EIKOの気まぐれ闘病日記 -69ページ目

EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
いきなりのアメンバー申請はお断りしています。

 読者の皆さん、いつもありがとうございます。

<m(__)m>

 次の連載が決まりました!


次回から、民衆こそ王者ー池田大作とその時代


「友よ強く」─働き学ぶ誇り(4)を連載しますので


どうぞお楽しみに!


宜しくお願いします <m(__)m>

 読者の皆さん、いつもありがとうございます。

<m(__)m>

 民衆こそ王者ー池田大作とその時代


「友よ強く」──働き学ぶ誇り(3)の連載が


今日で終了しました。


 次の連載が決まるまで、しばらく連載をお休み


しますのでよろしくお願いします。<m(__)m>


 毎日猛暑が続いていますので、熱中症には


くれぐれも注意してくださいね!

  「我が手にて書くはこれが最後である」 ③


 武雄もまた「病によって求道心は起こる」という日蓮の言葉(妙心尼御前御返事)を体現した。無数の学会員の一人だった。

「思えば、信心を始めた後の父は、どう見ても病人の顔ではなかった」と裕は振り返る。生前の武雄取材した聖教新聞の記者は「実に血色はよく、こちらも話に夢中になり、鈴木さんに手足がないことを忘れてしまったほどだった」と述懐している。

 1981年(昭和五十六年)、武雄は六三歳の生涯を終えた。

「父は命の保証はできないと言われてから一五年以上、寿命を延ばし、じつに四〇回の手術を乗り越えて生き抜きました。『学会がなかったら、今日の私も、和楽の我が家もなかった。報恩感謝の毎日だ』。これが口癖でした。北区の地元の方々にも、大変お世話になりました。

 

 息子の裕は今、学会の「自由グループ」(身体障がい者のグループ)、「自在会」(目の不自由なメンバーの会)、「妙音会」(耳の不自由なメンバーの会)の責任者としても奔走する日々である。

 池田は鈴木父子のドラマを紹介したエッセーで、次のような綴った。

 「こうした先輩の励ましで、信頼のきずなを深めた子どもたちこそ、私たちには誇りである。何万、何十万の彼らは、立派に成長し、社会の第一線で活躍している」

 その「何万、何十万の彼ら」が池田とともに歩む道のり。さらに辿りたい。

  「我が手にて書くはこれが最後である」 ②


 裕は高校で生徒会長を務めながら、自力で学費を稼ぎ続け、中央大学に進学を果たす。間もなく父の武雄は右腕の上腕部を切断。その二年後、ついに左腕も切断しなければならなくなった。

 

 「我が手にて書くは これが最後である・・・・」

 

 手術の直前、武雄は握力の弱まった左手にペンを持ち、子どもたちへ次のように書き残した。


 「息子よ子等よ

 師に続け

 伝持の走者となれ

 広布の道程を走り続け

 倒れるまで走り続けよ

 ・・・・・

 私の手の 足の分まで

 走り続けて欲しい

 広布に生き

 広布に汗流すことに

 誇りをもってもらいたい

 苦しいときも 嬉しいときも

 師の叫びを思い起こすのだ

               父より」


 両手足を失った後も、武雄のもとには悩みの相談に訪れる同志の姿が絶えなかった。武雄は日蓮の御書を学び続けた。自分のあごと舌でページをめくった。地元の支部や地区で行う御書講義も深みを増し、「団地の教学博士」と呼ばれた。