西郷が始めて民音公演のステージに立ったのは、1969年(昭和44年)である。
「民音?あの創価学会の?」
眉をひそめた。芸名を郷里の偉人・西郷隆盛から取ったように、鹿児島県生まれ。少年時代、学会の評判は悪かった。なにより家族が大の学会嫌いである。
近所の学会員に折伏されて起こった親が、バケツの水をぶっ掛けたことが忘れられない。
労働組合が母体の「労音(勤労者音楽協議会)」ならよく知っている。同じように勢力拡大の手段だろうか。
強い抵抗があったが、仕事は仕事と割り切った。
民音公演の準備が始まった。スタッフが素人っぽく、変に業界ずれしたところがない。
「なんだって。あえて自分の持ち歌を歌わなくてもいいって?」
思いもよらない提案がポンポン飛び出す。業界の常識、セオリーなど、おかまいなし。
「これは面白い。普段、できないことが、やれるかもしれないぞ」
本番のステージに立った。ところが客席は静まりかえっている。いつもなら、ここで黄色い歓声が飛んでくるのに。
プログラムを間違えたのだろうか。かすかに足が震える。恐る恐る歌い始めた。
だんだん目が慣れ、ステージから客席の顔が見えてきた。みな、妙に表情が強ばっている。
そうか。お客さんも緊張しているのか。初めてコンサートを観賞した人も多いに違いない。
娯楽にかける経済的余裕などなかったのかもしれない。
歌い終わった瞬間、万雷の拍手。観客席の表情も弾けている。
ひょっとすると、ここから新しい音楽ファンの開拓が期待できるんじゃないか。西郷は不思議な高揚感にとらわれた。