先月のことである。金沢に行く用事ができたので、深夜、中央道を松本で下り、国道158号で高山を目指した。十数年前のこと、金沢や能登に仕事で何度も足を運んだことがある。電車で行ったならレンタカーを使わないと不便なところばかりだったので、自分の車で行った。
車では、関越道から長野をまわって北陸道を通るのがデフォである。走行距離は400キロ超。休憩を入れて、数時間ほど。が、深夜の高速道はとても寂しく、しかも北陸道はトンネルばかりでウンザリ。つまらないので、松本から飛騨高山を経由し富山に抜ける下道を利用するようになった。
真夜中に出発すると数時間で国道158号沿いの沢渡温泉に辿り着く。ここは上高地や乗鞍に行くための起点である。上高地や乗鞍は車では入れない。ここで専用バスに乗り換える。ここには大きなバスターミナルがある。が、私がここを通るのはいつも夜明け前。まだ誰もいない。しかし無料で入れる足湯はオープンしている。
沢渡温泉から国道158号を高山に向けてたくさんの曲がりくねったトンネルを越え、ダムを越え、やがて暗がりの中に上高地への入口が見えてくる。あこがれの上高地……だが、もちろん入口のトンネルは封鎖されている。
手前の信号を左に曲がり、長い安房トンネルを抜け、平湯温泉街から長い曲がりくねった道をしばらく下るころには、明け方の薄明かりに高原川のせせらぎが左に見て山の谷をトラバースして下る爽快な道が鮮やかに見えてくる。彫りの深い山間の緑は、まだ黒い塊のままだが、山の端の向うには、白みかけた空がくっきりと浮き上がり、ときおりキラキラと輝いた朝陽の光が見えたりする。
高原川の流れは早い。宝石をちりばめたような瓦礫の間を、白い飛沫をあげて疾走している。川原には低い灌木が点在して、桃源郷のような美しさで目を愉しませてくれる。私は、この風景を見るのを愉しみにしている。奥深いアルプスの水を集めて流れる勇壮で、艶やかな流れに徹夜で山間の道を走ってきた疲れが癒える。
「あれは……何だ?」
道路の正面に、大きく突き出た岩塊が見えた。
それは高原川の川岸に、ニョッキと聳え立っていた。道路はその巨岩と山の間をすり抜けて、もうすぐカミオカンデで有名な神岡の町に入る。
私は平湯から神岡の町に下るこの道を、高原川の桃源郷のような風景を見ながら走るのがとても好きになっていた。それで、金沢や能登にでかけるときには、高速の北陸道ではなく、あえて時間はかかるが、上高地と乗鞍の間を抜けてる山間の158号、そして富山に下りる471号を、いつも徹夜で、とはいえときどき休憩で仮眠しながら走った。
このルートには、たくさんの興味深いポイントがある。さわんど温泉もその一つ、カミオカンデがある神岡町も、それから富山に入ると、「これぞ、鎮守の杜」と言えるような美しい造形の無名な神社がある。
中でも高原川の流域に突如屹立して突っ立っている巨岩は謎だった。
巨岩の下には駐車場がある。トイレもあるので、立ち寄ってみた。ぶらりとして見てみると、こんな説明が岩に彫り込まれていた。

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高原郷の三奇岩
昔、弘法大師が、高原郷の人々の心を治めようと思いたち、北国から飛騨路に入り高原川をさかのぼった。
折りあしく春雨がしとしとと降り止みそうにもない。大師は蓑笠を着けたまま、重い足をひきづりながらやっとの思いで、吉野のあたりまで来ると長雨もやみ、陽光はさんさんと輝きて、すっかり天候は回復してきた。
大師は、不用になった桧笠を惜気もなくそこに脱ぎ捨て、また、川上に向って歩きだした。「ああ、この蓑も重苦しい」と言いながら、蓑もそのままそこに脱ぎ捨てた。細越まで来ると、「杖も面倒だ」と地面に突き立てて行ってしまわれた。その後も、高原郷の人々に教えを説いてまわられた。
ある時大師は、人々の平和を心に念じながら「私の教化に、もしも霊験があるなら、これらを化して石となしたまえー」と、呪文を唱えると、不思議やこれらはたちまち大きな岩となってしまった。この功徳によって、この地方には妖怪変化の類は跡を絶ち、人々は安心して暮らすことができるようになった。
それから吉野字ひすべの笠石(通称弁天島)、岩井戸の蓑石、長倉の杖石の三つを、高原郷の三奇石と呼ぶようになった。
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この説明から、この巨岩は「高原郷の三奇岩」の一つ「杖石」だとわかった。
別なところに、こんな説明があった。
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杖石
高さおよそ七十メートル、基底の周囲二百五十九メートルの石英班岩による天然自然の石柱である。昔、弘法大師がこの地へ巡錫されたとき、自分の持っていた杖を、道に行く困った人にしんぜようと言って、地に立てたままでその場を立ち去られた。それがある日、みるみる大きくなって、今見るような岩になったと伝えられている。村内吉野の笠石、岩井戸の蓑石とともにこの杖石は、高原の三奇石と言われ、弘法様に因んで、今でも村民に親しまれている。岩頭には弁財天がまつられ、参詣すると良縁が授かるといわれている。(上宝村教育委員会)
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この山間の川原に起立した、巨大な垂直の岩塊は、その姿のとおり「杖石」というものだった。少し急だが、クサリの補助がある整備されたジグザグの道を、十分くらいで登頂できた。
頂上には弁天様がお祀りされている。そして頂上からは、爽快な空気となんとも美しい飛騨の山間と高原川の流れを一望できる。明け方はさらに空の奥行きを味わえる。
この巨岩は、石英班岩である。クォーツの山なのだ。永遠に波動エネルギーを放射し続けている岩の塊である。癒されないはずはない。
ところでだ、なぜこの巨岩の頂上には、弁天様が祀られているのだろうか?
