告知を受けたのは、自宅近くのそんなに大きくない総合病院でした。

そこでは大きな手術は行っていないらしく、病院を移動することになりました。

 

病気が判明し、手術が決定し、その流れでまず悩んだのは『どの病院にすれば良いのか』です。

 

周りに乳癌経験者もおらず、ネットの情報だけが頼りでした。

調べられる限り、調べました。

でもどこにするのがベストなのかなんて、全然分かりません。

 

もし『部分摘出』になったら、術後1ヶ月間、毎日『放射線治療』をしなければならないので、「毎日通う」という事は考慮に入れた方が良いかも知れません、と病院の先生は説明してくれました。

 

『放射線治療』とは、『部分摘出』する場合、周りの乳管にも微量の癌が残っているかもしれないので、その残っているかも知れない癌を治療する為に『放射線治療』をする、という事らしいのです。

基本的には週5日、月曜〜金曜、毎日10分くらい放射線を当てる、というお話しでした。

 

 

…7月中旬に手術が予定されているから、8月の真夏の暑い最中、毎日の病院通いはキツイなぁ…

汗で手術箇所、しみたりしないかなぁ、

痛くないかなぁ、

膿んだりしないかなぁ…

 

 

もう一つアドバイス頂いたのは、もし『全摘出』となった場合、『乳房再建』も同時にできる病院が良い、とのお話しでした。

 

先生からは、癌研、順天堂、聖路加など、大きな病院の名前を幾つか教えて頂きました。

そして、もう一つ。

今私が通っている、「昭和大学病院」も紹介して頂きました。

 

 

全然知らない病院でした。

初めて行った時の印象は、この大学病院の外観、正に「白い巨塔!」っていう圧がハンパなくある感じでした(笑)

 

結果、この病院を選んだ理由は、

・最寄り駅から割と近い

・ネットで見る限り乳腺科がしっかりしている印象

・家からも通いやすい場所にある

 

そして何より、私の癌の告知をしてくれた先生が常勤していた病院、だった事でした。

 

そして昭和大学の乳腺科(ブレストセンター)を調べると、そちらのセンター長はお名前をどこかで拝見したことがある先生でした。

また、女性の医師もいらっしゃって、「乳癌手術のスペシャリスト」「神の手」なんていう風にネットには載っていました。

これはかなり心強い宣伝文言ではありました。

 

ただ、私を担当して下さっている先生に

「手術はこのお二人のどちらかが担当して下さるんですか?」と聞くと、

「この先生方だと、手術は2〜3ヶ月待ちになってしまいます。」とのご返答でした。

 

…ま、そりゃそうか。

 

「でも、一人一人の患者さん全ての治療をどう進めていくかチーム全体で話しますので、このお二人の先生もeimeeさんの病状については話し合いますよ」と言う事でした。

 

 

正直、このままこの病院で良いのか、まだ悩んではいます。

セカンドオピニオンも考えていない訳ではありません。

でも、結局大きな病院を選ぶのであろう事は分かっています。

自分の今の症状も、充分理解しています。

『非浸潤性乳管癌』は『全摘』の方がベストである事も、充分に分かりました。

 

もし『全摘』だった場合、私としてはすぐに『再建』もしてもらいたい。

 

 

とても丁寧に、今の先生は説明してくれています。

余談ではありますが、最寄り駅からの病院へ行くまでの商店街の道のりも、なんだかアジがあって、とても気に入りました。

 

「先生との相性も大事」とも、よく言われてますよね。

今の先生との相性が良いかどうかは分かりませんが、嫌な感じは全くしていません。

 

まだ幾つか検査結果が残っています。

もう少し、昭和大学病院に頼ってみたいと思ってます。

 

 

 

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告知を受けたのが4月の中旬。

それでも、その告知を受けた時は意外と冷静でした。

 

パートナーがやはり癌を5年前に煩いその部位を切除したのですが、残念なことに1年半後にリンパに転移し、抗ガン剤治療を受けました。

4ヶ月ほど入院しましたが、お陰様で彼は抗ガン剤がよく効き、今ではとても元気です。

なので、その頃から私は「癌は治る病気」だと信じております。

 

そして、抗ガン剤治療に関しても肯定派です。

勿論、治療中はとても大変です。

でも、そのお陰で彼の命は助かりました。

 

ほとんど毎日のように病院に付き添いに行きましたので、「癌」という病気、病状には慣れているつもりでした。

そんな私でしたから、告知の際は冷静でいられたのかも知れません。

 

だって、治る病気なんですもん!!

