EIKOの気まぐれ闘病日記 -94ページ目

EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
いきなりのアメンバー申請はお断りしています。

「検察に起訴されたら、99%以上が有罪」


──池田大作は厳しい法廷闘争に挑み、


四年半後に無罪判決を勝ち取る。


会長として国内外を駆け巡りながら、


裁判所に出廷する直前にも時間を割いて


台風の被災地を訪れ、人々の輪の中へ。


池田が関西の同志とともに語り、


苦しみを分かち合い、勝ち抜いた日々は、


平和と人権の世紀を開く原動力となった。


 「非常に傲慢な、高圧的な調べ方です」大阪地方裁判所の法廷に、検察の非道を訴える池田大作の声が響いた。検事が、弁護士が、そして裁判長が、池田に質問を重ねていく。

 第七〇回公判(一九六一年七月十二日)。大阪地方検察庁が冤罪をつくりあげていく経緯を、池田は順を追って証言した。

「その供述を、私の本意ではありませんが、致しました」 「それも、デッチ上げです。辻褄に合わせるように作りました」 「違います。そうしないと、辻褄が合わないというわけです」 「そうです。事実は正反対なんです」──池田の出廷は既に十二回を数え、裁判は天王山にさしかかろうとしていた。

 

 読者の皆さん、いつもありがとうございます。<m(__)m>


民衆こそ王者ー池田大作とその時代 青年の譜(10)「大阪


事件」(4)の連載が終了しました。


 次回からは 青年の譜(11)「大阪事件」(5)を連載します


のでよろしくお願いします。


 最近はインフルエンザや風疹などが流行っていますので、お体ご慈愛くださ


いね。

  「心配ない。池田室長がおられる」 ③


 六月、池田は学会の実質的な運営の責任者である「総務」に就任した。

 種々の課題に対応対する中、一か月後の日記には「正義の弁護士、少なし」と綴っている(七月二十四日)。「大阪事件」の裁判の望んでも、弁護士陣は弱気だった。

「検察の調書がこれだけ完璧に出来上がっていると、たとえ冤罪だとしても、裁判で覆すのは不可能だ」という。たしかにそれが日本の刑事裁判の「常識」である。


 この年、学会は100万世帯を超えた。戸田は大阪事件の裁判について、池田に「裁判長は必ずわかってくれるはずだ」 「最後は勝つ」と言い遺していた。この言葉を胸に、池田は孤独な闘いに挑み続けた。

  「心配ない。池田室長がおられる」 ②


 戸田の訃報に接した時、雅一は十九歳だった。「学会はどうなるのか「。不安になり、悦朗に尋ねた。悦朗は「絶対に心配ない」と言う。「なぜ心配ないのか」と繰り返す雅一に、悦朗は「池田室長がおられるから、絶対に心配ない」と言い切った。

 「父は、鶴見支部を代表して『山口闘争』に参加していました。その時、徳山市の『ちとせ旅館』で池田先生と間近に接していたんです」


 ──山口でなかなか折伏が決まらず、もうあきらめかけていた。しかし、池田先生が来られて、皆の雰囲気が一変した。それからどんどん折伏が決まった。俺も決めてきた。いやあ、あの人はすごいぞ──。悦朗は徳山から横須賀に戻り、池田との出会いを何度も家族に語った。


 戸田の葬儀から一か月後、「第二回関西総会」が大阪球場で行われた(一九五八年五月十一日)。あいにくの雨だった。入場した池田はすぐさま、幹部の席に設営されてあったテントの屋根を外し始めた。ある壮年部員が「参加者と共に、という精神だったのだと思う。『さすが池田室長や』と言う人もいた」と書き残している。豪雨の大阪大会を思い出した人もいた。

  「心配ない。池田先生がおられる」 ①


 上田悦朗は横須賀で金物屋を営んでいた。

「父が一家和楽を願って学会に入ったのは、昭和二十九年の秋でした」。息子の雅一(参議)が語る。悦朗は雅一にとって養父だった。雅一が四歳の時、実父は肺結核で他界した。その後、母の福江が再婚した相手が悦朗だった。


 悦朗の店は京浜急行の横須賀中央駅の近くにあった。

「ふすまを外すと二〇畳ほど。鶴見支部の座談会になり、いつもにぎやかでした」。

 会合で集まる人の履物は、すり減った下駄や破れそうな草履ばかりだった。高校生の雅一は悦朗に「学会員ってどんな人たちなのか」と非難がましく尋ねた。悦朗は「いいんだ、いいんだ。みんなこれから功徳をいただく人たちなんだ」と笑った。

 

 悦朗に連れていかれた会合で、忘れられない質問会があった。

「ある婦人が戸田先生に、折伏に行くたびに『学会は病人と貧乏人の集まりじゃないか』とバカにされて、折伏できませんと訴えたんです」。

 どう答えるのだろう。雅一は固唾をのんだ。戸田は「そうか、そうか、そんなにひどく言われるのか」と笑いながら、「でもな、創価学会が病人にしたわけでも、貧乏にしたわけでもないんだよ」と語り始めた。

 「みんな一生懸命に頑張ったが、病気が治らず、ますます悪くなったり、商売もうまくいかなかったり、そうして学会に拾われた人ばかりじゃないか。他の宗教では親身になって相談に乗ってくれない人たちを、学会が救ったんじゃないか」

 「質問した婦人を、悠々と抱きかかえるような話し方だった」と雅一は振り返る。

 「最後に戸田先生は『毎月一世帯の折伏を一年間、続けてごらんなさい。必ずすごい福運をいただくよ』と断言されました」