「その言葉を待っちょったんよ」 ②
岡村は26歳で船団長になった。それまで船団長だった父の宣男が心臓を患い、若くして重責を担った。
1年ほど前、大きな転機を迎えていた。漁協の婦人部長でもあった母の洋子が倒れたのだ。肝臓がんだった。
「病院で『あと一週間の命』と宣告されたのですが、母は病室に持ち込んだ御本尊に祈り、笑顔を絶やしませんでした」。
岡村が5歳の時、一家で入会していた。中学を卒業した後、岡村は父の下で漁師の修業を始めたが、信心には背を向け続けた。
「漁師の世界は結束が固いから、両親は『耳慣れない宗教を始めたぞ』とずいぶんいじめられたようです。親戚の冠婚葬祭を知らせてもらえなかったこともありました」。
母が倒れたその日から、大島だけでなく、萩市内の学会員までが船で大島に渡り、自宅を訪ねてくれた。
「まさかそこまでとは思わなかった」と岡村は振り返る。
「母の回復を懸命に祈る学会員さんの姿に胸打たれました。他人様があそこまでやってくれる姿を見たことがなかった」。
岡村は妻の八代子(支部副婦人部長)とともに、初めて心の底から真剣に祈った。
病室で横たわる母の洋子に「ワシらも本気で信心を始めたぞ。見ちょってくれ」と告げた。洋子は何度も「そうかい、そうかい」と繰り返し、「その言葉を待っちょったんよ」と満面の笑みを浮かべた。洋子はその後、半年近く寿命を延ばし、「何があっても、絶対に御本尊を守り抜きいよ」と言い残して息をひきとった。