい・・・」
「あんな、信じるって関係の基礎にあるんやから、このままではうまいこといかへんようになるやろ」
「はーい・・・はーい・・・」
聞いてんのかいな・・・。分かってんのかいな・・・。
信じること、嘘をつかないこと。
しかし、そんなことをえらそうに言えるんだろうか、わたし? あー、凹むなあ・・・。
しかも、どんなに怒られても、説教されても、その後で風呂に入りながら、でっかい声でご機嫌で鼻歌を歌う息子・・・。うう・・・さらに凹むぜ。
「なあ、Yには絶対分かってへんよね。わたしが何を言ってるのか、分かってると思う?」
「ああ、この記事を読んでごらん」
だんなが英インディペンデント紙の記事のリンクを送ってきた。
なになに・・・。
(2005年9月9日)
思春期の初めのころ、ホルモンのバランスが悪くなって、一時的に大人の表情、ことに怒りや悲しみの表情が分からなくなる、らしい。それで社会的関係がうまく行かなくなる、らしい。だから、手に負えんがきんちょどもに、ちめちめ言ってみたかって、
「わかっとんのかいな。わかってぇへんやろ!」
って大人が思うのは当たり前、とか。文化的に第二次性長期の子供が反抗してるというよりは、純粋に生物学的にうまいことコミュニケーションが取れんようになる、らしい。表情を認識する脳の部分は声の調子も認識してる、とか。
故に、怒っても、こっちが怒ってることが相手にはちーっとも伝わらんそうだ。
そやけど、14歳くらいでこういった脳の働きが回復するらしい・・・。
・・・。
そのまま、回復せえへんこともたまにはあるんちゃうか・・・と、一瞬不安が頭をよぎるわたしでした。
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追記(9月13日午後)
記事中のリンクですが、インディペンデント紙は記事を見るのが有料みたいです・・・ケチ!
というわけで、別のサイトに全文引用されていたので、そちらにリンクを変えました。でも、この記事では、どういったホルモンなのか、脳のどの部分が影響を受けるのか、ちょっと分からない。で、検索をかけてみたんだけど、フランス語の論文しか出てこなかった・・・フランス語、全くできません(爆)。
追記(9月14日)
この研究は、サンプルのとり方なんかがちょっと信頼性があるとはいえないかも・・・という指摘がありました。必ずこうなる、という結果が分かっているというよりは、こういうことがあるんじゃないか・・・という仮説程度らしいです。
でも、こういうことを聞くと、親としては安心するというか、いいわけができるというか・・・。だから、そういった意味では意義のあるものだとは思うんですが。まあ、適当に参考にしてください、程度のものらしいです。
かかわり方
ワインを飲んでいると、いきなりだんなが言った。
「あのさ、えいってYのことに興味ないでしょう」
な、なんてことを言うだ・・・。
「うん」
思いっきり肯定。
「ピアノが上手になって大会で優勝するとか、ぜんぜん、どうでもいいとおもってるでしょ」
「うん」
力強く肯定。
「あのさ、君は若いうちに無責任に女の子と妊娠させたりしないでほしいとか、犯罪だけは犯さないでくれ、とか、そうは思ってるけど、学校の成績とかはどうでもいいとおもってるでしょ」
「うん」
「まあ、それもかかわり方かなあ・・・」
「あのさ、独立して、自分で自分の食べたいものが作れて、人から尊敬されるような仕事ができる人間になってほしいとは思うけど、だからといって、無理やり詰め込んだって、駄目に決まってンじゃん? だから、まあ、金に糸目はつけずに教育を受けさせようとは思うけど、こっちからは押し付けたくないよね」
「それだけじゃなくて、子供の世話が嫌いでしょ」
ず、図星・・・。
「だからさ、ほらほら、さっさと独立してほしいからさ・・・ははは」
「笑ってごまかす気?」
「うん」
だからって、息子を愛していないわけではないんですよ。まあ、いいや。理解のあるパートナーでよかったよ。
でもね、ほんとに、無理やりこっちからあれをしろ、これをしろって言っても、これから先は反感を買うばっかりだと思うんですよね。だから、自分で面白いものを見つけて、夢中になってほしい。ジャズバンドに入って、ジャムセッションの魅力に取り付かれてもよし、歴史を紐解く喜びでもよし、本を読む喜びでもよし。そういうことができるような下地は準備したつもりなんですが。
