「一人ももれなく」 ①
参加者の視線が、壇上の池田大作に注がれる。生まれて初めて池田の姿を見る高校生たちが多かった。
「あれだけ大勢の同世代が集まる所に行ったことはありませんでした」と振り返る大塚も、その一人だった。
会長講演で池田は、信仰と学問の関係について、さまざまな角度から、噛んで含めるように語った。そして自らの体験を通して、学ぶ道を邪魔する「第一の敵は病気であり、生命力がないこと」であると強調した。
「学問の道をふさぐ最大のものは、ともすれば社会や自分の家庭の事情等のように思いがちでありますが、そのような障害は、まだ小さいといっていい」
「私は、少年時代、青年時代、病弱で本当に損をしました。その同じ轍を、諸君には絶対に踏ませてはならない、と思っております」
さらに「一人ももれなく大学に」進んで欲しい、社会のため、不幸な民衆のためにちからをつけてほしい、どの第一歩は信心であると訴えた。
「私は平凡な一青年にすぎない。決して私を偉いと思ってはいけない。未来の学会は、高等部出身の諸君に一切お願いする以外にない」──こう締めくくられた池田の話に、「高校すら行ってないのに大学なんて想像もしなかった」という大塚は興奮を抑えきれなかった。
岡山に戻ると、駅まで父が迎えに来てくれていた。「父に会うなり『来年の春から高校へ行きたい』と切り出していました」。
父は「思うようにやればいい」と後押ししてくれたが、翌春の受験は失敗。兄の住む大阪に出て、働きながら学ぶ道を選んだ。
「電話ボックスの電話帳で『高校』と名のつくところをいくつも探し、『夜間部はありますか』と尋ねました」。
天王寺第二商業高校に合格し、昼間はガス会社で働いた。そのころ池田の「友よ強く」の誌も知った。「勉強は苦手だが体育は得意だった」という大塚は高校で弁論部と陸上部に入り、定時制全国大会の1600メートルリレーで優勝。スポーツの世界で生きたいと思い、大阪体育大学に進み、やがて中学の体育教師になる。
中学教頭、小学校長を経て、今は大阪市内で中学校長を務める大塚。
「未来に羽ばたく使命を自覚するとき、才能の目は急速に伸びる──この池田先生の言葉が私の教育者としての指針です」と語る。