ドイツ、悪妻愚母のよもやま話 -6ページ目

ドイツ、悪妻愚母のよもやま話

主婦にして家事はおざなり、興味あることだけ、猪突猛進の悪妻愚母のドイツ生活

それだけ大声で言い合いしながら、3人揃って地下室の我が家が買った灯油の量の検針をしに降りて行った。P夫人も呼ばれて降りていく。

私はその間にお隣の老夫婦Nさんにハンドソープを借りに行った。

「どうかね、アクサイさん、鍵の引き渡しは」

「いやあ、もう、旦那とギリシャ人夫が喧々諤々で大変です。あんなに怒った旦那は初めてです」

「わあ、大変だね」

帰ってくると、一連の作業は終わっており、みんな帰り支度を始めていた。

 

私はあわてて「あ、じゃあPさん、お話したいことがあります」

と言うと、P夫人は疲労の色を浮かべて、

「いえ、私もう沢山。今日はこれ以上何も聞ける状態ではありません」

「じゃあ、じゃあ、あなたの有能な娘さんにお伝えください。あなたはプロフェッショナルと呼べるにはまだまだ長い道のりがあります。

あなたを通じて、お金が絡むときは無駄に礼儀正しくししたりフレンドリーにふるまったりしないということを学びましたとね」

P夫人は顔をしかめて

「は、何のことをおっしゃっているの。さっぱりわからないわ」

「え、それじゃあなたはちょっとナイーブじゃありませんか」

 

本当に何にもわかっちゃいないのだ。契約が成立した時点で 私達が喜んで出ていったとでも思っているのだろうか。徒労が襲ってきた。

 

私にできたことはせいぜい帰り際に、

「はい、それじゃ、あなた達は廃墟でお幸せに」

と言い捨てたこと。

 

帰ってからもぐったり疲労の一日だった。

 

ところが旦那の方はそうでもなかったみたいで、寝る直前になって、

「僕さ、いろいろ考えていたんだけど、ギリシャ人の主張には〇〇と△△の抜け穴がある。あそこを徹底的に追及してやる」

「はあ、そうですか。大変だね」

「しかし何ていうか、こういうのはスリルがあってちょっと楽しいな。燃えてきたぞー」

と少なからずこの状況を楽しんでいるのである!

 

私はつくづく思い知った。

私はしょせん日本人。平和を愛する農耕民族。対して彼らは騎馬民族。争う時は徹底的に争う。そもそもの根本からして違うのだ。

旦那のような人は法曹界やもめごとを解決する職業に向いているのだろう。感情的にならず冷静かつすばやく相手の主張の綻びを見つける。旦那の、感情の波が極端に少ないフラットな性格がかなり頼もしく思えた今回の一件であった。

私のようにカッカとして体が震えそうになる人はダメである。

 

こんな国で私本当にやっていけるのかしら。長年住んでいてもホンマ不安になるわ、時々。

いやー、疲れた。

引っ越し自体は終わり、新しい家での生活も始まったが、前の家の退去に際して、新住人のギリシャ人家族とひと悶着あり、大変であった。

この家を買って3か月も経とうというのに、契約書も解約書も送ってこず、そのくせ退去の5日前という直前になって、今庭にある木の倉庫とコンポストを廃棄しろと不動産屋を通じて要求してきた。

旦那の話によると、契約書にはそのような義務はないとの事で、ギリシャ人の要求を突っぱねた。

週の頭に鍵の受け渡しがあり、不動産屋のP夫人の立会いのもと、私たち夫婦とギリシャ人家族が顔を合わせた。

 

図々しく握手の手を差し出してきたギリシャ人夫。むっつりした表情の旦那はその手を拒否した。

「あ、そう握手はいらないと」

とギリシャ人旦那はつぶやき、さっそく、庭の手入れがされていない、倉庫とコンポストが廃棄されていないと言い出した。

旦那が間髪入れずにかみつく。

曰く、契約書のどこを見渡してもそんな義務はない事、退去直前のそのような理不尽な要求には到底応えられないこと、

 

等々を怒鳴るとまではいかないが、いつもよりかなり大きな声のトーンで人差し指を突き付けながら滔々と述べる。

もちろんいけ図々しいギリシャ人夫もくってかかり、「オレには公認会計士がついている」「いいや、あんたはドイツの法律というものがわかっていない」とまさに泥仕合。

ギリシャ人妻も参戦し、手を大きく広げて反論してくるが、旦那はまったく臆することなく大声で主張を続ける。

ギリシャ人妻は一緒についてきた娘二人に上に行っているように命じ、戸惑った顔つきの二人は退散した。

 