女の子とか、セックスとか、そういうことだけに夢中になるんじゃなくってね。
「要するに、なるべく面倒を見たくないって言ってるんだよね」
ええい、うるさい。その通りじゃ。
開き直るぞ。
悲しいなあ・・・
青バラ先生のこちらの記事 を読んで、本当に悲しくなってしまった。
何をもって、「きもい」というのだろう。自分は「正常」で「きもよい」(というのか?)で、そうでない人は、「異常」で「きもい」。
どうしてそんな風な画一的なものの見方しかできないのだろうか。
自分のセクシュアリティーやジェンダーが、生得のそれを一致していないことを、なぜ、「障害」と呼ぶのだろうか。
それは自然ではないからだ。男と女は交わり、子孫を残すのが自然だからだ。自然の摂理だからだ。
そういう声が聞こえる。
それに対して、小声で答えていいですか。
いいえ、人間は最早、自然な存在とはいえません。わたしたちは、必要以上に自然の姿を変え、自分たちの営みを管理してきました。そういう存在ですから、最早、画一的に何が自然などとはいえないでしょう。人工授精、遺伝子操作、代理母、医療行為全般、延命、手術、そのほかもろもろ・・・。
自分にとって何が自然なのか、それに正直に生きて行きたいと思います。それは、あなたの自然とは違う自然かもしれません。それが当然なのだと思います。
あなたの自然が絶対のものだと高らかに宣言をし、それをわたしに押し付けないでください。
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もし、あなたが異性愛者であれば、すべての異性に対して性欲を覚えますか?
それと同じです。自分と違うからといって、その人たちの持っているものを怪物化するのはやめてください。
自分と違う人たちをひとくくりにして、単なる一言、「きもい」で代表させないでください。
わたしたちは一人一人、違う顔を持った人間なのです。自分の自然を生きているのです。
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過去記事を、よろしければ、どうぞ。ご批判、ご指摘、ご意見、お聞かせください。
小声でしかいえなくて、ふがいないです・・・。ごめんなさい。
羊かん事件
日本から帰ってくるときにお土産にと〇やの羊かんをもらった。ひと口サイズ、というのか、小さい羊かんが一つ一つ別々に包まれている。ちょっと過剰包装じゃないかと思うくらい、丁寧に包まれていて、いかにもありがたそうである。
が、一つ一つは小さくて、ちっともありがたくねえぞ。
全部で9箱入っていた。
それで、いちおう、家族は年功序列に関わらず平等に扱うというのが原則なので、一人3箱ずつ分けた。
が、平等の原則にも限界はある。
コーヒーが一箱
緑茶が二箱
黒砂糖が二箱
梅が二箱
粒小豆が二箱
コーヒー羊かんはだんなもわたしも嫌いだ。だから、息子の分とした。このあたりは、息子には秘密の会議で決まった。ちょっと、罪悪感を覚えたが、ま、世の中は基本的には不平等なのさ。
息子は早速、コーヒー羊かんを食べたらしい。
「おとうとおかあはコーヒー羊かん食べた?」
「食べてない」
「なんでぇ。おいしいのに。すっごいおいしい。おいしいと思わない?」
「いまいちやと思うなあ」
「ええ、ほんとうにぃ? すっごいおいしよぉ。僕、コーヒー羊かん好き」
「そやろ。そやから、コーヒー羊かんあげたんや」
罪悪感を正当化しようとする試みである。
真実とは、何を信じたいかによって変わる。
果たして、息子は平等の原則を信じているのか・・・・。母親の善意を信じるか。
一瞬、沈黙が訪れた。
そして、息子が言った。
「おかあ、それは嘘でしょ」
笑ってごまかしました。ははははは。
話せない・・・
息子をバロックの室内楽のコンサートに連れて行った。生演奏って本当におもしろい。ああそうか、こんな風にハーモニーが作られているんだ・・・と感心する。ほんとに録音されたものを聞くのとぜんぜん違う。どんなに録音記述が発達しても、絶対に生演奏にはかなわない。
音楽が盛んなこの町ではこういう小さなコンサートがたくさんあって、生演奏を聞く機会がとっても多いのでうれしいわたしです。
で、だんながいないんで息子と二人で行ったんだけど。
コンサートが始まる前、コンサートの休憩時間に、話すことがない!
