EIKOの気まぐれ闘病日記 -91ページ目

EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
いきなりのアメンバー申請はお断りしています。

 大事な大事な関西の同志がおりますから ②


 法廷のクライマックスは、一九六一年(昭和三十六年)の九月、そして十月に

訪れた。四年前の七月に池田を取り調べ、冤罪をつくろうとした検事たちを、今

度は池田自身が、法廷で尋問したのだ。

 

検事たちへの証人尋問は九月二十日から二十二日にかけて行われた。二十

日の午前は滝本勝。翌二十一日の午前は吉川芳郎。そして二十二日の午後、

主任検事の鈴木健彌に対する尋問が予定された。この二十二日、午前中に時

間のとれることがわかった池田は、「第二室戸台風」で大被害を受けた西淀川

区へ向かった。言うまでもなく裁判の流れを決める「勝負の一日」である。その

当日、池田は自分の予定に、被災地への激励をねじ込んだのである。

 大事な大事な関西の同志がおりますから ①


 ──裁判で戦う同志の苦しみが深ければ深いほど、創価学会の最高責任者である私の胸は痛い。変な裁判があるようであれば、私たちはどこまでも追及する──法廷闘争の最中、池田はある会合で語っている(一九六〇年十二月十四日。多摩川、城南、大森、品川の四支部結成大会)。

 池田自身、自分が自分が受けた劣悪な取り調べを忘れることはなかった。

 法廷闘争中の一九六一年(昭和三十六年)七月、岡山の中国本部を訪れた。居合わせた貝沼次郎(倉敷市、総県主事)は、池田の一言を聞いて絶句した。


 「中国本部の建物の会長室は、八畳ほどの狭い部屋でした。先生は会長室に入られるなり、隣にいた山田徹一さんに『この部屋は窓は高いなあ。牢獄を思い出したよ。あの部屋の窓も、とても高いところにあった』と、ポツリと語られたのです」

 裁判を何度か傍聴し、証言台にも立った前川勝(大阪・枚方市、副圏長)が語る。

「ある時、田中裁判長が『池田さんは忙しいでしょうから、毎回法廷に出てこられなくても結構ですよ』と言われました。池田先生は『私の大事な大事な関西の同志がおりますから、参ります』と答えられた。私はあの一言を生涯忘れることはないでしょう」。

  「『真昼の暗黒』を思い出した」 ④


 「取り調べ中は両手の自由がきかず、汗も拭けなかった」と法廷で証言する人たちも複数いた。鳥養国夫は手錠と椅子を縄でくくりつけられ、そのままの姿勢尋問された。奥谷巌は検事からむりやり調書とられた後、「ここでしゃべったことを口外するな。口外したことが耳に入ったらつれ戻すぞ」と恫喝された。

 

 東京からの派遣メンバーのなかには、東京駅の構内で手錠をかけられ、そのまま丸の内署まで手錠姿のまま公道を歩かされた青年部員もいた。

 「会社をクビになるぞ」「母親も引っ張るぞ」と脅された。取り調べ中に鉛筆で突き刺され、トイレに行かせてくれなかった、数人の刑事に囲まれ、耳元でバケツをガンガン叩かれた・・・・・これらの拷問に等しい、にわかに信じがたい実態は、法廷で証言され、明らかになったもののごく一部である。彼らの告発を、証言台に立った刑事、検事たちは「忘れた」「覚えがない」とことごとく否定し続けた。捜査会議を行ったことすら否定する刑事まで出てきて、裁判長の田中勇雄が「(捜査会議が)あるのは当然でしょう」とたしなめる一幕もあった。


 恫喝に屈し、泣いて両手を合わせ、詫びながら「池田に指示された」と嘘の自白をしてしまった壮年部員もいた。この壮年は小学校に二年しか通えず、日雇い仕事で家族を養っていた。つつましい暮らしのなか、息子の修学旅行費を積み立てるために毎月100円ずつ息子に渡していた。だが息子は学校でいじめられ、貴重な積立金を毎月、巻き上げられていた。

 刑事はこうした家族の貧困につけこんだ。

「罪を認めれば修学旅行代を半分にまけてもらってやる」「1000円くらいの小遣いなら出してやる」と甘言を囁き、きれいなニットのシャツを与え、いっぽうで関係のない壮年の妻まで取り調べた。そして、池田からの指示を認めなければ家族は食べていけなくなるぞ、子どもがかわいくないのかと脅し続けたのである。

 「私の胸の中は裂ける思いでした」と声を振り絞る壮年の証言に、法廷は静まり返った。冒頭で紹介した第七〇回公判でのことである。池田はそのすべてを黙って聴き続けた。

 この日、裁判長の田中勇雄は池田に「(戸田)会長が逮捕されるかも知れないということを非常に恐れたというのも(やってない罪を)認める一つの原因」(第七〇回公判調書)になったことを確かめている。

 読者の皆さん、いつもありがとうございます。 <m(__)m>


息子の事では、沢山の温かい励ましをいただきありがとうございました。


 さて本題にはいりますね。


 昨日午後から郵便局に用事があり、往復40分程歩きました。


帰ってきてから突然くしゃみ、鼻水がとまらなくなり、終いには涙目になりまし


た。その後は鼻詰まりになってすっかり鼻声になりました。


 今日も鼻水が止まりません。ガーン


 もしかして、これって花粉症でしょうか?


今まで花粉症になったことがないのでわからないのです。


今年は花粉の飛散量が例年の5倍だそうなので、気にはしていたのです


が・・・・。


 ただの鼻風邪だといいんですけどね。

  「『真昼の暗黒』を思い出した」 ③


 「この間も一人死刑にしてやった」。男子部員の藤井義勝は検事からこう脅された。近藤勝将は拘留中に中耳炎が悪化し、病院で「安静を要する」と診断されたにもかかわらず、取り調べが続けられ、さらに「お前が認めねば父親も引っ張る」と迫られた。妊娠中の妻の姿をわざと見せられ「自白すれば釈放してやる」と言われた男子部員もいた。

 肺病を患っていた岡嶋昭夫(大阪、四條畷市、圏副本部長)も病状が悪化したが、まともな治療が受けられず、刑事には灰皿が転げ落ちるほど激しく机を叩かれ、罵られた。釈放後は医師から「絶対安静」を告げられ、二年間も寝たきりの生活を強いられた。


 勝手に調書を書かれ、訂正を申し出ても無視される人が続出した。篠原はるは「お前許さんぞ」と怒鳴られ、殴られかけた後に一転「(ある婦人部員の)長男が肺病で死にかかっている。母親に一目会いたいと言っている。お前が認めればその婦人部員もすぐ釈放してやる。お前もすぐ出してやる」と嘘の自白を強要された。”婦人部員の長男が死にかかっている”という泣き落としは、刑事によるまったくの作り話しだった。


 後年、池田とも対談したアメリカの心理学者セリグマンは「学習性絶望感」という考え方を発表したことで名高い(学習性無力感ともいう)。長い時間、ストレスを避けられない環境に置かれた人は、その場から「逃げようとする努力」すらできなくなる。この絶望感は、密室の理不尽な取り調べによっても生じるといわれる。

 また激しい圧力によって記憶がねじ曲げられ、暗示にかかってしまうこともある。取り調べを受けた多くの学会員が、こうした精神的危惧に追い込まれた。