仏陀は現代物理学を理解していたのかも・・・ | ノリックの「失われし銀河の天使 ~ エルフィア ~」おもしろ満載ぶっちゃけブログ

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ノリックの長編SF・コメディー・ロマンス「失われし銀河の天使  ~ エルフィア ~」の情報ブログです。本編にはない、お話しの設定とか、キャラ資料とか、いろいろ上げていまいります。登場人物満載のオモシロ記事や脱線情報を出していきます!

『失われし銀河の天使 ~ エルフィア ~』では、お話に登場する超高文明人、エルフィア人のユティスは、元宇宙物理学専攻の学生だったいうお寺の宗家と問答する場面が出てきます。


そこで、物理学の根本的なものについてやりとりするのですが、当然、そこには作者こと、わたし、ノリックの考えも反映しています。


でも、誤解のないように申しあげておきますが、わたし自身、仏教徒というわけではないですし、みなさんに仏教徒になることを薦めているわけでもありません。


また、わたしが現代仏理学を専攻してきていて、そのすべてを理解しているわけでもないですし、このお話のエルフィア人に語らせていることが科学的事実だと主張しているわけでもありません。


ただ、仏教と現代物理学の間には、不思議な一致が多く見られるという指摘をしているだけで、これは考察すると面白いのではないかと思っていて、ユティスをはじめとするエルフィア人に代弁させているだけです。


このお話はSFコメディーですから。


この点は、はっきりさせておきたいですよね。

あは。



わたしがまず思うのは、仏教の教えの4文字熟語です。


「輪廻転生」、「万物流転」、「森羅万象」、「色即是空」、「因果応報」、「諸行無常」、「即心是物」、「一即一切」、「自業自得」などなど・・・。


正確な語句解説はウィキや仏教専門サイト等で確かめていただくとして、みなさんも、一度は「これってなんだろう?」思われたんじゃないんでしょうか?



わたしも若かりし頃、法事の時に説教されたお坊さんの仏教用語の解説を「いったいどういことなんだろうなぁ」、とぼんやり考えていた記憶があります。


それがわたしなりに解釈できたのは、中学生の頃だったと思いますが、ある日突然ピキーーーンときたわけです。


もちろん、今現在だって「悟った」わけではありません。


そのヒントとなるものへの小さな気づきでした。


それは、「エネルギー保存の法則」という物理の基本法則と、アインシュタインの方程式 「E=mc
2」というものがあるということを知った時でした。


「エネルギー保存」と「E=mc
2」の方程式と「輪廻転生」、この繋がりは、わたしにとって青天の霹靂にも似た衝撃だったのを今でも覚えています。


すべてのものには「エネルギー」そんなものがあるのか・・・。

「エネルギー保存」、エネルギーはいろんな形に変化するけど、その前後、必ずその総量は一致する・・・。


物質だって例外ではなく、エネルギーの一形態に過ぎないんだ・・・。


わたしは、その頃そう理解しました。


これって、お寺のお坊さんが、なんか言ってなかったっけぇ・・・?


「輪廻転生」、「万物流転」、「因果応報」、「諸行無常」・・・。


ひょっとして・・・?



まず、「エネルギー」というものですが、みなさん説明できます?


因みにウィキで「エネルギー」を調べてみるとですねぇ・・・、語源はギリシア語らしくて、「物体内部に蓄えられた、仕事をする能力」と描かれています。


ふむふむ・・・。


「能力」はわかるとして、「仕事」ってなんだぁ・・・?


物理学ではよく「仕事量」というものを計算しますが、例えば、あるものを移動する際、「どれだけの力が働いたか」、人間的には「どれだけ力を加えたか」、つまり、「どれだけ仕事をしたか」というわけなんです。


では蓄えられたとはどういうことでしょうか?


