「心配ない。池田室長がおられる」 ②
戸田の訃報に接した時、雅一は十九歳だった。「学会はどうなるのか「。不安になり、悦朗に尋ねた。悦朗は「絶対に心配ない」と言う。「なぜ心配ないのか」と繰り返す雅一に、悦朗は「池田室長がおられるから、絶対に心配ない」と言い切った。
「父は、鶴見支部を代表して『山口闘争』に参加していました。その時、徳山市の『ちとせ旅館』で池田先生と間近に接していたんです」
──山口でなかなか折伏が決まらず、もうあきらめかけていた。しかし、池田先生が来られて、皆の雰囲気が一変した。それからどんどん折伏が決まった。俺も決めてきた。いやあ、あの人はすごいぞ──。悦朗は徳山から横須賀に戻り、池田との出会いを何度も家族に語った。
戸田の葬儀から一か月後、「第二回関西総会」が大阪球場で行われた(一九五八年五月十一日)。あいにくの雨だった。入場した池田はすぐさま、幹部の席に設営されてあったテントの屋根を外し始めた。ある壮年部員が「参加者と共に、という精神だったのだと思う。『さすが池田室長や』と言う人もいた」と書き残している。豪雨の大阪大会を思い出した人もいた。