私は旦那を見直した。

こんなに怒っている彼を見るのはこの20数年で2度目ぐらいではないだろうか。

夫婦喧嘩の時はほとんど反論することなく、白旗を上げるのが常なのに、まるで別人のような鋭さ激しさである。

 

私などその場のムードにやられて、怒りと緊張で体が震えそうになって自分を抑えるのに必死である。

不動産屋のP夫人が「あなたも(このシチュエーションに)いらいらしていらっしゃるのでしょうね」

と聞いてくるので、

「ええ、でもこちらにはそうなるだけの理由が沢山ありますから」

「あら、でも私に対してではないでしょう」

とおめでたく聞いてくるので、

「Pさん直接ではありませんけど、最後にお話ししたいことがあります」

あのでしゃばり跡取り娘についてどうしても一言言わせてもらわねば。

 

旦那とギリシャ人夫の議論は平行線のままで、その件に関しては 法の手に委ねられることになり物別れに終わった。

 

ギリシャ人夫が、庭へと続くガラス戸の空き具合をあれこれテストして開けたり閉めたりするのを見た旦那、

「ちょっとあんた、この家はまだ正式には私たちのもので、あんたの家じゃない。私の家のドアを勝手にいじくらないでくれ」とピシャリ。

(続く)

アフリカンフェスティバルのメインは様々な国のアーティストが舞台上でくり広げるパフォーマンス。

 

各国ごとに特徴のある力強いパフォーマンスなのだが、私がいつも感心してしまうのは、舞台下の普通の観客のリズム感、ダンスのうまさ。小さな子どもでも見様見真似で手足を動かし踊っているのだが、もうその動きがすでにダンスを何年も習っているレベルで目を見張る。

 

4日目のステージで、ナイジェリアのチームが民族舞踊みたいなものをやっていた。会場を踊りながら練り歩き、観客も巻き込んで輪になって踊る。みな普通のおじさん達なのであろうが、手足や腰の動きが完璧に様になっていてかっこいい。全員ダンスのインストラクターのようなレベルだ。

ラテンの人達もそうだけど、持って生まれたリズム感、体のつくりがもう全然違うって感じ。私がどれだけ努力しても到底このレベルには追いつかない。羨ましいなあ。

と、そこへナイジェリア版ナマハゲみたいなお面が登場してきた。

すごいッ、さすがアフリカのナマハゲ。派手派手で見ててテンションが上がるわー。

時々こちらのほうにきて、「悪い子はいないかぁ」みたいに聞いている(多分)のもナマハゲっぽい。そして子どもがお母さんにしがみついて泣き出すのも同じ。

よく見ると、頭のてっぺんには2体の人形(背広を着た白人)が乗っかっているのだが、何を象徴しているのだろう。

 

マダガスカル出身の歌姫、Eusebiaの舞台。

パワフルなステージと輝く笑顔がどことなく南米コロンビアの歌姫シャキーラを思わせる。

歌いながらぴょんぴょん跳ねたり腰を振ったり、その動きたるやどう見ても私たちの5倍ぐらい性能のいいバネが体に埋め込まれているとしか思えない。観客も負けないぐらい興奮して舞台下は興奮のるつぼと化している。彼女の動画をマダガスカルに住むオーストリア人の友人に送ったところ、「彼らの肉体に比べりゃ、オレ達ヨーロッパ人なんてとても同じ人間なんて思えないな」

ヨーロッパ人だけじゃない。あのパッション、リズム感、体の動き、本当にとても同じ人間とは思えない。

 

3日目のステージで、歌手のお兄さんが「ヨォ、みんな。俺の母国語はドイツ語じゃないけど言わせてくれ。今日だけは争いを忘れて、みんなで一緒に歌って踊って楽しもうじゃないか」と呼びかける。

聞いているうちになんだかふつふつと感激してきた。

 

ああこの人達、私達とは全く違った価値観や世界観の中で生きている。不意にそんな思いが湧いてきた。私たちの悩みのほとんどなんてこの人達からすればちっぽけなものなんだろう。

アフリカは貧困や飢餓、病気や政情不安だけではない。もっともっと私たちが知っている知識をはるかに超えて豊かで多様な顔を見せてくれるのだと、目の前の人達を見ながら心から実感。そばにいた娘も大きくうなずいている。娘がわかってくれてうれしい。

