ドイツ、悪妻愚母のよもやま話 -17ページ目

ドイツ、悪妻愚母のよもやま話

主婦にして家事はおざなり、興味あることだけ、猪突猛進の悪妻愚母のドイツ生活

そんな村で外国人がやってきて差別とか仲間外れにされたりしなかったの、と疑問が口をついで出てきた。

 

「それがそんなことは一切なかったのよ。ほら、過疎化で高齢化した村だからみんなで助け合ってやっていこうって。かえって住民が増えたって歓迎してくれたわよ」

ケイちゃんが教えてくれた。なるほど。助け合わないとやっていけない。そうするとコミュニケーションも密にならざるを得ないか。私も人口15人の村だったら、冷淡な仲である隣のH家族と仲良くなっていたりしてとふと思っちゃった。えり好みしている余裕なんてないのだ。

大陸横断バスで、ユーラシア大陸やアフリカ、南米を回った後、ルーマニアが気に入り腰を落ち着けたステファン夫妻だが、数年住んだ後、この国を離れることを計画しているという。

物欲をまったく持たない彼らだから質素な村での生活は気にならなかったが、理由の一つにルーマニア人のあるメンタリティがイヤになったんだと教えてくれた。

 

「きみは日本人だから、或いはドイツ人でもそうだろう。自分が貧しくて生活が苦しいなら、まず頑張って働いて自分の努力で生活を向上させようとするだろう」

「まあ、そうだよね」

「ところがここの人達は、生活が苦しい、自分たちは物がない。が、近所の〇〇さんのところには物がある。じゃちょっと行って失敬してこよう。とまあこういう思考なんだ」

そんなの全然知らなかったな。でもルーマニアに長く住んだ彼らがいう言葉に嘘があるとも思えない。

後年ドイツで出会った頭のいい誠実なルーマニア人の男性に失礼を承知で質問したところ、勢い込んで、「そう、そうなんだ。うちの両親の近所でもそんな隣人がいて困っているんだよ」

ちなみに共産主義の旧東ドイツで育った旦那も「ああ、そういうのは東ドイツでもよくあったな」

 

こういう話は、旅行者のブログではまず見かけることが出来ないだけにとても貴重。

私にしたってルーマニアと言えば、ため息が出るほど美しい手仕事、或いはブカレストの劣悪なマンホール生活者、みたいな両極端なイメージで普通の人がどのような生活を送っているのか、知る由がなかった。

 

結局この数年後、ステファン夫妻はこの村を引き払い、日本へ移住、その後、ベトナムを経て今はアフリカのマダガスカルに住むというスケールの大きな人生を送っている。

 

あの村はというと、ステファン達と時を同じくして、お婆ちゃんが老齢のため、よそに住む息子の家に引越しし、人口は減っていたが、先日グーグル検索をしてみたたところ、2021年の時点で住民は17名。なんと増えていた!

おまけに何かキリスト教関係のイベントがあったらしく、村に一軒残る教会に司教のようなお偉いさんたちが集まり、民族衣装を着た参加者など100人ぐらいの集まりの写真も見た。

廃村にならなかったんだ、あの村。いずれ先は長くないのでは、と危ぶんでいただけに、まだ存続していることがわかってうれしい。

それでも常に廃村の危機にさらされていることに変わりはないだろう。どうか出来るだけ長く存続してほしい。部外者の勝手な郷愁で願ってしまうのである。

 

正直言って、あのような村に住みたいかと聞かれると、文明に甘やかされた私にはとても無理。しかし、めったに出来ない貴重な体験だったことは間違いない。ドイツに戻ってからしばらくの間は、あまりにも物が多く、便利な機械に囲まれた自分の家に辟易し、強烈に何か削ぎ落したい!と思ってしまった。食洗器があるのに手で皿を洗い始める始末。(すぐ戻ったが・・・)

 

あの村での体験を友達にも話したところ、彼女が、

「うちも義妹がドイツの雑誌でも選ばれた美しい村に住んでいるんだ。不便だけど確かにすごく可愛い村だよ」

「へー、人口何人ぐらいなの」

「それがたったの200人だってー」

友達は私が驚くと思ったのだろうが、ルーマニア旅行以来、私の中では村は15人というというのがスタンダードとして定着。そのため「ふーん、ずいぶん大きい村だね」という感想が出てきて二人で笑ってしまった。

超過疎化した人口15人の村に住むのはどんな人たちなの、という私の疑問にはすぐに答えが与えられた。
都会と違ってみんながご近所さんなので、住民の行き来がとにかく多いのだ。
私も村にいた2泊3日の間に6人ぐらいの人に会わせてもらった。人口15人だから既に村の半分を制覇である。これがまた色々な経歴のある興味深い面々で・・・。