彼の好きな漫画の話を知った振りして話せないし、
友達のことは、そりゃあもう、秘密にしておきたいことが多くなってるし、
わたしが日本でどんなことをしてたかはこういうときには話題として適当でないし。
で、倦怠期の夫婦のように黙ってる我々。
例えば、彼がもっと小さかったときには、音楽の構成の仕方とか、今日の演目についての解説とかしてあげられたんだけど。それで、もっときちんと大人だったら、今日の演奏についてとか話し合うことも出来ると思うけど。
ちょうど中途半端なんだよね。こっちがえらそうに教える時期ではないし。かといって、向こうの知識は中途半端だから、話し合ったりもできないし。中途半端に間違ったことや頓珍漢なことばっかり言ってくるので、それをいちいち指摘して修正するのも、お互いにいらつくし。
「おかあ、これって、何でバロックていうの?」
「この前、ソフィーの世界、読めって言ったやろ。あれにきちんと書いてあるやん。お前、ちゃんと読んだんやろな? スパイ小説ばっかり読んでて、斜め読みしたんやろ。家に帰ったら読み直しや」
「・・・け」
最悪・・・。口うるさい嫌な親の典型・・・。
かといって、いつまでも、親がいちいち口移しで知識をあげるわけにもいかんしね。こういうとき、教師は楽よね。宿題出せばええんやもん。
ああ、早く自分で知識を見つけて得ていく楽しみを覚えて、その知識で武装してわたしに議論の戦いを挑んで欲しい・・・と思うわたしでした。しかし、息子は怠けもんなんで、親から知識がもらえるからそれで楽ちんしよう、と思ってるらしい。
やっぱり、口うるさく、自分で知識を見つけて来い、本を読め、考えろ、って言うしかないんでしょうかね。
それで、うん、確かに、10代の前半、親との関係がこじれるのはよくわかる・・・と納得しているわたしです。
一旦、親から離れて、自分の力でいろんなものを得ることで成長していくんでしょうね。それで、もう一回、親のところに一個の個性として帰ってくるのかなあ、なんて。
さあ、息子よ、早く親離れしてとっととどっかへ御行き!
