三鷹市芸術文化センター・風のホール、2階の右サイドの桟敷席、前から6列目なのでステージを見下ろせる絶好の位置。2025年9月13日の午後、「生のクラシックを聴くのは、何年ぶりだろう」とふと思った。
そしてとうとう始まった。
プログラムは、バッハの無伴奏。パルティータ1番、ソナタ2番と渋い曲目のあとに、有名なパルティータ2番、シャコンヌが最後という流れ。
若いころ、バッハの無伴奏は聞きたくなかった。渋すぎる。眠くなる。しかしいつしか歳をとって、頭が頑固になった代わりに、無伴奏のチェロからバッハを楽しめるようになると、その興味はやっとのことでヴァイオリンに移った。始めはシゲッティだった。ゴツゴツの演奏なんだけど、心の奥にゴリゴリと入り込む。「バッハはこうじゃないと」と考えたわけじゃないが、ギスギスに聴こえるやや音が古めかしいシゲッティの美しくは整わない表現から、もっと洗練された、とはいってもギスギス感があるクレーメルになった。流麗とはいえないエッジが効いた鋭利な剣のように刻むバッハに痺れた。
無伴奏のバッハは、どこか無骨で男性的で老成した雰囲気を醸す曲だという印象が私の中で定まっていった。
ところが、古楽やピリオド奏法(何だかよくわからないけど)なんかが流行ってきていて、録音の世界ではポッジャーとかいうきれいな女性が弾く無伴奏が話題になり、私のバッハのイメージはあっさりと塗り替えられた。
女性の弾く無伴奏、デリケートなこと、美しい豊穣な響き。いったいバッハって、どれだけ顔があるんだろう?
それはチェロの無伴奏でも言えるのだが、同じ楽譜から、百も千も違う表現があることに驚いた。
バッハの無伴奏は、巨大な謎である。つまり、答えがない……。
この日のホールは、長方形の中に、三角錐の鋭角的な反射板がデザインされた室内楽向き。2階席は桟敷状に1列がぐるりと取り囲む、スペシャルな空間。
アリーナ・イブラギモヴァは、シンプルな黒の衣装で登場し、手慣れた仕草でボウイングを開始した。
それはフワッと空気を動かすかのよう。やわらかい……。中音部が豊かで美しい弦の音色がつぎつぎと変化しては消えていく。弱く、もっと弱く、その弱音に耳を澄ませていくと、やがて意識が時間のない永遠の刹那世界に連れていかれた。
その音宇宙は渦巻きと曲線のうねる絵巻物のように広がっていた。渋いモノトーンがモザイクで光ったり、グラデーションで濃厚に沈み込んだり……。
演奏芸術は、瞬間芸である。そこで響いた空気の振動はたちまち過去に消えてゆき、耳の前には常にそこで誕生したばかりの新鮮な響きが鳴っている。少し前の音を聴いてみたいと思っても、逆戻りできないのが、ライブだ。ライブには、今しかない。
イブラギモヴァのバッハ無伴奏は、時間は存在しないとでもいうように、一筆書きの行書体で流れていった。
圧巻は、やはりシャコンヌだ。最後のところの巨大なうねりから深く静かに神秘的な地の底に沈みこんでいく静まり、すごい。

