『失われし銀河の天使 ~ エルフィア ~』に登場する異星人は超高文明でハリウッドが考えているような好戦的で侵略的ではないとしています。
どうして、わたしがそう考えているのをもう一度お話したいと思います。
わたしたちは家族や気の置けない友人たちと一緒にいる時、普通はとっても安らぎますよね。
中にはそうでない人もいるかもしれませんが・・・。
これはと言うと、基本的に人間は一人では生きていけないからじゃないかと思います。
生まれたての赤ん坊を考えてみましょう。
赤ん坊は泣くこと以外なにもできません。
でも、これは少数の生物、例えばパンダや有袋類の中でしか通用しません。
水鳥にしろ鹿にしろ、特に草食動物の大方の赤ん坊は生まれてすぐに自分で立ち上がり、安全や食物を求めて母親を追いかけます。
でも、人間は違います。
人間の赤ん坊はなにもできないのです。
これには、いろいろ諸説あるようですが、他の動物なら生まれてすぐに立てるようになるまで母親の胎内で成長できるのに、人間は知能が発達していて頭の大きさが母親の体内でそこまで成長するのを邪魔しているらしんですね。
いわば、人間の赤ん坊はみんな早産で生まれてくる、ということらしんです。
それで、もし、他の動物たちのように、例えば生まれてすぐに立ち上がることができたとすれば、人間のそれは大体一年ですから、体長は80センチくらい、体重も10キロ近くにもなっています。
その大きさまで母親が胎内で成長させ赤ん坊を出産するなんて考えられませんよね。
母親は間違いなく命の危険に晒されます。
だから、そうなる前に人間の赤ん坊はぎりぎり許せる時期、つまり10月10日で早産するようになっているんだそうです。
と、ここまで人間は早産して生まれてくるということを言ったのにはわけがあります。
人間は早産して生まれていて、周りの保護なしでは成長できないということです。
周りの保護をもらうにはうんと注目されなくてはなりません。
それもとっても愛されて・・・。
だから、人間の赤ん坊は丸っこくて、たよりなくて、愛くるしいんですね。
人間は視覚的に適度にまとまりのあるものに自然に注目してしまいます。
普段しっかり焦点を当てて見ていれる人間の視野は以外に狭く、角度にしてせいぜい5度程度らしいんです。
近くにいる赤ん坊はこの人間の視野にぴったり入ってくるサイズなんです。
どうしても赤ん坊は注目されることになるんですね。
こういった赤ん坊がいる家庭は、とても人生充実してるのではないでしょうか。
よぉし、お父さん、頑張るぞぉって感じでね、あは・・・。
赤ん坊は家族の愛情を一身に受けて成長していきます。
ところが、その過程で、お互いの触れ合いはだんだん言葉へと移っていくんですねぇ。
赤ん坊の時には、うんと抱きしめてもらってキッスもあちこちにしてもらった赤ん坊も、中学生になると、友人たちと過ごす時間も多くなり、心身の二次成長も始まりますので、そういうことをどうどうされるのが恥ずかしくなってしまいます。
どうして、そうなるかというと、日本の両親が通勤して働かざるを得ないという経済社会的な理由もさることながら、その教育の歴史を見なくてはなりません。
わたしは、集団で統一教育をさせる幼稚園から高校までのほぼ義務教育というものがその一因になっているんだと思っています。
行っても行かなくても単位の取れる大学は違いますけど・・・。
あ、言っちゃった・・・。
あは!
子供が強制的に登校するということは、家族から一緒に過ごす時間を奪われているとも言えるんです。
幼稚園の年少組みに入った子供が、幼稚園のお迎えのバスに乗るのを渋って母親に抱きついたまま離れない、といった光景を見たことがありませんか?
少なくとも、小学校の低学年時までは子供は母親が必要な大切な時期です。
このお話の根底には、人間の欲求の段階を科学的に提唱した精神学者のマズローの「5つの欲求」というものを文明のカテゴリーに当てはめています。
その第一段階である「生理的欲求:衣食住の確保」と第二段階の「安全と安心の欲求:家族の愛情による保護」はことさら重要です。
これらが満たされていない場合、第三の「社会的欲求:他人に自分を認めてもらう」はうまく行動できません。
そういうわけで、人間は幾つになっても、低次の欲求が満たされない場合、その上の欲求には上昇していけないのではないかというのです。
その場が家庭であり母親であるならば、教育制度はもっと柔軟である必要があるのではないでしょうか?