再開にあたって
さて、もともとこちらのブログをはじめたのは、息子とわたしの関係を記録するのが目的でした。それにあわせて、自分が興味を持っている性に関する社会問題、性意識に関する差別の問題、男女差別の問題、性教育に関する様々な疑問、などを書くことが目的でした。表向きは。
本当の目的・・・と言うか、隠れた目的は、実は、自分がよい母親ではないので、こういった形で記録することで自分への応援、というか、喝を入れる、というか、そういったものが目的でした。
そして、3ヶ月、息子と離れていて、現在、我々の関係は必ずしも良好とはいいがたいです。けんかをするわけでもないし、口を聞かない、とかじゃないんだけど。
dislocated
と英語で言う状態にわたしが陥っているのです。脱臼している、というような意味なんですが、なんと言うか。
ずれてる。
とでもいいましょうか。
もともと、母親意識の薄い人なので(多分、わたしを見て母親だと思う人はいないと思う・笑)、3ヶ月離れている間に、母親とはどういうものであるのかが、分からなくなってしまったんです。実に簡単に。
しかも、テキは思春期で第二次性徴を迎えつつあるじゃないですか。
3ヶ月の間に変わってしまったお互いに戸惑っている状態です。
しかも、こういうときに間に立って関係の緩衝材となるだんなが現在8月の末まで二週間の出張中と来たもんだ。
というわけで、手探り状態でぼちぼちと、息子と向かい合っていかなきゃなあ・・・なんて思うんです。
子供としてこっちが全権を握ってた時代から、個人として向かい合っていく時。ちょうどその狭間にあって、何というか、戸惑うことが多いです。
命令ではなくて、質問をして息子と付き合っていきたい、というのが、今の抱負です。
本当に、お帰りなさいといっていただけて、初めて自分の帰還が終了した、という感じがしています。
帰ってきたぞ~帰ってきたぞ~
ウールトーラーマン~しゅわっち♪
お久しぶりです。
ええと、お久しぶりです。あの・・・覚えている方いらっしゃいますか? えいでございます。
いろいろとありまして、ずいぶん長くこちらを完全放置プレイしておりましたけど。あの・・・そろそろ、再開しようかな、なんて。
でも、多分、前みたいに毎日更新!ってことはないと思うんです。ときおり、ぽとっと更新、みたいな。
3ヶ月、日本に滞在していて、息子やだんなと別れて暮らしてたんですが、7月の末に無事、帰って来ました。
息子は、大きくなっていて、わたしと背の高さが変わらないので、かなりムカついています。そしてひげが濃くなっていて。
だんな曰く
「だって、剃ったら濃くなっちゃうよ」
剃ってないから濃いんですけど。大体、今から剃り始めても、1年後に剃り始めても最終的な濃さは変わらないんじゃないかと思うんですけどね。
というわけで、息子は髭剃り初体験。それっきり生えてまいりません。ひげよ、さらば。
ええと、待っていてくださった方や、留守中に小人閑居のほうに来てくださった方々に、ここでお礼を言いたいです。
本当にどうもありがとうございます。それで、ずいぶん不義理をしちゃってすみませんでした。
それから、留守中にメールでコメントいただいたモリさん、ありがとうございました。(コメ蘭にコメントいただいた方にはそちらのほうでレスをさせていただきました。よろしかったらご覧ください。)
あのムーニーの宣伝は本当によくないと思うんです。
先日、わたしの尊敬するブロガーの一人であるcomplexologist さんのところで、メディアからの情報にどう対応すべきか 、という話題が出ていたんです。そのときに、わたしの態度は、
質問し、考えること。(信じないで疑うのとは違います。)
だと、コメントに書きました。あれ、これって本当にそうなのかな、何でそういう風にこの人は言ってるのかな、質問して考えてみる。
ただ、コンさん自身がおっしゃっているように、こういう場から出てくる情報って本当だ、真実だ、と思いやすいと思うんです。それに、同じようなイメージを何度も何度も見せられていると、それを抵抗無く受け入れてしまうようになると思うんです。そういう形にはまったものの見方が当たり前になってしまう。
単に見慣れた聞きなれたイメージや情報に過ぎないのに、それが「真実」という仮面をまといだしてしまう。
わたしは今回、日本に3ヶ月滞在して、そこにあるこういった男女の性差の固定化されたイメージや、また、違ったセクシュアリティーをもつ人たちに対する差別がまかり通っている現状を見て、本当に頭にきました。
