1969年、大学紛争が全国に広がり、
政治権力の介入が強まる中、
池田は、教育を再建するために
「教育権」を政治から独立させるよう提唱する。
池田は一貫して青年に語っていた。──
「一人ももれなく大学に進んで、
社会と民衆のために力をつけてほしい」
その呼びかけに応え、幾多の向学の友が
働きながらでも学ぶ道へ
人生の航路を転換していく。
「私は平凡な一青年にすぎない」
大塚英雄(東大阪市、本部長)は岡山の吉備郡足守町(当時)で生まれた。父が縫製工場を経営したが、うまくいかなかった。貧しさに悩み、一家で創価学会に入ったのは1958年(昭和三十三年)の秋だった。
それから10年が過ぎ、中学を卒業した大塚は鉄工所に就職し、親元を離れて住み込みで働きはじめた。
「私は高校に進まなかったから、学会の高等部員でもありませんでした。でも、ある男子部の方が『夏休み東京で、大きな高等部の会合がある。行かないか』と声をかけてくれたんです」。
この心遣いが、大塚の人生を大きく変えることになる。
1969年(昭和四ッ十四年)八月十五日。二四回目の終戦記念日に、日大講堂で高等部総会が行われた。十五歳の大塚は、何人かの友人と一緒に夜行列車に揺られ、東京へ向かった。