EIKOの気まぐれ闘病日記 -34ページ目

EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
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1960年(昭和35年)10月、ブラジル。

電話も連絡網もない中、二段の新聞広告を見て

池田の初来訪を知り、座談会に集った人々。

「私に代わって道を開いてほしい」との

言葉を胸に、農業や商業など社会の各分野で

奮闘し、信仰の実証を示していく。

その波動はメキシコやアルゼンチンにも。

しかし、ブラジルでは軍事政権の壁に阻まれ

長く池田の入国できない時代が続くことになる。


 池田大作が初めてブラジルの地を踏んだ時(1960年)、松浦君子は夫の壽明とジャガイモ作りに励んでいた。二人の働くバレーロ農場はサンパウロ州の北にあった。高知から家族11人で移住して、ちょうど5年目だった。

 「農場の周りには何もなかったですね」。今はカンピーナス市に住む、娘のヤスコ・ヒライが語る。「母は毎月一度、ブラガンサ・バウリスタという町まで買い出しに行っていました」。

 町へ出るには、まず歩いてひと山越えて、そこから一日に二本だけ走るバスに揺られた。この月に一度の買い出しが、ブラジルで初めて池田と出会う「きっかけになった。

  「自分の心に訴えるものならいいんだ」 ②


 それから数ヵ月後のことである。サゴウはジャズバンドに所属し、米軍のクラブで演奏していた。夜通しの仕事になることもしばしばだった。サゴウはその足で信濃町の学会本部まで通った。池田に会うためである。

「池田先生は学会本部で毎朝のように、戸田先生の指導を録音したレコードに耳を傾け、その後、集まった学会員の質問に応じておられました。私もその場に何度も参加しました」。

 ある朝、ずっと心にひっかかっていた質問を口にした。

 「私はジャズが好きで、専門家を目指して勉強しています。しかし、ジャズがどういうふうに広宣流布の役に立つのか、わからないのです」

 池田はジャズの音楽の何に悩んでいるのか、真意を尋ねた。サゴウは「じつはジャズというのは黒人の音楽で、世間からは下に見られています」と、悔しさをにじませながら説明した。

 池田はサゴウの不安を解きほぐすように『必ず道は開ける」と言った。「先生は『自分の心にアピールするものならば、なんでもいい。全力で取り組みなさい』と言われました。『必ず道は開ける。しっかりやりなさい。人生には絶対に無駄はないんだよ』と。あの瞬間、私の腹は決まりました」。

 いつかジャズの本場アメリカに行きたいと思っていた。しかし、まだ自由に海外渡航できない時代である。

「ある雑誌で『ブラジルを経由してアメリカに渡った若者』話を読み、その人を探しあてて話を聞きに行きました」。サゴウは移民船でブラジルに向かう道を選んだ。

 1960年(昭和30年)の7月に日本を発ち、ブラジルに入国したのは9月初旬だった。

「サンパウロの町中を歩いていると、創価学会のバッチをつけている人とバッタリ出くわしたんです。喜んで声をかけると『池田先生がもうすぐブラジルまで来られるらしい』と聞いて、本当にびっくりしました。今から思うと、先生を出迎えるためにブラジルまで来たのかもしれませんね」と笑う。

 この初訪問の際、サゴウは池田から南米全体の男子部責任者の任命を受ける。

「先生とサンパウロの街角を歩いている時、『ポルトガル語はできるのか』と聞かれました。正直に『日本で3カ月勉強しましたが、とても通用しません』と答えると、『言葉がわからないで、どうやってブラジルの広宣流布ができるのか』と厳しく叱られました」。

 猛勉強を重ねた。音楽の仕事の合間を縫っては、サンパウロのすみずみまで男子部のメンバーを励まして回った。

 「日本人メンバーのほとんどが農業移民です。どの家に行っても、仕事が不安定で、大変な思いをしている人たちばかりでした」

 ブラジル人メンバーも着実に増えていく。彼らを放ってブラジルを出ていきたくない。少しずつ、そう思うようになった。

「自分の人生を考え直した結果、ブラジルで、この人たちとともに生きようと決めました」。

母のフミを呼び寄せた。サゴウはやがてリオデジャネイロの中心者として、ブラjジル創価学会の草創期を支えていくことになる。


 「当時のブラジルにはまだ、組織と呼べるものはなかった。空港での歓迎も、座談会も、新聞広告をみて集まった人が大半でした」とサゴウは振り返る。

 か細い、ようやく生まれ始めた「つながり」を太く、強くする必要に迫られていたのは、ブラジルだけではない。

 池田は、すでにできあがった組織を見回りに行ったのではなかった。自ら動き、悩みを聞き、仏法の「種」を植えた。その道のりで生まれた出会いの数々を、さらに繙いていきたい。


 先駆者たち 中南米編(1)終了しました。

 読者の皆さん、ご無沙汰してすみません<(_ _)>


あまりの暑さに夏バテしておりました。


実家にいる時は家事は母にすべてお任せしていま


したので、炊事、洗濯、掃除にごみ出しなどやってお


ります。


 私は午前中体がだるくて起き上がれないことも多


いので、ごみ出しは大変です。


 ごみ回収車の来る時間がまちまちなので、何度か


出しそびれました。(-_-メ)


 私は毎年夏になると血圧が下がり過ぎて、立ちくら


みに悩まされます。


 最近の私は頭の中では、これもしなきゃ、あれもしなきゃ、って


思っているのに結局何もできなくて、自分が情けなく


て落ち込んでおりました。


 引っ越して3カ月、前に無理に早く新しい土地に慣


れようとして「引っ越しうつ病」になったことがあるの


で、気をつけています。


 まだまだ残暑が厳しいので、皆さんお体ご自愛くださいね!