 

…実際は、今思えば、自分が癌になった実感が湧かなかった、と言うのが本当だったかも知れません。

 

初めて耳にする『非浸潤性』と言う言葉、漢字にも助けられました。

 

『浸潤にあらず』、『しみ混まない』

 

つまり『転移性の癌ではない』『命に別状はない』

『転移性のものではないから抗ガン剤治療も必要ない』

 

と言った説明を受け、ステージも『ゼロ期』と言う言葉を頂き、なんとなく、「大丈夫じゃん」なんて気楽に思ったのも事実です。

 

 

ですが同時に「全摘出も有りうる」とのお話しをされ、…え??、と。。。

 

 

全く知識も無かったので、病名の『非浸潤性乳管癌』と言う言葉にショックは受けましたが、でもそんなに深くは感じられてはいませんでした。

ただ『全摘』と言う言葉には、知識が無かった分

「何を言ってるの?この先生は…」と思ってしまいました。

 

勿論、その『全摘』と言う言葉に対しての説明はその時受けました。

意味は分かりますよ、当然。

でも、なぜ『ゼロ期』なのに『全摘』なのか、と。

 

先生は、

「『部分摘出』の選択もあるし、『非浸潤性』は今では『摘出しない』と言う選択もあります。

でも『非浸潤性』が『浸潤』に変わらない保証はない。

現段階では『臨床実験』の段階です」と。。。

 

 

『全摘』?『部分』??

『非浸潤』が『浸潤』に変わる???

…『臨床実験』!!??

 

 

私の今までの生活の中で、皆無に等しい言葉達ばかりでした。

ましてや『臨床実験』なんて言葉、TVの世界でしか聞いた事ありません。

 

 

知識のない中、専門の本を何冊か購入し、ネットでの情報を読みまくり、日にちを追うごとに『全摘出』のリアルさを実感し始め、自分は癌患者であるのだと言う認識を持ち始めました。

 

正直、その手の本を読んだり、この病気がどんなものなのかを知れば知るほど、暗い気持ちになってきています。

今でもそうです。

 

 

そして手術が予定されている7月と言う日程も、まだまだ先だと思っていたその月が、もうそろそろ1ヶ月後になるのかと、カウントダウンを自分で確実に刻み始めています。

仕事の関係で休みの予定が立たず、7月にさせて頂きました。

思い込みのせいか、左胸も最近はズキズキ痛みます。

 

 

仕事先にどう伝えるべきか、親には伝えるべきなのか、本当に私の身体は大丈夫なのか…。

精神面での不安が押し寄せています。

 

 

そんな中、ネットでの乳がんを患った方々の記録、体験談等の投稿が、本当に助けになっています。

なので私もこのブログを始めた次第です。

 

 

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思えば、ことの始まりは19歳からなのかもしれないのかも。

今48歳だから約30年前。

 

田舎から上京して1人暮らしにもやっと慣れてきた頃、左脇乳房のシコリが気になって、今ではもうウル覚えなのだけど、聖路加か東京女子医大か…その辺りの有名な大きい病院に行って、調べてもらったのです。

そしたら「良性の腺維の塊り」だとの診断。

 

「切っても良いけど、まだ若いから切らなくてもいいんじゃない?」とのお話しでした。

 

