「『真昼の暗黒』を思い出した」 ④
「取り調べ中は両手の自由がきかず、汗も拭けなかった」と法廷で証言する人たちも複数いた。鳥養国夫は手錠と椅子を縄でくくりつけられ、そのままの姿勢尋問された。奥谷巌は検事からむりやり調書とられた後、「ここでしゃべったことを口外するな。口外したことが耳に入ったらつれ戻すぞ」と恫喝された。
東京からの派遣メンバーのなかには、東京駅の構内で手錠をかけられ、そのまま丸の内署まで手錠姿のまま公道を歩かされた青年部員もいた。
「会社をクビになるぞ」「母親も引っ張るぞ」と脅された。取り調べ中に鉛筆で突き刺され、トイレに行かせてくれなかった、数人の刑事に囲まれ、耳元でバケツをガンガン叩かれた・・・・・これらの拷問に等しい、にわかに信じがたい実態は、法廷で証言され、明らかになったもののごく一部である。彼らの告発を、証言台に立った刑事、検事たちは「忘れた」「覚えがない」とことごとく否定し続けた。捜査会議を行ったことすら否定する刑事まで出てきて、裁判長の田中勇雄が「(捜査会議が)あるのは当然でしょう」とたしなめる一幕もあった。
恫喝に屈し、泣いて両手を合わせ、詫びながら「池田に指示された」と嘘の自白をしてしまった壮年部員もいた。この壮年は小学校に二年しか通えず、日雇い仕事で家族を養っていた。つつましい暮らしのなか、息子の修学旅行費を積み立てるために毎月100円ずつ息子に渡していた。だが息子は学校でいじめられ、貴重な積立金を毎月、巻き上げられていた。
刑事はこうした家族の貧困につけこんだ。
「罪を認めれば修学旅行代を半分にまけてもらってやる」「1000円くらいの小遣いなら出してやる」と甘言を囁き、きれいなニットのシャツを与え、いっぽうで関係のない壮年の妻まで取り調べた。そして、池田からの指示を認めなければ家族は食べていけなくなるぞ、子どもがかわいくないのかと脅し続けたのである。
「私の胸の中は裂ける思いでした」と声を振り絞る壮年の証言に、法廷は静まり返った。冒頭で紹介した第七〇回公判でのことである。池田はそのすべてを黙って聴き続けた。
この日、裁判長の田中勇雄は池田に「(戸田)会長が逮捕されるかも知れないということを非常に恐れたというのも(やってない罪を)認める一つの原因」(第七〇回公判調書)になったことを確かめている。