こういった現状に対して、疑問を持たずに受け入れてしまう一つの土壌作りとして、子供のときから、女の子はお花、男の子は乗り物、というイメージが繰り返し子供達に与えられているのではないか。だから、ホモセクシュアルの男性をトランスセクシュアルの男性とまぜこぜにして考えてしまって、ホモセクシュアル=女っぽい男、というような間違った性イメージができているのではないか。
などなどと、考えていました。
ただ、確かに自分がある在り方でいようと思うのは、果たして、そこにある常識に対して反発しているからなのか、それとも自分の中から出てきたものなのか・・・その辺は難しいですよね。女の子はピンクって言われたから、絶対にピンクなんか着るもんかって思っているだけかもしれないし・・・。でも、とりあえず、自分が誰かを考えて、自分なりに自分を表現していく道を模索していくしかないんだろうと思うんです。
そして、自分の結論ややり方をも、質問して考える対象にしていくしか。
また、コンタクトを取ってくださったマッチーさん、いろいろとありがとうございました。お知り合いになれて本当に良かったです。先日の朝日新聞の記事、非常に興味深く拝見しました。そのうち、また、書きます。
というわけで、とりあえず、本日は、ご挨拶を。
あの、ときおり、不定期で更新します。よろしくお願いします。
小人閑居 のほうは相変わらずやってますので、そっちもよろしく(と、さりげなく宣伝したりして・笑)。
チケットは予約しない
今日、病院に行ったら、そこで昔の主治医の先生にあったので、義母の容態を報告したりしていて、部屋に行くのがいつもよりも10分ほど遅れた。まあ、でも、頭も大分はっきりしなくなってきたし、わからないだろうと思って、部屋に入った。
そうしたら、義母が途方にくれてベッドの上に座っている。
I cannot move. What shall I do?
動けないの。どうしよう。
見ると、点滴の管がぐるぐるに絡んでいる。おやまあ、と思いながら、点滴の管をゆっくりと解いてあげた。
初めての散歩に行って引き綱に絡まれた子犬みたいに途方にくれていて、笑ってしまった。
I was wondering if you are coming today.
今日は来ないのかと思ったわ。
I said I am coming every day. Here I am.
毎日来るって約束したでしょ。だから来たよ。
Could you really come to see me every day? Really?
本当に、毎日来てくれる? 本当?
Yes, I will.
約束するよ。
本当は今日、航空会社に電話をかけて帰りのチケットを予約しようと思っていたんだけど。電話をするのをやめた。
にわにはにわにわとりがいる:二話
第一羽:
子供が小さいとき、自分の頭の中でいろいろ考えて、けっこう無茶なことを言ったりしたりする。
農家から買ってきた卵に、ニワトリの小さな羽根がついているのを見て、
「あ、卵がひよこに成りかけてる!」
卵に羽が生えて、ひよこが生まれると思っていたらしい。
「これ、あっためてもいい?? ねえ、ねえ、ねえ」
「あかん。これは、ニワトリにはならへんねん。卵がひよこにはならへんの。この中にひよこの素が入ってんの」
「じゃあ、それがひよこになるんだったら、暖めてもいい?」
「うーん、黄身が入っていても、ひよこはできないんだよね・・・」
だんなが言った。
「・・・・なあ、悪いんやけど、黄身はひよこにはならへんよ。黄身はひよこが育つ栄養なんやけど…」
「・・・・・うそ」
「ほんま」
るーるーるー、僕のジンセイって・・・。
泣くだんな。
「ねえ、卵あっためてもいい?」
「だから、これはひよこにはならへんの」
「何で?」
「ヤッてないからや」
「ヤッてたらできるの?」
「ほかにも、方法はあるけどな、それが一番簡単や。そやからおまえが生まれたんやで」
「ヤッたの?」
「そうや」
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第二羽:
薬の副作用で、義母も頭の中でいろいろ考えて、無茶を言う。
昨日、義母ががいきなり聞いた。
「ねえ、今日の夕ご飯のニワトリ〆た?」
「いえ、まだですけど・・・」
「早く〆て頂戴」
昔、ニワトリを飼っていたころに帰っているらしい。
「おなかがすいてるわけじゃないのよ、でも、せっかく〆たんだったら食べたいわ」
「すみません、わたし、ニワトリの〆かた下手なんです」
「あら、じゃあいいわ。下手な人が〆ると美味しくないのよ」
「役立たずですみません」
ニワトリを〆ずにすんでほっとしました。