「必ずいっぺんに花咲く時が来る」 ②
キムラは母と再会した後、東京の学会本部に向かった。
「桜が満開だったことを覚えています。池田先生は時間をこじあけてくださり、二人きりで勤行し、私の話を聞いていただきました」。
日焼けした頬を涙で濡らしながら、キムラは移民としての苦しみ、そして10年の節目に日本の土を踏んだ喜びを話した。
「信心の錦を飾ったんだね。本当におめでとう」。池田はキムラの凱旋を祝った。そしてこれからが勝負だと語った。
「ドミニカに信心の根っこを張ってください。あなたが大樹として育つことです」「今は苦しいかもしれないが、必ずいっぺんに花咲く時が来る。仲良く、団結して、包容力をもって進んでください」。
キムラを励ました20年後──池田はドミニカ共和国を訪れる。(1987年2月8日)。池田にとって40番目の訪問国となった。
ドミニカSGIには、ブラジルと同じく苦い思い出があった。じつは初訪問の6年前(1981年)、池田はドミニカ訪問の予定を組んでいた。しかしその直前、「第一次宗門事件」で暗躍した弁護士の山崎正友が、恐喝容疑で逮捕されたのである。池田は東京地方検察局の捜査に協力するため、帰国せざるを得なくなった。のちに山崎は懲役3年の実刑判決を受ける。
6年越しの、待ちに待った初訪問だった。午後9時前、池田はサントドミンゴ空港に降り立った。直前まで土砂降りだったスコールが止み、雲が晴れた。
「夜の太陽といってもいいくらい強烈な月光が差し込みました」。
長年スペイン語のSGI公認通訳を務めてきた吉田貴美郎が語る。
元副大統領や駐日大使など、多くの政府関係者が池田を出迎えた。クラト・キムラは池田と握手した瞬間、人目もはばからず泣き崩れた。──愛する祖国に裏切られた。水を求め、赤土と闘い、飢えの絶望に耐え抜いた。あれから30年が経ち、気づけばドミニカSGIは200世帯にまで増えていた。
「とうとうわが師を迎えることができた。喜びで胸が張り裂けそうでした」(クラト・キムラ)。「もう大丈夫だ。長い間、本当によく頑張ってきたね」。池田はキムラの肩を抱き、「私が来たからもう大丈夫だよ」と繰り返した。雨上がりの上弦の月が、空港に集まった人々を照らしていた。