そんな村で外国人がやってきて差別とか仲間外れにされたりしなかったの、と疑問が口をついで出てきた。
「それがそんなことは一切なかったのよ。ほら、過疎化で高齢化した村だからみんなで助け合ってやっていこうって。かえって住民が増えたって歓迎してくれたわよ」
ケイちゃんが教えてくれた。なるほど。助け合わないとやっていけない。そうするとコミュニケーションも密にならざるを得ないか。私も人口15人の村だったら、冷淡な仲である隣のH家族と仲良くなっていたりしてとふと思っちゃった。えり好みしている余裕なんてないのだ。
大陸横断バスで、ユーラシア大陸やアフリカ、南米を回った後、ルーマニアが気に入り腰を落ち着けたステファン夫妻だが、数年住んだ後、この国を離れることを計画しているという。
物欲をまったく持たない彼らだから質素な村での生活は気にならなかったが、理由の一つにルーマニア人のあるメンタリティがイヤになったんだと教えてくれた。
「きみは日本人だから、或いはドイツ人でもそうだろう。自分が貧しくて生活が苦しいなら、まず頑張って働いて自分の努力で生活を向上させようとするだろう」
「まあ、そうだよね」
「ところがここの人達は、生活が苦しい、自分たちは物がない。が、近所の〇〇さんのところには物がある。じゃちょっと行って失敬してこよう。とまあこういう思考なんだ」
そんなの全然知らなかったな。でもルーマニアに長く住んだ彼らがいう言葉に嘘があるとも思えない。
後年ドイツで出会った頭のいい誠実なルーマニア人の男性に失礼を承知で質問したところ、勢い込んで、「そう、そうなんだ。うちの両親の近所でもそんな隣人がいて困っているんだよ」
ちなみに共産主義の旧東ドイツで育った旦那も「ああ、そういうのは東ドイツでもよくあったな」
こういう話は、旅行者のブログではまず見かけることが出来ないだけにとても貴重。
私にしたってルーマニアと言えば、ため息が出るほど美しい手仕事、或いはブカレストの劣悪なマンホール生活者、みたいな両極端なイメージで普通の人がどのような生活を送っているのか、知る由がなかった。
結局この数年後、ステファン夫妻はこの村を引き払い、日本へ移住、その後、ベトナムを経て今はアフリカのマダガスカルに住むというスケールの大きな人生を送っている。
あの村はというと、ステファン達と時を同じくして、お婆ちゃんが老齢のため、よそに住む息子の家に引越しし、人口は減っていたが、先日グーグル検索をしてみたたところ、2021年の時点で住民は17名。なんと増えていた!
おまけに何かキリスト教関係のイベントがあったらしく、村に一軒残る教会に司教のようなお偉いさんたちが集まり、民族衣装を着た参加者など100人ぐらいの集まりの写真も見た。
廃村にならなかったんだ、あの村。いずれ先は長くないのでは、と危ぶんでいただけに、まだ存続していることがわかってうれしい。
それでも常に廃村の危機にさらされていることに変わりはないだろう。どうか出来るだけ長く存続してほしい。部外者の勝手な郷愁で願ってしまうのである。
正直言って、あのような村に住みたいかと聞かれると、文明に甘やかされた私にはとても無理。しかし、めったに出来ない貴重な体験だったことは間違いない。ドイツに戻ってからしばらくの間は、あまりにも物が多く、便利な機械に囲まれた自分の家に辟易し、強烈に何か削ぎ落したい!と思ってしまった。食洗器があるのに手で皿を洗い始める始末。(すぐ戻ったが・・・)
あの村での体験を友達にも話したところ、彼女が、
「うちも義妹がドイツの雑誌でも選ばれた美しい村に住んでいるんだ。不便だけど確かにすごく可愛い村だよ」
「へー、人口何人ぐらいなの」
「それがたったの200人だってー」
友達は私が驚くと思ったのだろうが、ルーマニア旅行以来、私の中では村は15人というというのがスタンダードとして定着。そのため「ふーん、ずいぶん大きい村だね」という感想が出てきて二人で笑ってしまった。