さっそくやって来たのは、白髪頭の優しそうなお婆ちゃん。いかにも東欧のかわいいお婆ちゃんといった風情だ。腰を下ろしてお茶を飲みながらステファン夫妻の通訳で色々なお話をする。

 

私が日本から来て、今はドイツに住んでいて~とお話しすると、お婆ちゃんは、「まあまあ、娘がそんな遠い所に住んでいて、日本のご両親はさぞかし・・・」と言うと、青いきれいな目から涙がこぼれんばかりだ。

私もホロリとして、なんて優しいお婆ちゃん、美しい心の持ち主だわ、と感激したのだが、お婆ちゃんの帰宅後、ステファンにそう告げたところ、

「イッマハネー(今はねー)」とニヤニヤ笑う。

「ムカシハ、コノ村イッチバンノキラワレ者。(昔はこの村一番の嫌われ者)」となぜか嬉しそうに日本語で言う。

えー、と思ってケイちゃんの方に聞いてみても、「そうよー、今でこそ年を取って泣きが入っているけど、最初は色々イヤな事を言ってきたり、勝手にうちの木材を持って行ったりとかしてたわ」と笑う。

あーあ、人は見かけによらないものだ。東欧のかわいいお婆ちゃん、優しくて心がきれいでなどというのは都会に住む者の勝手な願望に過ぎないのか、まったくのところ。

 

次に案内されたのは、ニコさんという40代半ばの男性のお家。純朴な感じの寡黙な人だが、根はやさしそうで、牛の乳しぼりをしているところを見せてくれ、息子にかわいいウサギを触らせてくれた。

この人ともケイちゃんの通訳があるせいで、色々なお話が出来た。

彼女の話によると、ニコさんは、昔はブカレストに働きに出て、結婚もしていたのだが、妻になった人が良くなかったというか、最後の方は結婚生活に疲れ果ててひどい鬱状態に陥ったという。

「もうコーヒーしか喉を通らなくて夜も全然眠れなくて、ただひたすら離婚したい、この女から離れたいと思っていたんだって」

一介の旅行者に初対面でこんなに赤裸々に教えてくれるのも不思議と言えば不思議だが、何も隠す様子はなく、淡々と話してくれた。

幸い村に帰ってきてからは健康を取り戻し、新しい彼女も出来たらしいが、結婚はこりごりという事で、籍は入れずにつきあっているという。

私が何度も「わ、お若いですね。とても40の半ばには見えません」とくり返したら喜んでニコニコしてくれた。いい人だ。

さらに一軒連れて行ってくれたのは、中年の夫妻二人のお家。この村のどこでもそうだが、約束もなく勝手に入って行って「はい、ちょっとお邪魔しますよ」と腰を下ろし、お茶を飲んでおしゃべりをしていく。向こうもイヤな顔をするでもなく当たり前のようにお茶をふるまってくれる。

 

居間には自家製のチーズが布に包まれて紐に掛けられ、他の家同様ほぼ自給自足なのだが、驚いたことにコンピューターも設置され、奥さんはなんと英語で色々と解説してくれる。

このような田舎で、中年のおばさんが結構上手な英語で話をするのに驚いていたが、ケイちゃんが「彼女はけっこう頭がよくって頑張り屋さんなのよ」と教えてくれる。一体どういう経歴の人なのだろう。

 

一番驚いたのは、最後に見かけたベランダから笑顔で手を振ってくれた中年の女の人。

フレンドリーな感じでステファンとしばらくおしゃべりをして別れたのだが、別れた後でステファンがこっそり、「彼女は娼婦をして稼いでいるんだ」

えー!!びっくり仰天。だってこんな鄙びた田舎の普通の感じのおばさんが娼婦って。い、一体どうやって。

「顧客が電話をかけてきて、彼女が町の方に行くんだ」

ステファンが知っているぐらいだからこの村では秘密でも何でもないんだろう。

 

まあったく。東欧の小さな村で純朴な人たちがつつましくも心豊かに暮らしているみたいなイメージがガラガラと音を立てて崩れていく。見た目は優しいが手が早いお婆ちゃんとか、酷い鬱に陥った男の人とか娼婦をして稼いでいる女の人とか、もうどうなってんのよッ。といっても、これは旅行者の勝手な幻想で、実際はどんな美しい場所にも現実があるというのが本当のところだろう。(続く)