ところがそれを過保護と称する人たちがいます。
過保護とは、子供が必要としてないのに親たちが勝手に構うことだと思います。
子供には個人差があり、年齢が低い時はそれが予想外に大きいものです。
必要とされている時にも構わないのは本末転倒というものです。
それをただ物理的な年齢で同じ教育を受けさせるのは、横暴というものではないでしょうか?
わたしはカテゴリー1的な生き残るための教育は、そろそろ地球も卒業してもいいころだと思っています。
子供の教育には精神というより感情的な心の年齢が適用されるべきで、いざという時に逃げ帰る場所がいつでもどこでも必要なんです。
でも、それが学校にいるとしたら?
どうやって、だれに、子供は保護を求めたらいいんでしょうか?
義務教育というものはそもそも明治時代、西洋諸国に追いつけ追い越せで明治政府が富国強兵の一環として、国民の教育を良きにつけ悪きにつけ、強制的に軍隊方式に知識のレベルアップを推進してしまったものです。
軍隊式の例は制服なんかがその最たるものでしょう。
サミット国で公立の学校で制服があるのは日本くらいのものです。
義務教育における明治政府の第一の目的は、精神や心の成長や知恵ではありませんよ。
規律の徹底と知識の獲得だけです。
日本を文明国にした歴史の意義は大きいですが、弊害も多く残してるような気がします。
今では、幼稚園から高校は義務教育のようなもので、ほとんどすべての日本人が体験するところですよね。
一方、超高文明のエルフィアでは日本における学校の集団教育は行いません。
それは子供個人を一人一人尊重しているからです。
地球人からすると大いなるムダでしょうけど、超高文明社会はお金は不要で衣食住は完全保証されていますから、いくらだって時間をかけられます。
エルフィア人は千年の寿命があり、教育は社会による地球人の5歳くらいから始めます。
学習時間は1日数時間程度で、学校に集まる時間は柔軟です。
せいぜい数人のグループで教師が生徒と問答する形です。
これって、古代ギリシアのソクラテスの方法だって知っていましたか?
習う科目も、その子供に合わせて根気よく、その子供が納得するまで何年でもかけて行います。
とにかく、日本では、子供がティーネージャーの時期、家族の方も彼らをそっとしておくようになります。
1次元的な言葉さえ交わすことが少なくなります。
フランスやイタリアなどキリスト教国では、言葉に加え、ハグ(抱擁)とキッス(接吻)は当たり前ですが、日本はほとんど抹殺状態ですよね。
ハグやキッスが重要なのは、それを性的な意味で捉えるのではなく、純粋にお互いの親近さを表現するのに、耳にしか届かない1次元の言葉としてではなく、ハグとキッスで五感をフルに使った3次元で届けることができるということだからなのです。
動物園に行ってみてください。
ニホンザルは頻繁にハグしますよ。
「初めに言葉ありき」とは聖書の中のお話ですが、言葉が1次元というのは、言葉は耳一つしか刺激しないからです。
わたしは、1次元的な言葉だけで意思を通じ合うのでは、人間は決して満足しないんだと思っています。
「好きだよ」
「わたしも好き」
で、恋人たちは終わりますかぁ?
これを耳元で熱く吐息でもって囁くとしたら話は別ですが・・・。
吐息という流体が一気に3次元で鼓膜だけでなく、耳やら首筋やら・・・、なんですねぇ、あは!
耳元での囁きは1次元ではありません。
囁きの3次元は効果的にお使いくださいね!
お話に登場する恋人たち、少なくともアンニフィルドは俊介にギュッとハグしてもらって、チュッっとキッスしてもらわないと満足してくれないと思います。
と、いうことで超高文明人は人間の成長と言うものを真に理解していますから、決して慌てたりはしません。
ゆっくりと愛情をかけ時間をかけ、家族と社会が子供を個人に合わせた成長を促します。
そういうことで、子供の内から自分を信じることができ、他人を信じることができるようになるのです。
わたしが超高文明になってもなお、カテゴリー1的な価値観が存在するとは思えないというのもここにあります。
しかし、争いや競争に明け暮れ、衣食住のために僅かなお金を求めて働かざるを得ない、文明カテゴリー1やカテゴリー2の世界では、低次元の欲求さえ叶えるのもままならず、精神不安定な人間を生み続けていくことになりかねません。
地球のカテゴリー2は、当分の間、カテゴリー1に首から下までどっぷり浸かった状態になりそうです・・・。
※ノリックの『失われし銀河の天使 ~ エルフィア ~』 本編は『小説家になろう』に連載中です!