9年ぶりの日本!③ 関空にて | ドイツ、悪妻愚母のよもやま話

ドイツ、悪妻愚母のよもやま話

主婦にして家事はおざなり、興味あることだけ、猪突猛進の悪妻愚母のドイツ生活

 約18時間の旅を経て、午後7時過ぎに関空に到着した。

 何年もこの瞬間を夢見ていた。空想の中で何度このシーンをイメージしたことだろう。歓喜で小躍りしているだろうか、或いは気分が悪くなって倒れ込み、医療室へ運ばれるとか。

 いずれにしてもドラマチックなシーンを頭に思い描いていたが、現実はもっとドライだった。

 無事ついてホッとしたことはしたが、たくさんの人、これから始まる入国審査に荷物のピックアップ。しかもここからは家族に代わって私が日本語ですべてやり取りしなくてはいけない。自分の肩に責任がかかるのを感じ、胸がドキドキした。

 

 まず、やっと着いた関西空港で、周りが日本人ばかりなのがすごく変な感じ。日本だから日本人が多いのは当たり前なのだが、9年もヨーロッパから出ず、毎日白い肌と金髪や茶髪の人種に囲まれて過ごしてきたので、いざ日本人に囲まれ、日本語がそこここから聞こえてくる環境に急に慣れることができない。

 久しぶりの日本の風景に頭と心がついて来られず、バーチャルリアリティの中にさ迷い込んだような気分だ。

 

 飛行機の旅は意外と大丈夫だったが、空港の人の多さにくらくらする。私たちは遅めに出てきたので、入国審査の列にはもうわんさと人が並んでいる。

 しかもほとんどが外国人用の列に並ぶ人たちで、日本人用の列はガラガラ。昨今の日本の事情を表している。

 

 子ども達の日本のパスポートは期限切れだったので、今回日本のパスポートを持っているのは私だけ。200人以上ぐらいいるであろう入国審査の列で旦那と子ども達が終わるのを待つのかとウンザリしたが、超ラッキーなことに、係り員の人が、家族連れだという事で、特別にお目こぼし、旦那と子どもも日本人の列に入れてもらった。よかったー。さもなければ入国に1時間ぐらいは余計にかかっていたはず。ね、お母さんが日本人でよかったでしょ?恩着せがましく言う私。

 

 荷物が出てくるのを待つ間、次女に

 「ママ、こんなに人が多いのに、静かだよね」

と言われ、改めて気がつく。そうだ、行きのニュルンベルク空港は関空の何分の一の小ささなのに、押しの強いドイツ人、及び外国人と、それに負けないぐらいキツイ係員の人達とやたらうるさかったなあ。

 「日本人はあまり声高にものをいう事をよしとしない国民なんだよ」

と娘に言うと、「まあその方がいいよね」という答え。

 頭がくらくらするので、娘の頭を抱きしめて「タミィちゃん、やっとみんなで日本に来られたね。ママの夢がかなったのよ」と自分に言い聞かせるように言う。

 

 迎えに来てくれた父親について、京都行の特急はるかに乗る。

 列車の中で早くも日本だなあと感じる出来事が。

 若い女の車掌さんが乗車券の点検をしに来た時のこと。荷物の多い私はとっさに切符が見つからずアタフタ。

 「すみません。ちょっと今見つかりませんで」

と言い訳すると、車掌さん、にっこり笑って、

 「そうですよね。ゆっくりお探しください。また後で見に来ますね」

 優しいものの言い方にここは日本だな、と実感。ドイツじゃ、イライラした態度でせかされ、無賃乗車しようとしたなと疑わしい目で見られること間違いなし。

 

 さてようやく実家について数日。

 時差ボケで体がつらいという事も手伝って、最初の4日ほどは家の周りぐらいしか出かけず、日本にいるという事にドキドキしていた。

 妙に苦しいな、家族みんなで日本へ来るのが夢で、それが叶ったはずなのに何でイマイチうれしさがこみ上げてこないんだろう。最初の数日はそれがつらかった。

 

 その一方で、日本の家族に再会できて、ご飯はおいしいし、懐かしい故郷に帰れて、2週間後ドイツに戻ったらがっくりしてしまうんでないかという危惧も生まれてきた。

 旦那に言うと、「大丈夫だよ。それだったら毎年でも帰ってこればいいじゃないか」

 そう言われてやっとホッとした。

 よっぽど疲れていたんだろう私。体調がよくないといろいろネガティブなことを考えてしまう。

 ぐっすり寝て体力が回復したら自然と気持ちも明るくなるだろう。