ほんっとうに何にもない。お店もレストランもバーもないし、ぬかるみと砂利の道に、だだっ広い緑の野原が広がり、昔ながらの古い家が数件立ち並んでいる。食料品店もないので、必要なものがあれば、誰かが町に行くときに交代で買ってきてもらうという。

ステファンたちの話によると、この村はほぼ自給自足で、食べ物も庭で取れた野菜などいわゆるオーガニックで、健康的な食生活になるせいか、ルーマニアの平均寿命よりかなり長生きする人が多いということだ。

ちなみにこの小屋は燻製を作るための部屋だという。

確かに二人とも肌艶がよく、ケイちゃんは全く化粧っけもないのに美しいお肌。

ステファン曰く、「健康な体は健康的な食事から始まる」で、滞在中自分の庭で取れた卵や庭のイラクサをおひたしにした「スキンケアブレックファースト」を出してくれた。なんでも完全に自然の環境で育っている鶏だから殻も食べられるという。これを続けてからステファンは歯が丈夫になったとか。

水道は通っているのだが、村はずれには湧水が出るとのことで、ケイちゃんが5Lのミネラルフォーターのボトルで水汲みに行くのに同行させてもらった。こちらも初めての体験だ。

アスファルトなどというものはもちろんなく、雨が降った後のぬかるみ道を息子は楽しそうに遊んでいた。

ステファンが「長靴を持って来るように」と言った意味がわかった。

見渡す限りの緑の原っぱ。やんちゃな息子もここでは思いっきり跳ね回れる。

 

住宅はどれも一軒家で昔ながらの趣のある建築だが、人が去り、老朽化して、崩れかけているのもあった。

しかしながら、彼らの家は古いなりに手入れが行き届き、快適であった。なんせ広い!広々とした庭では放し飼いにされた鶏やホロホロ鳥が行きかい、もの珍しさに私は写真をバシャバシャ。

 

「ねえねえ、この村、何人ぐらい住んでいるの」

ふと好奇心をおぼえてたずねてみると、

「今年は全部で15人かな。今年は、と強調したのは、この村は超高齢化しているから来年も15人のままかどうかは定かでない」

という答えが返ってきた。じゅ、15人!過疎化も過疎化、超過疎化ではないか。おまけに高齢化って。一体どんな人達が住んでいるわけ。(続く)

先日チェコに行ったせいか、芋づる式に大陸横断バスで訪れた東欧のことが懐かしく思い出された。

ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア。もう28年も前だけど、思い出は今もしっかり心の中に焼きついている。その中でルーマニアだけは友人夫妻が住んでいたこともあり、ドイツに住むようになってから息子と二人で一度訪れたことがあるのだ。

 

あれは12年前の春先だったか。大陸横断バスで運転手を務めたオーストリア人のステファンと日本人の奥さん、ケイちゃんが当時トランシルバニア地方シビウ近郊の小さな村に住んでいて、ある年思い切って遊びに行くことにした。

 

5,6歳だった長男と飛行機で飛ぶこと数時間、シビウの空港で懐かしいステファンとケイちゃんが迎えに来てくれて抱き合って再会を喜ぶ。

シビウの町も大陸横断バス以来15年ぶりぐらいか。中央広場は外国資本のブティックが入っていたりして多少モダンになっているけど、あまり変わっていない。

あ、ここの古い石の階段、ここを降りたところで、あの当時、きよみんとTくんがいい笑顔でアッカんべーをして写真撮ったっけ。

歴史的なシビウの広場も、私にかかればアッカンベーが一番の思い出になっているのが浅はかなところ。爆  笑

あの頃19歳だった私が今や自分の息子を連れて、ステファン夫妻とシビウの町を歩いているなんて。現実離れしているとしか思えない不思議な感覚。

一人で想いにふける私にステファンが、

「きみ、お土産買いたいんだったらここが最後のチャンスだぞ。何しろ今から行くところはお土産屋はおろか、お金を使う場所が一切ないからな。19世紀へのタイムスリップだよ」と笑う。

今や地元民となったステファン夫妻のおかげで、28年前は知らなかった地元の青空市場ものぞくことが出来た。

ホルンダー(エルダーフラワー)の白い花。こちらの人もシロップや薬用ハーブとして使うのだろうか。

ラディッシュも赤くてムチムチしていて生命力がありそう。

一体どんなところに住んでんねん、と思いながら彼らの運転してくれる車に乗り込む。

だんだんひなびた風景に代わり、時折馬車に乗った人とすれ違う。都会は発展を遂げているらしいルーマニアもこの辺はあの当時とほとんど変わっていない。シビウから1時間ほどたっただろうか。ガタピシ揺れる道を超え、車はようやく村にたどり着いた。(続く)

