テスト | Metallerの昼寝

Metallerの昼寝

食事が基本。でもふだんは穏やか、ときどき自己満足ななんちゃってMetaller。このブログはすべて昼寝中の寝言。テキトーに聞き流してください。
トップ写真は、○十年大好きな日本のメタルクイーン。思春期に影響受けまくりました。

ここ二ヶ月、まったくブログにやってこれなかったのは、あるテストの準備と私主催のある行事を同時並行でやっていたから。
この二つをいっぺんにというのは、かなり客観的にも無理があったと思う。
時間の使い方がむずかしかったのと、睡眠をけずってまでやらないといけなかった。最低限、炊事、洗濯、掃除などの家事をきちんとこなして貧しいけれども人間らしい生活を営みながらの、二つ並行の準備だから。
なにもかもなげうってそれだけに集中していればいい、お金や住まいの心配などしなくても両親とかお金持ちの彼氏彼女さんなどちゃんと周囲の人たちがきちんと助けてくれる、食事をしたければレストランなどに外食にいけばいい、という恵まれたご家庭の「ご子息」ではないので。逆にそういうところに誇りまでもっていたりする。ただそうしていると毎日の業務が非常に増えて、今回のように同時並行でいろいろやっていると自分で自分を追い詰めるかんじになった。
最後のほうはだからかなり苦しくて、息切れがし始めた。テストが終わってペンを机に置いた直後これは朝10時から夕方3時までの集中的な筆記試験だったが、めまいと吐き気がして歩くのがつらくなったほどだった。その後数日はベッドで寝たりおきたりしていた。集中力が切れたのだろう。その後一週間でもうすっかり充電し終わったので大丈夫だが。一週間後あった口頭試問でも十分に点数が伸びず、そのけっか惜しいですが補欠合格です、再試験をうけてください、といわれたのだった。

私主催のある行事というのは、このブログを偶然通りがかりに見つけていただいているかもしれない不特定多数のひとにとってはどうでもいいことなのであえて割愛します。
このDSh。なんのテストかというと、実はこの国の首都の大学で勉強するためのもの。
いい年こいてますが、正規の大学生として学問の本場の国の伝統のある大学できちんと学びたい。
という夢を叶えたいのだ。これまで日本で約10年間働いてきたのも、ひとりでふらりとこの国にやってきてこれまで2年間がんばってきたのもその目的にむかって突っ走ってきたのだった。

ただこれがまた手ごわい。ただドイツ語が好きでちょっとしゃべれますというだけでは、簡単に大学生になれるというものではなかった。
TestDafあるいはDSHという試験のどちらかに合格しなくてはならない。
TestDafというのはこれまで3回挑戦してみた。このテストは英語で言うとTofleみたいなもので、スコアが5点満点で4点以上が合格という判定になる。
一回目は勉強し始めて半年めだったせいもあるのかお話にならなかったが、二回目は4,4,4,3.三回目は5,4,4,3と回数を重ねるごとに成績が伸びてきたのだった。一回ごとの代金が高い(100ユーロ以上)なため毎回懐が痛むのだが。。。。。しかたないなこればかりは。 
DSHは今回初めて挑戦してみた。DSHを受けるには大学に願書を提出してそれが受け付けてもらえてはじめて受験できる。DSHは7月中旬にあったのだが、その前の3ヶ月は準備コースというのがあった。私は3月のぎりぎりで願書提出して幸い受け付けてもらえたが一ヶ月間は前から決まっていた一時帰国のためその講義に出られず、5月はじめからやっと参加した。その後2ヶ月半(5月から7月前半)にかけて集中的に講義を受け続けていたのだが、いかんせん同時並行のほかの行事にまつわるいろんな対外折衝や事務作業が多く疲労困憊して休んでしまったことも多々あった。
集中できない自分の環境に歯噛みしながら、勉強だけやっていればいい幸せなほかの留学生たちをうらやみながらも、それでもやり続けて今回上記のように倒れる寸前までやった結果が、補欠合格。

肩に力が入りすぎていたのかしら。
このまま泣いて挑戦をあきらめたくないので次回も続けます。補欠合格なので再試験を受けないといけない。TestDafも再度挑戦したいと思う。試合でいえば引き分けあるいは敗退にあたる今回の補欠合格だが、どこが足りなかったのか自己分析をするよいチャンスだとおもう。

以前は、ここまでやって私を合格させてくれないのなら、よろしい、この国の大学に対するこれまで私の半生をかけてずっと抱いていた敬意をすべて撤回し、後ろ足で砂をかけてついでに唾も吐いて出ていってやる!こんな傲慢な国のエゴイスティックな大学などこちらからお断りだ!と「たんか」を切ってやろう
と思っていたが。これはいかにも自分の誇りを大切にしているようで、じつはエゴイスティックで幼稚な態度にすぎなくて自分をお安く見せるだけだ、と最近気がついた。こういう自分の態度こそ、傲慢だということだ。冷静にやれることをやるしかなくて。もしぎりぎりで今回大学に合格していたとしても、予備知識はほとんどない初めて学ぶ学部で、果たして若くて理解力に優れたほとんどがギムナジウム出身の優秀なドイツ人が大多数の講義室で、講義についていけるかどうかはまったくもって怪しいものだ。まだラジオのニュースだって完全に聞き取れることも少ないのだから。
最近あるニュースをみた。ある女優についてのことだったが。彼女を励ましたのは逆に、否定的な「もう彼女は終わったね」という世間の反応だったという。
そうした声について「すーごい言われました。でも、それがいちばんの原動力だった」とキッパリ言い切った。続けて「私、小さい頃から家族を含めて周囲からほとんどほめられた記憶がないので、そろそろダメかもねって言われれば言われるほど、すっごいがんばれる。それがもう、いつも私に火をつける。ほめられると迷ってわからなくなるから、ダメになるといったそうだ。

それ、すごくよくわかる、ほめられると、どうしていいかわからなくなる。だから逆にけなされると、このやろう!と歯噛みしながら元気がでる。まったく同じだ。
わたしも小さい頃にほめられた記憶がほとんどない、(ネガティブな記憶は多いのでそれらが数少ないほめられた記憶を上書きしてしまっているのかもしれないが)。だから逆境になるとなんか一人悲劇のヒーローのような気がして 元気になるほうだ。どうやってこの悲劇のなかで生き抜くか!とか。そういうヒーローぶった自分を客観視してくすくす笑っている自分もいる
かといってもちろん好んで苦労を背負いたいわけではない。
だから、どうやったら楽に、次回こそは、合格できるか、というのが目下の私の関心ごとである。