手に持っていた石ころを地面に落としたとしましょう。


石ころはちょっとだけ地面をへこまし跡をつけました。


つまり、手に持ち上げた時点で、石ころは地面に跡をつけるだけのエネルギーを得た、つまり、エネルギーを蓄えられたわけで、地面と衝突することで、そのエネルギーが地面のへこみとして変換されたわけです。


これを物理学的に言うなれば、石ころを手に持った時点で石ころは「位置エネルギー」を与えられ、手から離れることによって「運動エネルギー」に変化していき、地面と衝突することによって、地面の砂の「運動エネルギー」と「熱エネルギー」へと変換された。


というわけです。


もちろん、これはものすごく単純化しただけで、本当のところは熱力学的な解説が必要で、大気との摩擦まで考慮が必要ですが、こういう風に、与えられたエネルギーは必ず何かに変化していき、その前後の総量は同じだということなんです。



それで、先ほどの「エネルギーとは、物体内部に蓄えられた、仕事をする能力」というものに戻ると、なんとなくイメージできません?


じゃ、これのどこが仏陀の言葉と関係するのでしょうか?


わたしは、仏陀は日常の自然や季節、民衆生活、風物の観察からまずエネルギーという概念にたどり着いたのではないかと思うのです。


「すべてのもの:森羅万象」にはある種の力が内在し、それは常に「形を変化:万物流転」させていく。


そして、変わる前と、変わった後も、その力は消えるわけではない。


すべてのものは「形なきもの:空」から生まれ、「形:色」を変えながら、やがて形なきものに戻っていく。


「両者は同じもの:色即是空」である。


人間や生き物、山や川、岩や石にいたるすべてのものが、その法則に従わないわけにはいかない。


人は、天より生まれ、育ち、子をもうけ、老いて、死して、天に帰る。


そして、これは「永遠に繰り返される:輪廻転生」。


「自分のしたことはやがて自分に返ってくる:自業自得」。


「良きことには良き報いが、悪しきことには悪しき報いが:因果応報」。



これはエネルギーという概念とエネルギー保存の概念、そして、すべてのものがその適応から逃れることはできないう概念にたどり着かないと、出てこないと思うんですよね。


「色即是空」なんかは、
ディラックの方程式アインシュタインの方程式を彷彿させませんか?



このお話の中で、「時空がすべてであり、物質も時空のひとつの形態である」とか、「時空の集積度、振動の方向や量、回転方向や回転力や回転力によって、すべてのものが宇宙にもたらされた」とかいうユティスの言葉には、これがヒントになっているわけです。


量子力学の常識らしいんですが、ディラックの方程式から導き出される量子物理学の世界では、「真空とは素粒子と反素粒子とが生まれ合い打ち消し合う非常に騒がしい時空:ゼロポイント・フィールド」と考えられています。


どんなに真空にしてもこの状態なのです。


時空が存在する時点で、もう真空はありえないわけです。



また、わたしたち一般人の考える「もの」というものは、空間とは相対するものと理解していて、触ることができるもの、ぶつけられるものですが、量子物理学的にいうと、物質はお互いに接触できません。


物質は素粒子レベルでは、素粒子の持つ「力場」は非常に強力で、二つの素粒子は近づくとお互いの「力場」に押し返されます。


ユティスの魅力的な唇は和人の唇に厳密にはくっつかないわけで、キッスは量子物理学的に言うと成立しないんです。


「そんなぁ!」

二人の嘆きが聞こえてきそうです。


あは。



二千何百年もの前のことなので、仏陀がエネルギーという言葉も使えなかった頃です。


仏陀は、自分の考えを教育もほとんど受けていない民衆にどう説明すればよいか、必死で考えたに違いありません。


そこで、自分で民衆が理解できる言葉を作り出すしかなかったわけです。


なんとも、まぁ、すごいことで・・・。


わたしには、仏陀の教えはまるで現代物理学者の講義のように思えるんですよねぇ・・・。



じゃ、なんで、おまえは物理学者にならなかったのかってぇ?


希望大学に受ける前に、担任の先生にお断りされたんですよぉ!


「きみはそこには向かないよ。こっちにしなさい」って・・・。


あは!


高校時代、もっと数学を勉強しておけばよかった・・・。

後悔先に立たず・・・。





※ノリックの
『失われし銀河の天使 ~ エルフィア ~』 本編は『小説家になろう』に連載中です!