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前回は、何故海外移住をしたいのか、思いつくままに書いたが、さて、海外移住をする上でどういった準備が必要か?

 
海外に住む日本人はどういった経緯で来ている人がいるのか?
  1. 留学(学生として、社会人、あるいは親子留学?)
  2. 駐在員(転勤必須)
  3. 現地採用(給料安い?)
  4. 投資家としてビザ取得(金持ちでないとね)
  5. 現地の人と結婚(これが一番多いかな)
  6. 難民(日本人で難民はいないか)
私達の場合は、子供もいるし家族なので、可能性があるとすれば、2か3しかない。留学なんて悠長なこと言ってられないし。
 
そこで、新聞広告で片っ端から海外駐在あるいは、現地採用の求人を探した。
当時は今ほどネットの情報も充実していなかったので、朝日新聞とジャパンタイムズの求人欄を見て履歴書を送る。旦那は図書館にも通っていたな。
 
運よく、オスロ駐在という求人を見つける。それ以外にもいくつか「海外職」はあったが、行ったことのない北欧というイメージがかなり良かったのでここを優先候補とする。
 
旦那の過去の経歴が功を奏して、運よく採用にこぎつけた。
私は2歳の娘を保育園に預けて仕事を初めたばかり、まだ1年目だったが、どちらを優先するって言ったらもちろんオスロでしょっということで、特に未練もなく退社。
 
まず、旦那が先に行き、あちらの仕事や地理にも慣れる意味で約1ヶ月単身赴任。
その後、戻ってきて荷物をまとめて、船便で送り、船便にはいらないものは旦那の実家にある物置に置いてもらい、当時住んでいた借家のアパートを引き払う。
出発までの間は、旦那の実家に数日居候したあとに、家族そろって渡欧。
 
本はブックオフで二束三文で引き取ってもらう。
電気製品は、旦那の親戚が、餞別もかねて結構いい値段で引き取ってくれた。車もそう。
保育園の退園手続き、年金やら住民票やら公的関係の手続き。
銀行口座は、海外に住むと新規で開設できなくなるらしいのでそのままに。
仲良くしてもらったご近所さんやママ友にもご挨拶。
引っ越し業者の見積もり。西濃運輸さんがいい値段をだしてくれたので、こちらに依頼。家具類もできるだけこっちに持ってきた。なんせコンテナ一個分持ってこれたから。
 
片道切符で後戻りはもうできない。
 
航空便には持てるだけの荷物と、しばらくは暇だろうと録画した沢山のアニメ(娘用)のビデオと日本のビデオが見れるビデオデッキをもって行ったのを覚えている。今じゃもう誰も持っていないビデオテープ。時代を感じるなあ。「魔女の宅急便」は、娘も私も大好きで何回も見た。娘はセリフまで覚えていた。今見ても、何度見ても大好きな夢のある映画だ。
 
オスロ到着後、船便が届くまでに家具付きアパートを借りる必要があった。町中のJosefines gataという便利な所にある(今から思うと、おしゃれなエリア)狭いけど結構家賃の高い家具付きアパートに約1ヶ月滞在した。
 
セミダブルベッドがぎりぎり一つはいるくらいの寝室と、陽当たりが決していいとは言えない狭いリビング、電子レンジだけはきちんとついていた小さなキッチンのある瀟洒なアパートだ。
 
週一度、タイ人の従業員が清掃に来てくれた。洗濯室は地下室にある。日本人なので、なんとなく乾燥機に慣れていないということもあり、服が傷むと思い込んでいたこともあり、乾燥機は使わず、洗濯物は部屋に持って帰って、狭いベッドルームに干していたっけ。
 
食料は近くにある小さなスーパーで買った。何を買ってどう調理していいかわからず、何度も店内をぐるぐる回って食べるものを探した記憶がある。こちらのパンは紙袋にはいっているのだが、そのまま持って帰ってしばらく置いておくと固くなって困った。パンはパン専用の細長いビニール袋にいれておけば、ぱさぱさにならずに済む。そういうことを知ったのもしばらくしてから。海外暮らしは経験があるくせに、そんなこともわからなかったなあ。
当初はスーパーで買うものがどれもまずく感じた。
 
海外のスーパーは馬鹿でかいと思っていたのに、なんでこんなコンビニに毛が生えたようなのしかないのとがっかりしたが、何のことはない、ここは町のど真ん中だから仕方ない、ちょっと郊外に足を延ばせば、大きなスーパーがあるらしいということは後で知った。
 
毎日、娘を外に連れ出す。
王宮に連れて行ったり、
市庁舎の前の噴水で裸になって水遊びさせたり、
近くの公園に行ったり、
持ってきた日本製のアップリカのバギーが、石畳のせいですぐに壊れた。
こっちの人が使う丈夫で大きなタイヤのあるバギーでないとダメなんだな。
もう3歳にもなるのに、新しくベビーカーを買うはめになった。
 
夏だったので、毎日と言っていいほど夕立が降る。いつもレインコートをバギーに忍ばせて、バナナとかちょっとしたおやつを持って出かけた。今思うと懐かしい、娘との二人だけの思い出。
 
そんなこんなで、そろそろ船便が届くという頃になって、ようやくもう少し広めの郊外にある一軒家(といっても、大家さんの敷地内にある離れのような小さな平屋)を見つけて、引っ越すことになる。
 
とにかくあの当時は前を向いていた。何故か、後悔なんてこれっぽっちもなし。
でも、今振り返れば、苦労もしましたよ!!
 
次回はどうやって、生活を軌道に乗せたか、頼りない過去の記憶をたどって書いていきます。
 
続きはこちらその3