 

最後の2日間は息子や上の娘も連れていき、家族全員で味わったアフリカンフェスティバルであった。

4日間もあったのにあっという間に終わってしまい、過ぎてみれば1瞬のようだった。後に残ったのは抜け殻のようになった自分と段ボール箱が散乱したままのリビングルーム。こちらの片づけは一瞬では終わらないぞー。チーン

 

さてグルメもよかったが、私が毎年一番楽しみにしているといっても過言でないのは、来場者のアフリカンファッションの鑑賞である。

 

原色の布が黒やチョコレート色の肌に映える様はため息が出るほど美しく、見ているだけでワクワクしてきちゃう。

日本やドイツの引き算のファッションなどというものはまるでなく、これでもかと盛るほど美しくなるのが彼女たち。今年もたくさんパパラッチさせていただきました。

 

若い子たちはうらやましくなるほど手足が長く、ヒップがきゅっと上がっていて、本当にスタイルがいい。中年になると、こちらもびっくりするほど体形が変化し、横幅がせり出して堂々たる巨体になるのだが、それはそれで迫力あるアフリカンママという感じで、色鮮やかなアフリカンドレスがひときわ肌に映える。

 

娘に何度興奮して言ったことだろう。

 

わー、あの人素敵!

あのドレスの色を見てよ。あんなのが似合う人ってドイツ人や日本人にはちょっといないよね。

衣装に負けてないねー。あのチョコレート色の肌だからこそ映える色だよね。

 

出来るなら全員パパラッチさせてもらいたいぐらい目を奪われるファッショニスタなのであった。

カラフルなアフリカンファブリックに細かい三つ編み のザ・アフリカンファッション。

モデル並みの高身長で司会進行を務めていた美人のお姉さん。本当にモデルかもしれない。

ただでさえ足が長いのに分厚いヒールの靴で余計に足長効果。この人も美人だった。

大胆な色のファブリックに大きな笑顔がよく似合う。

 

ドレスとバッグのどちらも蛍光のグリーンという奇抜な組み合わせもアフリカ人が着ると色に負けていない。

かっこいいお尻とグリーンのドレスが遠くから人目をひいたお姉さん。

あの人素敵じゃない。あのお尻、ちょっと見てごらんよ。そばにいた娘に興奮して耳打ちしたところ「ママ、ヘンタイ」ニヤニヤ

ブレブレだけど、夜市でひときわ目立っていたお姉さん。

ピンクの柄トップにラメのマーメードスカートがキラキラしていた。かなりご機嫌で店の軒先で一人ダンス。楽しそう。

 

まったく毎日こういう人たちを見ていると、私も突如として派手な服を着たくなるわ。この齢だからとかこんな派手な格好は、などという尻込みが吹っ飛ぶのである。ファッションチェック、今年も大満足である。

 

夜な夜な出かけ、大音量のライブミュージックの熱気の中、屋台で煮込み料理を食べ、サトウキビジュースで涼をとる。

その後はお決まりのナイトショッピングでお店を冷かしつつ、疲れたところで帰宅。よく歩いたせいか毎日ぐっすり眠れた。

先週の初めにあわただしく引っ越しを終えた我が家。
引っ越し運送会社のウクライナ人チームはサクサクと仕事をしてくれたものの、キッチン組み立ての若いお兄ちゃんがミスの連発で、1週間経ってもまだ完成されていないという混沌ぶり。
リヴィングには段ボール箱が散乱しているし、まだまだやることは山積みでげんなりしてしまう。
 
となると・・・、悪妻の考えることはただ一つ。現実逃避である。爆  笑
というのも先週は現実逃避にこの上なくぴったりなイベントがあった。毎年楽しみにしているアフリカフェスティバルである。木曜日から日曜日まで堂々4日。一日も欠かさず通った。もうこうなると立派なアフリカおたくである。
3年前初めて行ってからというものすっかりはまってしまい、去年からは旦那や下の娘も巻き込み、今年は二人とも楽しみにしていた。
 
日没近くになって着くと、出た出た、大きな橋の下にある空き地に設営されたそこはライブミュージックがガンガン鳴り響き、各国の煮込み料理を売るテントが立ち並び、いろんな肌の色の人達が行き交う雑多で国籍不明の空間となっている。むちゃくちゃテンションが高くドイツ離れした雰囲気である。
 