その後、ずっと個人事業主として働いている私は、

区から送られてくる定期健診のお知らせで、近所の病院で健診をする程度。

でも欠かさずその定期健診は毎年受診しており、勿論子宮癌検診も乳癌検診も、全てきちんと受けてきました。

特に胸に関してはずっとそのシコリは残っていたので、毎回「良性の腺維の塊り」だと言われた経緯も健診の都度伝えて、それでもやはり何の問題もなく、何十年か過ぎて行きました。

 

ところが、42歳くらいの定期健診だったかな…こちらもウル覚えですが、その左乳房脇のシコリとは別の、ちょうど両乳房の真ん中あたりに気になる影があるとのことで、経過観察をするよう言われました。

 

その時言われたのは「クラス2」、という数字。

左脇にのシコリに関しては、相変わらず問題ないとの診断。

 

初めて言われる数値だし、何のことかも分からず、しかも左胸のシコリじゃない場所!?、と、当時はかなりビックリしましたが、そこから何年かずっと半年に1回の経過観察を受け、2015年だったと思うけど、「もう大丈夫そうだから、普通の健診に戻しましょう」とのお話しを頂きました。

 

その後の定期健診は、確か、ある程度の年齢を過ぎると乳癌&子宮癌の健診は2年に1回になっていたようで、ちょうどその年は定期健診のお知らせが来なかった年でした。

それがおそらく、今から逆算すると2016年。

 

そして2017年度になり子宮&乳癌の健診のお知らせが来て、ところがその2017年がとても忙しく、受診可能期日ギリギリの2018年3月に受診をすると、その左脇のシコリの場所に怪しい影があるとの診断。

 

定期健診に関しては、ずっと同じ病院で受けていたので、「え!?、ずっと何も言われませんでしたよ??

昔、良性の腺維の塊りだって言われたって経緯も、ずっとお話ししてましたよね???」、と。。。

 

 

その時調べると、怪しいその影(シコリ)は14ミリ程度の大きさだと、すぐ調べたいとのことで、まずはその場で『細胞診』(細い針を患部に刺して細胞を取って調べること)を行い、その2週間後、悪性の恐れがあるからと、その場で『針生検』(より太い針を刺して組織を取って調べること)を行い、その2週間後、診断の結果として『非浸潤性乳管癌』と診断を受けました。

 

 

なぜ19歳の時からあったシコリから…と言うか、その同じ場所から、約30年も「良性の腺維の塊り」と言われていたものが、何も問題ないですよ、と言われていたものが、なぜ今、『非浸潤性乳管癌』に変わったのか…

 

 

本当に、ナゾなんです。

細胞診をした時は、病院の先生も

「今までのカルテ見る限り、いきなりこんなに大きくなるはずはないのに、おかしいわね…」とおっしゃってました。

 

「ご自分では気がつかなかったんですか?、何も感じませんでした?」

「いやいや先生、だってずっと19歳の時からあったシコリですもん!、それをずっと問題ないって言われてきてますから、シコリがあっても、もう気にしてませんでしたよ〜!」

 

そして、病名の告知を受けた時のお話しでは

「ずっとシコリのあった場所に別の癌が新たにできたのかも知れない、いずれにしても、良性の腺維の塊りと言われていたものが全く関係していないとも言えないかも…」と言う見解でした。

 

今でも信じられません。

近親者に乳癌経験者もいませんし、癌が原因で亡くなった身内もおらず、癌家系ではないとずっと思っていましたから、この病気とは私は無縁かと思ってました。

こんな健康な身体に産んでくれて有難うと、親にいつも感謝していたくらいです。

 

『針生検』をすると内出血を起こすので、胸、青くなるんです…ならない人もいるみたいなんですけど。

私は針生検をした2〜3日後に、すごく青くなりました。

痛くはないんですけどね、でも、見た目は結構イタイタしいです(笑)

その胸を鏡で見ながら、「なんで?、なんで??」と、ずっと自問自答してました。

 

 

それが、3月下旬から…いや、もしかしたらそのシコリを初めて検査した19歳の「疑い」から、2018年48歳の4月中旬の「告知」までの経緯です。

 

 

 

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