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EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
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   本当の勲章 ②


 翌日、吉田たちは大統領府を訪れ、会見の感謝を伝えた。

「応対してくれたのは大統領の片腕といわれるホセ・ケサーダ国税庁長官でした」。ケサーダは言った。「これまで大統領の執務室で何百人と会ってきたが、大統領の詩を大統領の前で読み上げた人は池田会長が初めてだ。本当に驚いた」「朗読を聞いていた時の、あんなにうれしそうな、和やかな大統領の笑顔は見たことがなかった」。

 吉田は数年後、ドミニカでケサーダと再会する。

「ケサーダさんから『あの池田会長の朗読はいまだに私たちの心に残っている』と言われ、あらためて驚きました。


 ───バラゲールとの会見の数日前。池田は、バラゲールの目がまだ見えていた時に「自分でペンを握って書いた最後の詩」を探した。そしていくつかの詩を準備して会見に臨んだ。会見が終わった後「なぜあの場で詩を朗読したかわかるか」と吉田たちに尋ねた。

 「先生は私たちに言われました。『大統領になっても、頭の中にあるのは若い時代に描いた夢なんだよ。大統領は青年時代の夢を実現したかったんだ』『側近たちは明けても暮れても政治の話しかしない。大統領の詩を読んで聴かせる人は誰もいないだろう。だから詩を読んでさしあげたんだ』と。(吉田貴美郎)

 その時の心情を、池田自身が綴っている。「目が見える人は、いつでも好きなものが読める。しかし見えない人は、だれかが読んであげなければ、自分の詩さえ読めないのだから」(『池田大作全集』第一二三巻)。

    本当の勲章 ①


 4日間の滞在スケジュールは目まぐるしいものだった。バラゲール大統領との会見。サントドミンゴ大学での図書贈呈、そして名誉教授称号の授与式・・・・・ドミニカSGI理事長として諸行事に同行したキムラは、20年前、池田から聞かされた「必ずいっぺんに花咲く時が来る」という言葉を思い起こしていた。

 通訳の吉田貴美郎は「バラゲール大統領との会見が忘れられない」と語る。ホアキン・バラゲールは十代半ばで詩集を出版し、17歳で文字賞を受賞した天才詩人でもあった。アメリカ軍による占領時代、占領への反対運動を通して「ドミニカで一番、説得力のある政治家」と評価されるようになった。

 「池田先生と会見した時、バラゲール大統領は80歳で、すでに視力を失っていました。先生が両目の見えない国家元首と会見したのは初めてです。もちろん初対面です。どのような会見になるのか、私たちスタッフも緊張して臨みました」(吉田貴美郎)

 バラゲールとの会見が始まった。池田は背広の内ポケットから一枚の紙を取り出し、朗々と読みあげた。

 「泉は汝自身のなかにある・・・・・川の水よりもっと自由に、はめられた枠がなく、庇護してくれる人も、命令する人ももたずに、ぼくは生きたい・・・・・」

 それはバラゲールが光を失うはるか前、十代の時に書いた詩集『青年に与える詩』の中の、「自立」という詩だった。池田の朗読をスペイン語に通訳しながら、吉田はバラゲールの表情がみるみるほころんでいく様子に目を見張った。


 「『ぼくのコップはとても小さい。それでも、ぼくはそのコップで飲むんだ』。これが、ぼくの情熱を最もよく表すモットーだ。皆は、ぼくがいつか失敗するだろうという。しかし、ぼくは、ぼく自身へと向かっているのだ・・・・」

  「必ずいっぺんに花咲く時が来る」 ②


 キムラは母と再会した後、東京の学会本部に向かった。

「桜が満開だったことを覚えています。池田先生は時間をこじあけてくださり、二人きりで勤行し、私の話を聞いていただきました」。

日焼けした頬を涙で濡らしながら、キムラは移民としての苦しみ、そして10年の節目に日本の土を踏んだ喜びを話した。

 「信心の錦を飾ったんだね。本当におめでとう」。池田はキムラの凱旋を祝った。そしてこれからが勝負だと語った。

「ドミニカに信心の根っこを張ってください。あなたが大樹として育つことです」「今は苦しいかもしれないが、必ずいっぺんに花咲く時が来る。仲良く、団結して、包容力をもって進んでください」。


 キムラを励ました20年後──池田はドミニカ共和国を訪れる。(1987年2月8日)。池田にとって40番目の訪問国となった。

 ドミニカSGIには、ブラジルと同じく苦い思い出があった。じつは初訪問の6年前(1981年)、池田はドミニカ訪問の予定を組んでいた。しかしその直前、「第一次宗門事件」で暗躍した弁護士の山崎正友が、恐喝容疑で逮捕されたのである。池田は東京地方検察局の捜査に協力するため、帰国せざるを得なくなった。のちに山崎は懲役3年の実刑判決を受ける。

 6年越しの、待ちに待った初訪問だった。午後9時前、池田はサントドミンゴ空港に降り立った。直前まで土砂降りだったスコールが止み、雲が晴れた。

「夜の太陽といってもいいくらい強烈な月光が差し込みました」。

長年スペイン語のSGI公認通訳を務めてきた吉田貴美郎が語る。

 元副大統領や駐日大使など、多くの政府関係者が池田を出迎えた。クラト・キムラは池田と握手した瞬間、人目もはばからず泣き崩れた。──愛する祖国に裏切られた。水を求め、赤土と闘い、飢えの絶望に耐え抜いた。あれから30年が経ち、気づけばドミニカSGIは200世帯にまで増えていた。

「とうとうわが師を迎えることができた。喜びで胸が張り裂けそうでした」(クラト・キムラ)。「もう大丈夫だ。長い間、本当によく頑張ってきたね」。池田はキムラの肩を抱き、「私が来たからもう大丈夫だよ」と繰り返した。雨上がりの上弦の月が、空港に集まった人々を照らしていた。