さあまずは腹ごなしをしなければ。
今までのアフリカンフェスではサモサしか手を出さなかったが、今年は思いきって見たことのない料理にもトライしてみた。
ウガンダ人のチームが出しているお店で、ピラフに煮込み料理を少しづつ取ってくれる。これが思いがけずすごくおいしかった。先に手を付けた娘が、ママこれすごくおいしいよ、と指したどろどろのペーストは ピーナッツ風味のほうれん草に豆の汁。、ビーフシチューは肉がすごく柔らかくチキンもかぶりつきたくなるおいしさ。全然辛くなく、ドイツ料理ほど塩辛さもなく、日本人の口にも合う。あまりにおいしかったので、3人でぺろりと平らげ、翌日から行くたびに同じお店でリピートしまくる。
しかし、ウガンダといえば、毎年サモサを買っていたお店の看板娘のお姉ちゃんが今年は見当たらない。
どうしたんだろう。お店の人に聞いてみようかな、と思っていたところ、黄色いTシャツを着たおばさんがいきなり
「あんた、今年も来たのねー」と話しかけてきた。
ン、どちら様でしたっけ?と穴のあくほど相手の顔を見たが、全く面識がない。
「あんた、私を忘れたのー。毎年私のお店でサモサを買っていったじゃない」
わ、あの姉ちゃんだ。すっかり様変わりして誰かわからなかった。
 
一昨年は羽のように長いつけまつ毛にフルメイクで妖艶なアフリカンビューティーだったお姉ちゃん。去年はつけまつ毛がなかったせいで別人のようだったが、まだ本人だと認識できた。今年は・・・なんと言えばいいのか、気のいい長屋のおかみさんみたいな風情である。髪型がショートになったせいもあるが、化粧っけは一切なく、目など一昨年の半分ぐらいの大きさだ。ある意味整形レベルの変容というか、お面でも付け替えたような別人ぶり。女性のメイクでの変容ぶりは恐るべしである。
「やだー、ねえちゃん。会えてうれしい。全然わからなかったよ」
「私、老けちゃったのよー。あんたはどうしていつもそんなに若くてフレッシュに見えるの」
とお世辞を言ってくれた。フレンドリーさは相変わらず。
 
おなかがくちくなれば、今度は喉が渇くもので、こちらも今回初トライしてみたのが、サトウキビジュースである。
機械で絞られた後のぺたんこになったサトウキビの茎がうず高く積まれている様は圧巻!
サトウキビジュースにマンゴーやライムなど様々なフレイバーで割ったものだが、甘くてフレッシュでこちらも毎日リピート。
 
隅のほうでは、ワニ肉やダチョウ、カンガルーなどの野生動物の串刺しを売る屋台を発見。
ムムッ、初心者レベルではないが、私は約30年前アフリカの旅でワニ肉を食べたではないか。あれは確か鶏肉のような触感でとっつきやすかった気がする。
久しぶりに注文してみると、本当に鶏肉そっくりでやわらかく記憶の中のワニ肉よりおいしい!1本9ユーロ(約1500円)もしなければもっと食べたかったのに。チーン
 
しかし、私にとってさらなる上級者レベルのアフリカのご飯といえば、エチオピア料理である。
なんせエチオピアといえば、アフリカ縦断バスの旅行で、みんなが唯一やせた国である。主食のインジェラは酸っぱさが際立ち、旅行者のブログには、見た目は雑巾、味はゲロなどと書かれてある。煮込み料理の肉もとにかく辛かった記憶しかない。はっきり言ってもう一度食べたくなるようなものではなかった。
 
しかし行ったことのある国は懐かしく、スタンドで働いているエチオピア人のお母さんも感じがよかったので、勇気を出して数十年ぶりにエチオピア料理を注文してみた。こちらも数種類の煮込みに例のインジェラが2つ付く。
席に着き、おそるおそる口をつけてみると、ン、そんなに悪くないじゃん。2種類の豆の汁物はおいしいといってもいいぐらいだし、煮込みの肉も辛いが現地で食べたものよりはマイルドである。おまけにインジェラもドイツ人の舌に合わせたのか酸っぱさが少なく、ふわふわして食べやすい。個人的な好みとしてはウガンダのお店のほうに軍配が上がるが、記憶の中にあるほど悪くなかったかな。
お皿を返しに行くとき、お母さんにアムハラ語で「ありがとう」とお礼を言ったら喜んで投げキッスをしてくれた。(続く)