昨日は、上の娘が初めてベビーシッターをするというので、私も監督兼サポート役として一緒について行った。

ご近所さんで里親をしているW夫人からのたっての頼みで、1歳のサラと2時間ほど公園で遊んでほしいという。

 

午後3時にお宅へ伺うと、W夫人が嬉しそうな顔で出てきた。

「もう本当に助かるわ。マーティン(もう一人の里子)は知人のところに預かってもらっているし、私、やっと家のことが出来るわ」

ホッとした顔でベビーカーにサラを座らせるW夫人。差し出された封筒の中には娘へのバイト代が入っていた。

 

公園につくと、娘は慣れた様子でサラをベビーカーから抱き上げ、優しく語りかけながら砂場に下ろす。

なんだか娘がお母さんになって自分の子どもを抱いている未来を見ているようで、ホロリとなる私。娘に告げると、「私、子どもを持つ気ないから」とつれない返事。どうぞ心変わりしますように・・・。

しかし家ではただのわがまま娘だが、サラに接する娘はまったくもって立派なベビーシッターで私も見直した。

 

赤ちゃん用のブランコに乗せ、娘が勢いをつけてビューンと押してやると、サラは大喜びでキャッキャッと笑う。

「わあ、こんなサラ始めて見た。恥ずかしがり屋でおとなしい子だと思っていたのにすごいねー。w夫人はサラのこんな顔知っているのかな」

私が聞くと、

「いやー、彼女でも見たことないかも」

と娘。あとでスマホビデオを送ろう。

 

土曜日の午後の公園は最初ガラガラだったのだが、突然二人の金髪の少女が飛び込んできた。

姉妹らしい二人は、元気よく砂場に駆け寄り、散乱しているサラのおもちゃを手に取って思い思いに遊んでいる。あまり見かけない子達だ。

 

最初は気にも留めなかったのだが、ふと彼女たちの話す言葉に不思議なものを感じ振り向いた。

よぉく耳を澄ませてみると、なんと彼女たち、純然たるアメリカ英語で会話している!自然なネイティブの英語だ。

しかし、この隅の谷、ド田舎の小さな公園。ドイツ人の子しか来ない遊び場に英語をしゃべる子なんて。

例によって猛烈な好奇心が湧き上がって来た私。怪しい人に思われないようにそろそろと歩を進め、何気ない感じで砂場に接近。

サラを遊ばせながら娘も興味津々の様子でこちらを見ている。

 

「ハロー」と声をかけると下を向いたまま「ハロー」。

「あのー、あなた達ドイツ語しゃべれる?」

とドイツ語で聞いてみると、

「少しね」と英語で返ってきた。どうもそれほどドイツ語は出来ないらしい。

それなら、と私はさっそく英語に切り変え、

「あなた達、どこから来たの」

と聞くと、はたして

「アメリカよ。ユタ州」と答えるではないか。

「えー、私、いとこがユタ州に住んでいるんだよ!」

と言うと、社交礼儀的に、

「オォ、ワァオ」

と言ってくれた。

私は抑えきれない好奇心を隠しながら、努めて何気ない調子を装いながら、いろいろと質問を重ねた。

 

彼女たちは、お母さんがドイツ人でお父さんはアメリカ人。この隅の谷にはおじいちゃんおばあちゃんが住んでいて、2週間の予定で訪れているとか。

9歳と7歳だというブロンド姉妹は、アメリカ人らしく、気さくな感じで、自分のお母さんはアメリカで銀行員をしていること、周りにはあまりドイツ人がいないこと、空港でロストバゲージがあったこと、ドイツに来るのは大好き、などと話してくれた。

 

よくよく聞いてみると、二人ともたった今空港から祖父母の家に到着したそうで、時差ボケもなく、すぐに公園に飛び出してきたそう。さすが、若いってすごいわ。

 

私は普段ドイツの子にあれこれ話しかけることはない。変な人じゃないかと思われる恐れもあるし、なによりこの地方の子は用心深く、あまりペラペラ話したりしない。むき出しの好奇心はダメ、エキサイトした態度も白い目で見られる文化じゃ、こっちの気持ちもすうっと冷えてしまう。

 

見た目は似ていても随分と感じが違うなあとアメリカ人姉妹と交流しながら実感。

 

17時を過ぎたので、姉妹とバイバイしてサラを連れて帰る。

いやー、面白い経験をしたな。娘のベビーシッターを監督するつもりでついていったら、アメリカ人姉妹と交流できてしまった。

思わぬ儲けもの、今日もいい日だった。