その理由には、こんな興味深い解説が書かれていた。
ちょこっとエロくて、しかし、とても納得してしまった。
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杖石の伝説と弁財天の霊験
天に向ってすばらしき猪突は、弁慶の巨大なる男根、奇岩と化して、これをやわらげるため頂上に女人像の弁天を祠り高原川の氾濫を防いだとの陰陽融和伝説は痛快なる哉。
亦弘法大師が此のあたりに来ると雨があがったので蓑笠を脱ぎ捨て、杖を地面に立てて佛を念じながら「私の教化に若し霊験があるならこれらを化して石となし給え」と呪文を唱えるや、たちまち三奇石となって、長倉の地には杖石を生じたと言うのが通説である。
高六八米、基底周囲二五〇米、岩質石英、頂上にまつる弁天様は桂峯寺観音霊場境外佛で一対の狛犬と共に、その昔平家の武人が下佐の渓谷に遁世して刻みし幾百年前の石像也。因に弁財天は七福神の一つであるから、財福招来の霊験あらたか。亦女人の姿なので美人に恵まれること疑いなし。
頂上に登って男性は左雌の狛犬に、女性は右雄の狛犬にさわって弁天を念ずるを習慣とする。天下の奇勝、杖石の楼閣より見渡す眼下、涼風爽やかに天地一杯の幸福を満喫せられ度い。
つくづくと 杖石見つつ 奥飛騨の
山河尊く やすらいにけり
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「べ、べんけい? 弁慶の巨根かい? この杖石は」
と、私はほっこりとして、おかしくて、いい気分になった。
「巨根をなぐさめるために、その先っちょに、女人像の弁天?」
変な妄想をしてしまった。エロ過ぎる。
「なるほどそうか。そうだったのか。これが陰陽融和伝説?」
つまりは、エロいということは、いいことなんだと勇気が湧いてきた。

ところで、この杖石は、三奇岩の一つであることはわかった。
では、あと二つ、笠石と蓑石は、どこにあるのだろう?
杖石は、70メートルの垂直な岩塊なので、一目瞭然である。Google地図にも、表記されていた。しかし、笠石と蓑石は、地図を見ても出てこない。三奇岩と言われると、杖石だけがクリアだが、他の二つの石の正体を、確認したい衝動が起こる。
やっと最近になって、その位置や様相が、おぼろげに見えてきた。
飛騨山脈ジオパーク構想を説明しているウェブサイトに、こんな記述をみつけた。
「高原川の三奇石と呼ばれるものは、笠石、蓑石、杖石の三つです。どれも弘法大師の置忘れの伝説があります。笠石、蓑石は樹林におおわれ見えにくいのですが、高原川沿いにそびえる杖石は巨大でよく見えています」
笠石、蓑石は樹林におおわれて見えにくいとある。
さらに、奥飛騨奇岩巡りというウェブサイトには、「蓑石」の場所を探り当てたという記述があった。それによると、「大日如来から、濁流で激しい高原川を下流に向かって数分」のところで、川岸にこんもり木が茂った小高い丘のようなところらしい。「大日如来」というところが不明だが、高原川の下流のどこかであることは確かだ。そしてその頂上には、杖石と同様に、弁天様が祀られている祠があるそうだ。
さて、笠石だが、これは地元でもこの名では通用していないという。「灘見島、弁天島」と言われているところが、笠石だという。やはり、高原川の下流、川の中の石で成り立っている小島だそうだ。「弁天島」と言われているように、頂上に弁天様が祀られていたそうだが、今は別なところに移されたようだ。災害で崩壊したのだろうか。
高原郷の三奇岩、杖石、笠石、蓑石のキーワードは、弘法大師と高原川、そして弁天様であることが明確となった。どうして、弁天様が共通に祀られているのだろうか?
弁天様とは、ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが元である。弁才天となって、仏教の守護神として取り込まれた。芸能や音樂の神であり、財宝の神でもある。女性原理の象徴でもあるところから考えると、高原川の時に暴流と化す荒ぶるエネルギーを和らげる癒やしのためかもしれない。



