この写真は、20歳頃 モデルをしていた私です。
今回は、私の話です。
ご興味がわいた方に、読んでいただければ嬉しいです。
(長くなりますので、4回にわけて書きます。)
~高校卒業後~
「楽しそう!」と、軽い気持ちではじめたモデルの仕事。
モデルをはじめて、体型維持・自己管理は 当たり前に必要な条件でした。
高校生までは太りにくい体質だったのもあり、ダイエット経験もほとんどなかった私。
親元を離れ、食事や生活も自由!
19歳の私には、東京の生活は可愛いカフェやおしゃれなレストラン、浜松にはないファストフード店、原宿のクレープ屋さんなど魅力満載でした。
しかし、その誘惑と裏腹に...
・痩せていたい。
・キレイになりたい。
・自信を持ちたい。
・そして、仕事をとりたい!
“痩せていなければならない” モデルを初めて、その思いはどんどん強くなっていきました。
『痩せたい』 ・ 『キレイになりたい』
女性なら、少なからず1度はそんな風に思ったことがあるのではないでしょうか?
当時、私は体型維持に気をとられ、極端な食事制限のダイエットをしました。
極端なダイエットに、(結構すぐ)嫌気がさしたころ...
「食べたら、吐いちゃえば!?」 モデル仲間の一言。
そのことに強い抵抗もなく、指をのどに突っ込んで吐きました。
「吐けば、食べても太らない! 帳消しになる!!」
その誘惑が、過食嘔吐・拒食症 【摂食障害】 へのきっかけでした。
食べたいのもを、思いっきり食べれる!
その開放感が心地よく、過食嘔吐が習慣化するのは あっという間でした。
無理に抑えた食欲は、ストレスになります。
「でも、食べたい、食べちゃダメ!!痩せなきゃ!!」
徐々に、頭の中は信じられないほど、食べ物でいっぱいになっていきました。
食べたいのと、食べてしまうのがこわいのと...
「食べちゃいけない!」と思えば思うほど、囚われていきました。
普通の食事がなんなのか??
19年間、当たり前にしてきた“日常の食事” ができないのです。
たまに、極端に食べない拒食の時期もありました。
拒食の時期は、食欲をコントロールできているので自分では心地いい時期。
たくさんの食べ物を食べて吐く、過食嘔吐の時期は自分が嫌だった~。
食べてると、惨めで、苦しくて、泣けるほど辛いのに・・・。
なにか、解放されたような安堵感があったのも確かです。
不安や辛いことから、逃げれる手段にもしていたんだと思います。
...3年たった頃、
姉に『ガンジーみたいだね。』(痩せた私の体型の事です。)と言われました。
今なら笑い話ですが、もう自分で衝動をコントロールできなくなっていた私は、どうしていいかも分からず、ただ現状が辛くて大泣きしたのを覚えています。
初めて人(姉)に、打ち明けたのがこの時です。
『どうにかしなくちゃ!どうにかしたい!』
当時、銀座にお店があった“鈴木その子さん”の食事方を取り入れたり、心理療法の病院に通いました。
姉が泊まり込んでくれたり、一緒に菓子パン断ちをしたこともありました。
(私は、もって2日でしたが…。)
頭の中が食べ物から解放されることが、1番の望みでした。
その状態が続いて、身体に良いわけがなく、仕事の宣材写真(モデル用の履歴書みたいなものです。)を撮ったとき、あまりにも不健康そうな自分の写真を見て、モデルを辞める決意をしました。
しかし、辞めたから過食嘔吐の症状や食べ物への執着がなくなるものでもなく...落ち着くのは、まだ先の話です。
その後、飲食業や接客業をへて、整体に出会いました。
私が整体にのめり込んだのは、この経験があったからだと思います。
整体に出会い、整体と整体を通じて出会った人達のおかげで、考え方・とらえ方・あり方がガラリと変わりました。
そして、食の行動異常の辛さから抜け出すことが出来ました。
20代の症状が酷いとき、情けなくて、恥ずかしくて、人に知られたくなくて、
隠せるならば隠してきたので、ほとんどの人は知りません。(たぶん!)
無理なダイエット・不規則な食生活は、体と一緒に心まで痩せさせます!ギスギスします!!
私の経験、その事で学んだ整体や身体の知識が、お役にたてることがあります!
そう信じて、今回ブログを書いています。
(*モデルの仕事やダイエットをしたからこうなります!というこではありません。あくまでも、私の経験の話です。)
明日は、摂食障害で苦しんだ20代の話です。
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(施術中などで電話に出れない場合がありますが、折り返しご連絡させていただきますので、留守番電話にメッセージをお願いします。)
静岡県浜松市中区曳馬4-11-12 ベルラ曳馬103
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